亀裂ー1
「おまえ、ラドビアスが前の主人であるカルラさまを裏切ってバサラさまをレイモンドールに引き入れた事を忘れたわけじゃないだろう?」
「そ、それはユリウスのことを死なせたくなかったからで……」
「あいつはそういう奴なんだよ。主人じゃなく自分の思いを最優先させる。ベオークに行けば、おまえの中の経典が取り除かれておまえは自由になる。そうしたら、自分は用済みだと思われないか。あいつはバサラさまを裏切ったんだ。きっと粛清される。そう心配してるはずさ」
「ばかばかしい、そんなわけないじゃないか」
クロードがきつく言い返すと、メイファは、「いや、違うな。そうじゃない」そう言って顎に指をかける。
「なんだよ」
「いいことを教えてあげるよ。おまえをラドビアスが裏切るっていう根拠」
耳元で囁いたメイファの言葉にクロードは口を開けたまま、目だけを遠くにさ迷わせた。 そこに助けがいるわけでも無かったのに。
聞きたくないという気持ちと、大見得を切る理由を知りたいという気持ちの板ばさみになってクロードは黙り込むしかない。
一方、ラドビアスと魔獣の三人とランケイは男女に分けられて地下の牢屋に入れられていた。
「なんとかしてくれ、ラドビアス」
サウンティトゥーダがその怪力で牢屋の鉄柵を曲げようとするが、手を触れただけで鋭い痛みが襲う。 メイファの言いつけなのか、鉄柵には金属でひっかいたように魔よけ呪文が刻まれていた。
「我に任せろ」
そこに壁に背をつけて成り行きを見守っていた赤い髪の男、アウントゥエンがのっそりと前にやってくる。
「良い案があるのか」
ラドビアスに頷くと「くっ」と歯を食いしばる。 途端に揺らぐ陽炎のような中から女性化したアウントゥエンが現れた。
「おまえら、我が腹が痛いと言うから、騒げよ」
詳しい説明抜きに言うが早いか、床に転がってうんうんと唸り出す。
「おいっ、誰かっ。腹が痛いらしい。来てくれ」
それを見てラドビアスが大声を出せば、サウンティトゥーダが壁をがんがん叩く。
「煩いぞ、おまえら」
間を置かずにがちゃがちゃと金属の擦れ合う音をさせながら、番兵が足音荒くやって来た。
「仲間の一人が腹痛をおこしたようだ。見てやってくれ」
「ちっ、仕方ないな。おまえら壁に手をついて立ってろ」
重たい戸を開いた番兵が驚いて床に転がる女に手をかけた。
「何で女がここに男と一緒に入ってるんだ? おい、大丈夫か?」
「う……ん、お腹が……」
苦悶の表情の女が番兵の手を取って自分のお腹に導いていく。
「おいおい、止めろって」
言いながら、女を観察するように見ると女はむっちりとした肉付きといい、肉感的な唇といい、むしゃぶりつきたくなるような良い女だった。
「女、医者を呼んでやる。ちょっと出ろ」
手を貸して立ち上がらせると、女はしがみついてくる。 悪い気はしないと鼻の下を伸ばした番兵の腰に女の手が回る。
「医者はいいから、鍵をよこせ」
うっとりしていた番兵が我に返る前にアウントゥエンの腕が彼の首をへし折った。 鈍い骨の折れる音がして一声も声を上げることなく番兵は倒れる。
「こいつ、食っていいか」
鍵をサウンティトゥーダに渡しながら、アウントゥエンはぺろりと自分の上唇を舐める。
「だめだ、今は人型だろう。時間がかかりすぎる。それより、ランケイを出してやれ」
ラドビアスのすげない言葉に、口を開けて嬉しそうに見ていた二人は途端にがっかりした顔になってぞろぞろと牢屋から出て行った。
「どうする、聞きたいかい? クロード」
「聞くな! メイファ、主から離れろっ!」
大声で割って入ったのはサウンティトゥーダと、アウントゥエンだった。
「サウンティトゥーダ、アウントゥエン、何でここが分ったの?」
「クロードの微かな匂いを辿った」
「ちっ」
舌打ちをして後ろに下がるメイファの足元に短剣がずさりと刺さる。
「これは返すぞ。使い魔を足止めして我々をまけると思っていたのは早計だったな、メイファ」
「おまえこそ、あんなちゃちな魔物を俺が見逃すと思ってたのかよ」
ラドビアスとメイファが一定の距離を保ちながら、掃きだし窓から外に出る。
「邪魔立てすると食ってやるぞ、ラドビアス。この裏切り者」
獣と人間の間のような耳障りな声で吼えるように言うとメイファの爪が五本いっぺんに長く伸びていく。 そのまま変化は止まらず、一つになると大きな長剣状に形成された。
それを見てラドビアスは、落ちていた細い枝を拾うと呪文を唱える。
『変成、変転、変容、我の命により辺幅、変化せよ』
枝は姿を変えて大型の長剣になった。
「うるさいその口を閉じさせてやる」
「やれるもんなら、やってみな」
真横に剣を構えたラドビアスにメイファが笑いながら豹のように飛び掛ってきた。 顔の横から突き刺すように伸びた爪を振り払うように弾くと、金属を打ち合ったような音が響く。
「おまえがクロードをベオークに行かせたくないのは、自分の身が可愛いからだろ、ラドビアス」
「何が言いたいんだっ」
形は質問だが、ラドビアスがその答えなど知りたくは無いのは、その切り込む剣の鋭さが物語っている。 上から叩くように振り下ろす剣をメイファは横っ飛びに大きく跳んで交わすと庭先の木に飛び乗った。
「おまえはベオークではお尋ね者だ。バサラさまを裏切り、カルラさまがビカラさまの宝物である魔経典を盗む手助けをし、さらには逃亡にも加担。あげくにカルラさまを殺した少年の従者となっているんだからな」
メイファの乗った枝が大きくしなると、反動を利用してまたもラドビアスの頭上から飛び掛ってきた。
「おまえは、クロードに従っているふりをしながらその実は隠れ蓑として使っているだけなのさ。このしもべのできそこないがっ」
大声で語る内容は、ラドビアスに聞かせるというよりは、自分に向けた言葉なのだとクロードは思った。 メイファがさっき言いたかったことは、これだったのか。
おれが利用されているという事。 違う、そんなはずは無いと思いながらもメイファの話にも一理あると思ってしまう自分に戸惑うクロードだった。