おばあちゃん無双 ~宰相の妻マリィ・ハートゴウル(66)が理不尽な婚約破棄をブッタ斬る!!~
「マ、マリィおば様ぁ!」
「クリス!? どうしたんだい、その顔は!?」
近所に住むソウルシルヴ男爵家の令嬢クリスティナが、酷く泣き腫らしながら我が家にやってきた。
ソウルシルヴ家と我がハートゴウル家は昔から懇意にしていて、アタシもクリスのことは実の孫のように可愛がってきた。
おむつも何度も替えてやったもんさ。
「何かあったのかい? 泣いてちゃわからないよ。ゆっくりでいいから、アタシに話してごらん?」
「は、はい……、実は私、婚約破棄されてしまってえええ」
「婚約破棄!?」
確かクリスはロケッツドゥーン伯爵家の次男、スティーブと婚約してたはず――。
普通貴族の家同士が決めた婚約は、そう簡単には破棄なんか出来ないもんだが……。
「……その婚約破棄はスティーブの方から一方的にしてきたのかい?」
「はいいい、『君はロケッツドゥーン家の嫁には相応しくない』とか、取り付く島もなくてええ。私、何も悪いことしてないはずなのにいいい。びえええええ」
「クリス……」
クリスはまた迷子の子供みたいにわんわんと泣き出した。
――スティーブめ。
あの小僧の悪い噂はアタシの耳にも何度か入ってきたことがある。
こりゃ何か裏があるね。
アタシの長年の女としての勘がビンビン反応してるよ――。
「――クリス、いいかい、よくお聞き」
「ふえ?」
アタシはクリスの両肩に手を置き、ジッと目を見つめながら言った。
「泣いてたって何も解決しやしないよ。悔しかったら戦うしかないんだ」
「――! ……おば様」
「だがそれには勇気が要る。相応のリスクも負わなきゃいけない。……だからアタシは、アンタにそれを強要したりはしないよ。このまま泣き寝入りするのも、それはそれで一つの生き方だろう」
「……」
「でもアンタがスティーブと戦うってんなら、アタシは全力でアンタのことを応援するよ。――どうするんだい、クリス?」
「わ、私、は……」
その瞬間、クリスの目に覚悟の光が宿るのを、アタシは確かに見た。
「私、このままじゃやっぱり嫌です! 私のどこがダメだったのか、スティーブ様にちゃんと説明してもらいたいですッ!」
「――フッ、よく言ったぁ!! そういうことなら善は急げだ! 今から行くよ!」
「えっ!? お、おば様!? 行くってどこに……?」
「フッ、決まってるだろぅ? ロケッツドゥーン家にさ」
「――!!」
さあ、首を洗って待ってなよスティーブ。
アタシの可愛いクリスを傷付けたこと、死ぬ程後悔させてやるからねぇ――。
「おや? どこかにお出掛けですか、おばあ様。ああ、クリスも久しぶり、また綺麗になったね」
「おお、ヨシュア」
「お、お久しぶりです、ヨシュア様!」
玄関を出たところで孫のヨシュアと出くわした。
ははーん、こいつはちょうどいい。
「ヨシュア! 今からロケッツドゥーン家に殴り込みに行くから、アンタもついてきな!」
「ロケッツドゥーン家に?」
「お、おば様! ヨシュア様まで巻き込むのはちょっと……」
「ふふ、何か事情がおありのようですね。面白そうですから、僕もお供しますよ」
「ヨシュア様!?」
「ハッ、それでこそ我が孫だ」
さあて、これで役者は揃ったねぇ。
アタシ達は馬車を走らせ、一路ロケッツドゥーン家を目指した。
「邪魔するよ」
「――! こ、これはこれはハートゴウル夫人。本日はどのような御用でしょうか」
ロケッツドゥーン家に着くなり、家令と思われる男がアタシ達三人を出迎えた。
宰相の妻であり、且ついろんな伝説を残しているアタシのことを知らない人間は、この国にはいない。
「ちょいとスティーブに用があって来たんだ。スティーブはいるかい?」
「ス、スティーブ坊ちゃまでございますか……」
その瞬間、家令が裏庭の方にチラリと目線をやったのを、アタシは見逃さなかった。
「フッ、スティーブは裏庭か」
「お、お待ちくださいハートゴウル夫人!」
アタシが裏庭に行こうとするのを、家令は身を挺して止めてきた。
「ぼ、坊ちゃまからは何があろうと人は通すなと厳命を受けております! 夫人をお通ししたとなったら、私が坊ちゃまから何を言われるか……」
「ホウ? ――じゃあ力ずくでアンタがアタシを止めてみるかい?」
「ヒッ……!」
アタシが軽く一睨みすると、家令は脂汗を流しながらその場で尻餅をついた。
おっと、アタシとしたことが、大人気なかったね。
まあいいか。
「どうやら通ってもいいらしいよ。行くよ、二人共」
「は、はい!」
「はい、おばあ様」
はてさて、鬼が出るか蛇が出るか。
「ばぶばぶ~。ママ~、ボクチャンママのおっぷぁいが欲しいでちゅ~」
「アラアラ、本当に甘えん坊ですね、この子は」
「「「――!!」」」
おやおや、こいつぁとんでもないもんが出てきたね。
裏庭には、赤ん坊の恰好をしたスティーブと、この家のメイドらしき若い女が二人で、所謂赤ちゃんプレイ的なものに精を出していた。
「……スティーブ様」
「ん? ――なっ!? 何故君がこんなところにいるんだクリス!? そ、それに、そちらはハートゴウル夫人……!?」
スティーブとメイドは慌てて立ち上がり、困惑の表情でアタシ達を交互に見た。
どうやら噂は本当だったようだねぇ。
詳細まではわからなかったが、スティーブは相当女癖が悪いって話だった。
まさかクリスという婚約者がありながらメイドに手を出してたうえ、とんだ変態プレイに勤しんでたとまでは思わなかったけどねぇ。
大方今回の婚約破棄は、このメイドと一緒になりたいからってのが理由かね。
それなのにクリスに『君はロケッツドゥーン家の嫁には相応しくない』なんて、まるでクリスに非があるみたいな言い方しよってからに。
――これは許せないねぇ。
「……スティーブ様、どういうことなんですかこれは。その女性は誰なんです? ……スティーブ様は、私よりその女性のことが好きになったから、わ、私との婚約を、破棄したんですか……」
ドレスの裾を握りしめ、目元に涙を浮かべながら、クリスはスティーブに詰め寄る。
……クリス。
「……フン、ああそうさ、君みたいなつまらない女よりも、彼女の方が何百倍も僕を満足させてくれるからね!」
「つ、つまらない……!」
オウオウオウ、言うに事を欠いて『つまらない女』だってぇ……!?
アンタそれ、女に一番言っちゃいけない台詞だよ――!
むしろ今のアンタの恰好は、逆に面白過ぎるけどねぇ。
メイドもドヤ顔でクリスに蔑むような視線を向けている。
まったく、割れ鍋に綴じ蓋ってやつかね。
「……つ、つまらないのはどっちですかッ!! あなたみたいな変態野郎、こっちから願い下げですよッ!!!」
「なっ!? 変態だとッ!!?」
ハッハー、よくぞ言ったクリス!
それでこそ女だ。
「こ、この、下級貴族の女の分際でえ! ナメた口ききやがってえッ!!」
「きゃっ!?」
む!?
激高したスティーブが、クリスに殴り掛かってきた。
――おのれ!
「おっと、そこまでですよ。――女性に手を上げるとは、男として最も恥ずべき行為だとは思いませんか?」
「「「――!!」」」
が、そのクリスの腕を、我が孫ヨシュアが颯爽と掴んだ。
フッ、やるじゃないか。
「ヨ、ヨシュア様……」
クリスは頬をほんのりと染めながら、そんなヨシュアの横顔をポーッと眺めている。
フフフ、落ちたね(何にとは言わないが)。
「よくやったよヨシュア。――後はアタシに任せておきな」
「仰せのままに、おばあ様。さあ、クリスはこちらに」
「え? え??」
ヨシュアはスティーブの腕を放すと、クリスを連れてアタシの後方に避難した。
そうそう、よくわかってるね。
そこにいれば安全だからね。
「こ、この僕を侮辱して、ただで済むと思っているのか……!? 父上が黙っていないぞッ!!」
いやむしろアタシが旦那に頼めば、こんな家簡単に取り潰せるんだけどね。
まあ、このバカには何を言っても詮無き事か。
「アンタはもう黙りな。――アンタこそクリスを侮辱した罰を、その身で受けてもらうよ」
「ば、罰……!? ――なっ、そ、空が!?」
アタシが魔力を込めると、瞬く間に空に暗雲が垂れ込めた。
これでも若い頃は【断滅の魔女】と呼ばれ、大陸中から恐れられたもんさ。
――見せてやるよ、その一端を。
「絆のように脆く
時のように儚く
悪魔のように恭しく」
「あ、ああ、ああ……」
「ひぃぃぃ……」
アタシが詠唱を始めると、その暗雲からアタシの怒りを具現化したかのような雷鳴が轟いた。
「海のように暗く
空のように紅く
神のように無慈悲に
彼の者に裁きを与えん
――深淵魔術【魔女が与える鉄槌】」
「「あああああああああああああああああ」」
暗雲から放たれた漆黒の稲妻が、スティーブとメイドを貫いた。
「「あ……ああ、あ」」
スティーブとメイドは喜劇のオチみたいに、アフロヘアーになって気を失った。
フン、命までは取らないよ。
死なない程度に手加減してやったからね。
――むしろアンタらにはこれから、死よりも辛い仕打ちが待ってるだろうさ。
「――なっ!? こ、これはいったい何が……! ス、スティーブ!!?」
「「「――!」」」
そこへ、スティーブの父親であるロケッツドゥーン伯爵が、血相を変えて現れた。
フフ、やっとおいでなすったか。
「どうも、ロケッツドゥーン伯爵、邪魔してるよ」
「こっ!? これはハートゴウル夫人……! あなた様のような方が、我が家にどんな御用でしょうか……?」
この男も若い頃に随分イジメてやったからねぇ。
アタシのことがトラウマになってるんだろうね。
産まれたての小鹿みたいにプルプル震え出したよ。
「いやなに、アンタのバカ息子が、アタシの可愛いクリスにフザけた婚約破棄カマしてくれたからねぇ。その落とし前をつけさせてもらっただけさ」
「ス、スティーブが……!? ――あ、あぁ……」
伯爵としても寝耳に水だったようで酷く狼狽えたが、赤ん坊の恰好でメイドと共にアフロヘアーになっているバカ息子を見て、大体の事情は察したようだ。
「も、ももももも申し訳ございませんッ!! こ、このたびは、うちの愚息がとんだ無礼を……!」
伯爵はその場でアタシに向かって流れるように土下座し、地面に頭を擦りつけた。
「フン、謝る相手が別だろう? 誰よりも傷付いたのはクリスなんだよ」
「お、おば様、私は、もう……」
「いや! クリスティナ嬢、謝って済む問題ではないかもしれないが、どうか頭は下げさせてくれッ!!」
「っ!」
伯爵は地面に擦りつけている頭を軸に、コンパスみたいに身体をズラしてクリスに平伏した。
変なところが器用な男だね。
「……ロケッツドゥーン伯爵、本当に私はもういいのです。……ただ、残念ですが私はもうスティーブ様のことが信じられません。――私達の婚約は、正式に破棄させてください」
「ああ、それはもう……! 後日、ソウルシルヴ家には、然るべく謝罪に伺わせていただくよ」
伯爵は頭を地面と一体化させたまま、声を絞り出した。
フン、これにて一件落着ってとこかね。
これでロケッツドゥーン家からたんまり慰謝料も貰えるだろうし、多少は溜飲も下がるだろう。
まあ、バカ息子とメイドが今後どうなるかは、推して知るべしってところか。
「さあて、用も済んだし、お暇するよ、クリス、ヨシュア」
「は、はい!」
「はい、おばあ様」
「お、お気を付けてお帰りくださいませ!」
もう一生地面と一心同体なんじゃないかって伯爵を尻目に、アタシ達はロケッツドゥーン家を後にした。
「……ふ、ふぐ、う、うううぅぅぅ」
「「――!」」
そして帰りの馬車の中。
堰を切ったように、クリスが顔を押さえて嗚咽し出した。
うんうん、ここまでよく我慢したね、クリス。
アタシはチラリと、クリスの横に座るヨシュアにアイコンタクトを送る。
それを受けて、ヨシュアは無言でコクリと頷いた。
「……クリス」
「っ! ヨ、ヨシュア様……」
ヨシュアはそっとクリスを抱き寄せ、クリスの頭を優しく撫でた。
「僕の胸でよかったらいくらでも貸すよ。気の済むまでお泣き」
「あ、ああ……、ヨシュア様……、ヨシュア様ああああぁぁ」
クリスは母の胸に抱かれる赤子のように、わあわあと泣いた。
ヨシュアはそんなクリスの頭を、いつまでもいつまでも撫でていた。
「じゃあヨシュア、アンタはしっかりクリスを家まで送っていってやるんだよ」
「えっ!?」
「もちろんそのつもりです、おばあ様」
「ヨ、ヨシュア様!?」
我が家に着くなりアタシがヨシュアにそう言うと、ヨシュアは二つ返事で了承した。
フム、まあ、言わずもがな、か。
「僕がナイト役ではご不満かな、クリス?」
「そ、そそそそそそんな! ここここ光栄の至りです!」
「フフ、では、行こうか」
「は、はい!」
仲睦まじく手を繋いで歩いて行く二人。
フフン、どうやらヨシュアはクリスのことを憎からず思ってたみたいだし、丸く収まりそうだね。
これで可愛いクリスが正式にアタシの孫に――。
可愛い孫、ゲットだぜ!
「――う、うわっと!?」
その時だった。
アタシの足から急に力が抜けて、アタシは後ろに倒れそうになった。
くっ! 久しぶりに深淵魔術なんて使ったから、身体が――。
「マリィ、またお前は無茶をしたんだな」
「――!!」
が、そんなアタシを、誰かが後ろからふわりと支えてくれた。
長年耳馴染んだバリトンボイスが心地良い。
――アタシの旦那のルギウスだ。
「……フン、世の中をナメた若造がいたもんだから、ちょいとお灸を据えてやっただけさ」
「それは結構だが、たまにはそれで気を揉むこっちの立場にもなってくれ。――お前を失ったら、俺は生きていけないんだからな」
「――ッ!」
ルギウスはアタシを後ろからギュッと抱きしめてきた。
も、もう……!
いくつになっても甘えん坊なんだから、困っちまうねぇ、まったく……!