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四季彩カタルシス  作者: 深水千世
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山椒とツバメ

 あら、もう山椒があるわ。

 そう気がついて、スーパーで足を止める。毎年のことだけど、五月になる頃に山椒を見かけると、つい手が伸びてしまう。

 シダを思わせる山椒の葉や、小さな実が細い枝に鈴なりについている実山椒がパックに入って並んでいるのを見ると、私は値段を見ずに必ず買い物カゴに入れことにしている。さっと茹でて水に浸してから煮染めてもいいし、実は糠床に入れるのだ。

 山椒の匂いは、ちょっと入浴剤を思わせるような独特の芳香だ。枝から実を取るだけで、手の平いっぱいにその香りがつく。

 北関東では当たり前のように見かけるが、私が生まれ育った北海道では、生の山椒が出回るのは珍しかったように思う。初めてこちらで山椒の実を見たときはびっくりしたものだ。

 親戚はおろか知人一人もいないところに嫁いできたが、寂しいと思わないように努めていた。幸い、姑も舅もよくしてくれた。けれど、こういう故郷では珍しい食べ物を見ると、どうにも母に会いたくてたまらなくなった。食べさせてあげたい、見せてあげたい。そう思うたびに、距離を実感するからだ。


 あれは嫁いでから三年目の五月。

 スーパーで山椒の実と葉を見つけると、多めにカゴに入れた。母に送ろうと思い立ったのだ。

 足が悪い母は、こちらに来たくてもなかなか身動きが取れない人だった。私はスーパーからの帰り道、青空を飛び交うツバメを見てため息を漏らしたのをよく覚えている。

 あぁ、あのツバメみたいに飛べたら、母ともすぐ会えるのに。もう声も忘れそうだわ。そう思って、哀しくなった。

 一人娘の私が嫁ぎ、実家では父と母が二人で暮らしている。口には出さないけれど、母が寂しく思っていることはなんとなく知っていた。

 今までツバメも飛ばないほど寒い地域にいたのに、ずいぶん遠くに来たものだと、しみじみした。


 アパートが見えてくる頃、近所の主婦が草むしりをしていた。


「こんにちは」


 そう声をかけると、彼女はふくよかな顔を上げた。


「こんにちは。今日も歩き?」


 彼女が『今日も』というのは、この辺りはみんな車で移動が当たり前の暮らしだからだ。

 だが、私はペーパードライバーだったし、夫は車通勤。二台目の車を買うなら貯金したいということもあって、いつも歩いてスーパーに通っていた。


「えぇ。暑いですね」


「本当に。あなたがいらした所はこんなに暑くなることないんでしょう? でも、まだまだ暑くなるわよ」


 この人は私が結婚したばかりの頃から毎年同じことを言っている。そして、ことあるごとにこう言うのだ。


「早く赤ちゃん作りなさいな。一人じゃ寂しいでしょう?」


 私はそのたびに笑顔で「授かり物ですから」と言いながら話を切り上げる。そのたびに胸に強烈な怒りと寂しさをにじませて。

 あんた、私の親戚? そんなこと言われる筋合いはないわ。そんな言葉が危うく口から漏れそうになる前に「じゃ、失礼します」といつも足早に立ち去る。

 それが彼女にとって悪気のない心配だとはわかっている。だけど、どうして結婚したらすぐ子どもが出来て幸せになるって思うのだろう。それが当たり前だというのだろうか。いや、決して当たり前ではないからこそ、子どもは奇跡なのだ。

 欲しいのに出来ない人の悲しみは、同じ境遇の人にしかわからない。本来は女性の証である月のモノがくるたびに、まるで「お前は母親になる資格はまだない」と誰かに言われているような気さえしていた。


 ひどく暗く重い気分でアパートの扉を開ける。誰もいない部屋に、時計の秒針の音だけが響いていた。

 夫は家に帰ってきても寡黙な人で、私はぽつんとしているばかり。たまに「ここにいなくてもいいんじゃないか」と、ふと思うことがある。赤ちゃんも産めない嫁なんていらないのかなと、馬鹿げた考えまでよぎってしまう。とんだ時代錯誤だと思うけれど、そんな見方をする人はいるものだったから。

 ふさいできた気分を変えようと、私はスーパーの袋から山椒を取り出した。実をもいで、葉をトゲで沢山の枝から外す。時折、指先をトゲがちくりと刺して、そのたびに涙が溢れそうだった。

 次第に手の平いっぱいに山椒の香りが移る。それを胸一杯に吸い込むと、ほんの少し気持ちが和らいだ気がした。

 あく抜きしてから、山椒の実はしょうゆや酒で煮染める。葉は軽く茹でて、刻んで、しらすとゴマと一緒に火に掛けてふりかけにした。それらを熱湯消毒した瓶に詰め、ダンボールに入れた。

 母への手紙と送り状を書こうとしたときのことだ。ふと窓の外を黒い影が走った。何かと思って様子をうかがうと、アパートの軒先にツバメが巣をかけているところだった。


「わぁ」


 思わず小さな声が漏れる。間近で見るのは初めてだったけれど、なんと一つ屋根の下に引っ越してくるとは。

 ツバメは田んぼから泥を運んできては、みるみるうちに巣を立派にしていった。少しずつ、少しずつ泥を足して、居場所を作っていく。


「そうね、私もツバメみたいに少しずつ馴染んでいけばいいんだわ」


 風習も方言も違う地域に、そして寡黙だけど優しい夫との生活に。子どもが出来る前に、自分自身の居場所を掴まなきゃ。

 私は母への手紙の最後にこう記した。


『追伸 ツバメが軒先に巣を作りました。これから楽しみです』


 宅配便を開けたとき、母はどんな顔をするだろう。そう思いながらテープで梱包した。


 それから一週間後、母から返事の手紙が届いた。

 山椒が美味しかったこと、最近では父親がまた太ったことなどが彼女らしい飄々とした言葉で書かれてあって、最後にこうあった。


『ツバメは幸運の象徴ですから、いいことを連れてきてくれたらいいね』


 思わず涙がこぼれた。

 本当は『いいこと』ではなく『赤ちゃんを連れてきてくれたら』と、書きたかったのかもしれないと、なんとなくわかってしまったのだ。両親の前では子どもができないことを悩んでいる素振りは見せていないつもりだったのに、母は知っているのだ。そう思えて、泣けた。


 母に送った山椒のふりかけを夕食に出した日、夫はいつものように黙ってご飯を食べていたけれど、不意に口を開いた。


「初めて作ったのかい?」


「えぇ。向こうには出回らないもの」


「うん、美味いよ」


 滅多に「美味しい」と言わない人だったけれど、彼はこのときばかりは嬉しそうに目を細めていた。


「遠くから来てくれてありがとう。馴染もうとしてくれて嬉しいよ」


 そう言われたものだから、びっくりしてただ頷いた。


「今度、どこかに行こうか。寂しいだろう」


 そう言う夫に私は首を横に振った。


「ううん。ツバメを見ていると退屈しないから」


 それに、夫は『どこか』なんて口にするけれど、本当はどこに行っていいかもわからないほど不器用なのを知っていた。それでも、そう言ってくれるだけで、この人に望まれてここにいるのだと悟れた。


 結局、私たち夫婦には子どもができなかった。それでも、毎年やってくるツバメを見ては「去年のあの子が大きくなったのかしら」と成長を見守る楽しみはできた。

 今年もそろそろ山椒の匂いが嗅げる時期がやってくる。

 あの匂いが染みこんだ手で顔を覆うと、いつも母を思い出す。まるで母に抱きしめられたような気がするのだ。

 そして、ツバメは毎年やってきては私を励ましてくれる。あの頃は、子どもができない苦しみ故に、誰かの成長を喜ぶ心までねじれて歪みそうだった。だけど、ツバメがその軌跡のようにこの心をまっすぐにしてくれたのだと思う。

 山椒の匂いとツバメの伸びやかな飛行がある五月は、私にとってちょっと切ない時期だ。

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