素直になれないサンタクロース
赤。緑。金。銀。青。
街全体が鮮やかな色を纏い、ジングルベルがどこからともなく流れてくる。
幸せそうな笑みを浮かべ、手を組み歩く男女を恨めしそうに睨みながら、気怠いため息をつくのは大学の友人、慶太。
「あー。これだから、この季節は、嫌だ、嫌だ」
「いや、お前、ついこの間までいた彼女を振っておいて、それはないだろ」
「いたっていうか、あれとはもう半年前から終わってたも同然よ。むしろ、あれからもう半年続いたことの方が、びっくり」
顔立ちの整った慶太は、女によく好かれる。彼女のいないことの方が珍しい。
飽きたらすぐに女を捨てるくせして、恋人たちの盛り上がる行事に自分が省かれていると、気が済まない。そんな、単純で軽い男だ。
「だいたい、クリスマスってのは、恋人と過ごすためのものじゃないっつうの。本来は家族と過ごすものなのに、日本人はどこか履き違えてんだよ」
「……お前、そういうとこだぞ」
僕の吐いた本音に、慶太は眉をぴくりと動かしたが、まるで聞こえなかったような素振りで、僕の肩に手を回した。
「幸人だって、独り身のクリスマスは寂しいと、そう思うだろ?」
「……いや、別に」
僕は、恋人がいようがいまいが、関係なく、この季節が好きだ。
街がきらきらと輝いて、いつも見ている風景とは違った場所に見える。モニターから流れるクリスマスソングは、冬の冷たい外気を温める。
この輝かしい季節になると、必ずといっていいほど思い出す。
子供の頃は、クリスマスが、こんなにも眩しい行事だったなんて、知らなかった。
体の弱かった僕は、よく入退院を繰り返す子供だった。冷える季節は、特に。
けれど、あの頃、寂しい入院生活でも、毎年楽しみにしていた日があった。それが、十二月二十五日。
その日の朝は、特別な朝だった。目を覚ますと、決まって枕元には、プレゼントの箱があって、その中には僕の好きなものがぎっしりと詰まっていた。
【他の子が、羨ましがるといけないから、わしからプレゼントを貰ったことはナイショだよ サンタクロースより】
添えられた手紙を読んで、僕はわくわくが止まらなかった。
絵本で読んだサンタさん。本当に、いるんだ。僕のところにも、来てくれた。プレゼントを置いていってくれた。
「あら、その塗り絵、どうしたの?」
早速プレゼントにあった塗り絵で遊んでいると、見舞いにやって来た母が微笑みながら訊ねた。
「あっ……これね、サン……」
僕はそこまで言いかけて、サンタの手紙を思い出し、慌てて口を抑えた。首を傾げた母に、そっと耳打ちする。
「これね、サンタさんから貰ったんだ」
「サンタさん?」
「しっ! 声が大きいよ」
父と母は顔を見合わせ、不思議そうな顔をした。それから、僕の顔を見て、にっこりと笑った。
「そう、良かったね」
僕は満足して、塗り絵の続きに取り掛かった。けれど、あることを思い付き、再び手を止めた。
「そうだ、お礼、した方がいいよね。来年のクリスマスイブの夜に、枕元に置いておいたら持って行ってくれるかな」
「そうだね、きっと、サンタさんも、喜ぶね」
それから僕は、看護師のお姉さんに教えてもらいながら、赤色と白色の毛糸で、マフラーを編んだんだっけ。
どんな出来ばえだったかはもう覚えていないけれど、次の年のクリスマスの朝に、枕元に置いた手紙とマフラーが無くなっていたことはよく覚えている。
その年も、その次の年も、そのまた次の年も、サンタクロースは僕の元へやって来た。
だけど、それから五年後の、僕の最後の退院を期に、サンタクロースは僕の前に二度と現れなくなった。
* * *
「悪い、二十四日だけど、無理になった」
『ええ!? 何でだよ! まさかお前、彼女でもできたんじゃないだろうな!?』
「まさか。ちげーよ。じいちゃんが亡くなったんだ」
『……まじか。すまん、くだらんこと言って』
「別にいいよ」
慶太との電話を切ると僕は、はあ、とため息をついた。
祖父の命はもう短いだろうと、前々から言われていた。だから、特別驚くようなことでもなかった。
以前から認知症にかかっていて、周りの親戚は介護に手を焼いていたし、たまに顔を見せに行った僕のことも、祖父は分かっていないようだった。
正直、認知症にかかる前から、祖父のことが嫌いだった。
祖母や母を顎で使うくせして、自分は何も働かない。ひどく頑固で、すぐ怒鳴る。“子供は嫌いだ”という言葉を、何度浴びせられたことか。入院中だって、一度たりとも見舞いになんて来てくれなかった。
小さい頃の僕は、祖父が怖くて仕方なかったが、ある程度大きくなってからは、祖父のことを見下していた。
だから、祖父が認知症にかかろうが、この世を去ろうが、僕は悲しくもなんともなかった。
祖父の葬儀は、ひっそりと済まされた。
流れる重苦しい空気に、息が詰まりそうだった。一方で、その重苦しい空気に内包された神聖な空気に、僕は生と死を深く考えさせられた。
どんなに嫌いだった祖父でも、顔を合わせるのはこれが最後で、言葉を交わすことも二度とない。
そして、自分もいつかはこうして死にゆくのだ。
死ぬ瞬間、人はいったい何を感じ、何を思うのだろう。歳をとっても、死の瞬間は、恐ろしいと感じるのだろうか。
こんなことを細々と考えてしまう僕を知られたら、慶太はまた馬鹿にするのだろうけれど、僕は考えずにはいられなかった。
人は、いつか誰しもが死ぬのだ。目を逸らすことなど、できない。
納棺の時間がやって来た。
化粧の施され、いつもよりずっと綺麗な祖父の顔を見ると、複雑な気持ちだ。棺の中には、色鮮やかな花や祖父の思い出の品がたくさん詰められている。
僕は、その中の一つに、目が釘付けになった。
赤と白の、よれよれの毛糸のマフラー。
記憶の糸を、必死に手繰り寄せた。
「あれ……あの、汚れたマフラーって」
「ああ、あれ? どういうわけか、じいちゃんが毎年大事に使ってたんだよ。よっぽどお気に入りだったのかね、汚くなったからと思って、新しいのを買ってあげても、そのマフラーしか、使わなかったんだ」
「そうそう、ボケた後も、何故だかあのマフラーだけは、大事に使ってたみたいでさ。じいちゃんにとって、何か特別なものだったのかね」
胸の内側に、熱いものが込み上げた。
間違いなかった。
あのよれよれの赤と白のマフラーは。
使い古された、小汚い毛糸のマフラーは。
ところどころ作りが不完全で、糸のほつれた手編みのマフラーは。
子供の頃、僕がサンタクロースにあげたマフラーだった。
【サンタさんへ 去年は、プレゼントを、ありがとう。とっても、うれしかったです。ぼくからのお礼です。がんばって作ったので、つかってください。 ゆきと】
僕からの手紙を読んで、内心嬉しそうにマフラーを首にかける祖父の姿が、目に浮かんだ。
父母に内緒で、祖父は一人、入院中の僕が喜びそうなものを、買い漁っていたのかもしれない。
プレゼントと手紙を枕元に置いてもらうよう、看護師に頼んで僕と顔を合わせず帰ってしまったのは、素直でない祖父なりの愛情表現だったのかもしれない。
祖父が認知症にかかったのは、僕が最後に退院した年からだった。その年を境に、サンタクロースは僕の前に現れなくなった。
幼い頃から、僕の心の中に住んでいたサンタクロースの正体は、祖父だった。
「……ずるいよ」
僕は熱くなった目頭を、右手で覆った。
祖父の遺体は、十二月二十四日の昼間、僕の流した涙と共に、煙となって空へ消えた。