見知らぬガキにひっぱられたら腕が外れた件
初めての投稿です。
私の思い出せるなかで一番古い記憶は男の子に腕を引っ張られ、いやいやした時の光景だった。
相手の子は無邪気に笑っていた。
何かの会話の節にそういえばさって。
そういうのってあるよね。
あれは、どこか――デパートか何かのゲームセンターの隣にあった小さい子供向けのキッズルームだったと思うんだけどさ。
その周りを大人が腰をかけられる高さの柔らかなマット地の囲いが青や緑やピンクの淡い色をしていたことをぼんやりと覚えてんの。
キッズルームの中にはさ、私を含めた子供たちがきゃっきゃ、って滑り台をよじ登ったり滑ったりしててさ。
お母さんかお父さんだったか、どっちが見てたのか、それとも買い物でもしていたのかは全く記憶から消えちゃってて、男の子に強く腕を引っ張られた前後のおしゃべりも何も今となっては思い出せないんだよね。
だから腕が外れてちゃって泣いていた私を担いだのはどっちだったんだろうって、たまに思い出そうとするんだけどさ。
考えているうちにどうでもよくなってんだよね。
でもさ、その時、どう嫌だったり、どう嫌がったりしてもさ、腕を引っ張るのをその子はやめてくんなかったから、人の嫌がることを平気でやる人はいるっていうことがわかったんだよね。
私が年をとるうちでどうでもよくなって消えてっちゃう記憶の中でそれだけが頭から離れなかった。
私は中学生になって、急に早く大人になって働きたいと思った時があってさ。
親に迷惑かけたくないとか早く自立したいとかそういった立派なものじゃなくって、CDが欲しいとかビデオが欲しいとかの、ただの物欲しさで。
今思えば、働きたいと思ったこの時が何年かして大人になるんだっていう、想像できそうでできないようなものを何となく気にしはじめたころだったんだろうな。
私には夢がなかったしさ。
子供の頃から学校の授業かなんかでさ、将来の夢を発表するなんて授業参観でおなじみのあれをやった時は、いつまでも原稿用紙が真っ白だったもん。
でもちゃんとそれらしいこと書いてみんなの前で読んだよ。
タイトルは、親の仕事を次ぎたい。
笑っちゃうよね。お父さんの仕事は普通のサラリーマンだから次ぐもなにもないんだからさ。
間違って同じところに勤めてもそれって次ぐこととは違うじゃん。
ああいうのは自営業とか、職人とか、農業とかさ。
そんな、夢見ぬ若者っていうか、やりたいことを見つけられない子って感じだった。
高校に入ってから一年は遊んだ。
遊ぶたって友達とカラオケとかゲーセンとか、普通の遊び。
家には六時には帰ったし。
でも二年生からだったかな。
学校の放課後にゼミが始まって、進学希望の人らがみんな受け始めて。
私は迷ったんだけど、学校の中では頭のいい方で進学クラスだったから、じゃあ、まあ、受けときますかって。
なんだか、雲行きが怪しくなってきちゃったのは、二年の三学期の最後の方だった。
お父さんが私とお母さんに頭を下げたんだよね。
借金してたんだって。
そんな借金してて頭下げちゃうなんて月並みだなぁ、とか思ってたんだけど、お母さん、普通じゃないくらい泣いちゃったから、そんなの見てたら、私も目の中が痛いくらいになって、一緒に泣いちゃったんだよね。
額は、まぁそこそこって感じだったんだけど、お父さんのお母さんにお金を送るためにお金を借りてたんだって。
お父さんのお母さん――おばあちゃんも借金していたから、しかたがないって話していたけど、それってどうなんだろ。
おばあちゃんが何で借金していたかってとこまでは、お父さん、話してくれなかったな。
それで、その時給料の明細を見させてもらったんだけど、お父さんって結構稼いでたんだ。
これにはちょっと驚いちゃった。
こうなった以上は、もうしかたないから、ちょっと辛抱してがんばろうねってお母さんが言うから、私もそうだねって言って遊ぶの控えたり、学食やめてお弁当にしたり、お菓子も控えたりしたんだ。
お母さんもパートしたりしてさ。
私も節約すんのも楽しかったし。
私は私で大学の推薦もらって、通知表の五段階評価、平均三・九よ。
でも、学校自体あんまし頭がよくないからその数字もあやしいもんだ。
進学希望の大学も二流だし。
だから、推薦入試当日の前の日に、お父さんに、
「進学をやめてくれないか」
って言われたときは、なんのことやら全くわからなくなった。
だって、お父さん給料結構もらってるし、その利子も、まぁまぁ払えそうだったじゃん。
それに、勉強を応援してくれたのもお父さんだったし、学校の三者面談でお母さんだって、私の成績に喜んでくれたじゃん。
何でもっと早く言ってくれないの。
あの日の夜、お父さんが頭を下げたとき、二回も三回も聞いたよ。
進学したいって。
そうしたら、頑張れ、って言ってくれたじゃん。
お母さんも、パート頑張るからねって言ってたじゃん。
でも、人っていうのはおかしくて、合格できるかできないかは置いておいて、私は、予定通り受験会場に足を向けた。
内容は作文と面接。
手ごたえなんてあったかどうか、わからなかった。
ただ、精一杯やっただけだ。
面接が終わったとき、トイレに駆け込んで泣いた。
作文書いてる時だって、面接している時だって、こんな虚しいことがあってたまるかって、十分おきくらいに頭にかっか、かっかきて、ヒステリーの一つも起こしたかったけど、我慢できた。
家に帰ると、お母さんがパートから帰ってきていて、
「受験どうだった」
って私に聞いた。
「精一杯やっただけよ」
ただ笑顔で
「おつかれさま」
って言うから、私は、
「ありがとう」
って返すだけだった。
お母さんは今朝、お父さんが私になんて言ったか知らなかった。
私が土日をはさんですぐ先生に相談した。
先生は飛び上がるようにして驚いてた。
私は運がよくて、町の小さな会社に就職が決まった。
私があの大学に合格していたかはわからない。
知りたくもない。
春になって、桜があっという間に散って、世間が五月病がどうのこうの言ってるころ、私は初任給を父にやった。
私達は親子三人、今も一緒に住んでいる。
お母さんが身体を壊してパートをやめてしまった今、私が頑張らなければならない。
そうして真面目に働いていた。
借金は一年とたたず全額返済できた。
私が高校を卒業して四年たとうとしていた。
しかし、進学した友達が大学生になってもう卒業するころか、と思うと、不思議とおかしな気分にさせられた。
「今、学校に――通っていた高校に行ったら、みんないるんじゃないか」
クラスの子だって、部活の子らだって、後輩だって。
そう思うとぞっとした。
私は一人取り残されているのではないか。
受験したあの後、あの、週末で時間が止まっているのではないか。
私はその妄想から、逃れるように仕事をした。
趣味をたくさん持った。
ある日、それは逃げているんじゃないかとさえ思った。
でも逃げも時には必要だと自分に言い聞かせた。
逃げでもしなきゃ、私の気がちがいかけている事実を認めてしまいそうだった。
私のおかしな気が落ち着いて、お母さんの病気が治ったころ、親戚一同集まる機会ができた。
大人はみんな酔っ払って幸せそうな顔をしていた。
私は大人になったんだろうか。
子供たちは、部屋の隅っこで二毛の猫をからかっていた。
「おい、ゆうちゃん。ギターがあるぞ」
おじさんはそう言うと、私にギターを押し付けて何か歌えとはやし立てる。
お父さんもお母さんも「ゆうちゃん、ゆうちゃん」と手拍子を始めた。
変な盛り上がりをみせるから子供たちも「なになに」とそばに来た。
私は困ったなぁと言って、子供みたいにふざけていやいやした。
それから、しかたなしに、左手にネックを持って弦にはさんであったピックをつまんだ。
何を弾こうか。
明るい歌がいいな――
――マンションの階段を上がってると、カレーのにおいがしてきた。
たぶん家だろうな。
「ただいま」
私は、玄関の横のすりガラスにうつるお母さんの影を見上げて言った。
お母さんは台所で晩ごはんを作っている。
私は六時からのアニメが楽しみだった。
魔道士の女の子が活躍する、中世ファンタジー。
私はテーブルに置いてあったリモコンをとって急いでチャンネルを回した。
わがままな口上の後、主題歌が流れ出した。
お疲れ様でした。
こちらの中世欧州風異世界幻想譚もよろしくおねがいします。
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