3.ジュリア王女
一瞬驚きの表情を浮かべたレオン王子であったが、父様が跪いたタイミングで我に返ったのか、次の瞬間には何事も無かったかのように完璧な笑顔に戻っていた。
「ウェールズ伯、かまいません。クリスティーナ嬢、お心遣いありがとうございます」
そう言うとレオン王子は、俺の手をおもむろに取り、手の甲に軽く唇を寄せた。
「!?」
途端、ざわっと全身が毛羽立つ。母様や姉様には笑顔で頷くだけだったのに、突然何をするんだ!?
いや、まぁ何ってただの挨拶だろうけどさ!?
固まっている俺をよそに、レオン王子はこちらに爽やかに笑いかけながら、そっと手を離した。
動けなくなっている俺を父様が半ば抱きかかえるようにして早々に撤退する。
人混みから離れ、柱の影に移動すると、家族に詰め寄られる。
「ク、クリス! いや、クリスティーナ! 身分の高い方に向かって、労いや評価するような物言いは大変失礼にあたるんだ! お前は、よりによって王子殿下に向かって何という……! 寿命が五年は縮んだよ!」
「も、申し訳ありません」
こんなに怒っている父様は、俺が間違って魔法を発動しかけてしまった時以来ではないだろうか。
「これからは、練習した言葉以外は絶対に発言禁止よ。何か話さなければならない場面でも、無言で笑って誤魔化しなさい。ホールに入る前にもっと言い聞かせておけば良かったわ」
「……はい。以後気をつけます」
母様は外行きの笑顔を貼り付けてはいるが、いつもより一オクターブ低い声に、怒りがひしひしと伝わってくる。とても……怖いです。
「優しい王子で助かったわね。それにしても素敵な方……。クリスのミスを責めるどころか、手の甲に口付けをしていただけるなんて、何なら私も何かもっとお話すれば良かったかしら」
「「セシリア!!」」
両親に同時に睨まれ、冗談です。と慌てて否定する姉様だが、ちょっと本気だった気がする。
招待客のレオン王子への挨拶が終わった所で、ホールの壇上に国王陛下と王妃様が姿を表した。
国王陛下は、頭上に輝く王冠を掲げ、真紅のマントを翻しながら悠然と歩を進める。長いプラチナブロンドの髪の間からは、鋭い眼光が覗いている。精悍な顔立ちには、威厳と自信が滲み出てあまりあった。
王妃様は、三人の子持ちとは思えぬ見事なプロポーションで細身のマーメイドラインのドレスを美しく着こなしている。
レオン王子は、母親似なのだろう。王妃様の美しい顔立ちは、レオン王子と重なる点が多い。
国王陛下は、レオン王子の横に立つと会場の貴族に向き直り、実にダンディーな声で挨拶を送る。
「此度は、急な事にも関わらず息子のために足を運んでくれて感謝する。ぜひ最後まで楽しんで行ってくれ」
そう一言告げると椅子にドカッと座り、それが合図とばかりに宮廷音楽家が荘厳なワルツの音楽を奏で始めた。
すると、どこからともなく現れた四人の美しい男女がホールの真ん中に移動し、華麗なワルツを踊り始める。
おそらく第一王子のアレクス殿下と第一王女のジュリア殿下であろう。
アレクス王子は、レオン王子とは系統の違う漢らしい顔立ちをしている。恐らく、父親似なのであろう、あまり似ていない兄弟である。
アレクス王子のお相手は、少し赤みがかったブロンドヘアーに真っ赤な唇が蠱惑的な美女だ。大きく空いた胸元の吸引力が凄まじい。
そして……待ってました! 我らがジュリア王女は、国一番の美女という噂通り、頭から指の先まで美しさが溢れ出ている。
レオン王子と同じブロンドヘアーに、透き通る碧の瞳、薄ピンクのドレスを纏い慈愛に満ちた微笑みを浮かべられている。
目の覚めるような美女とはまさしく彼女のために誂えた言葉ではないだろうか。
ターンの度に一つに結ばれた真っ直ぐな髪がなびき、キラキラ輝いている。
一生に一度でいいからあんな美しい人と踊ってみたいものだ。きっと精霊でさえ彼女よりは美しくないだろう。
この会場には多くの美女が揃っていたが、こんな気持ちを抱くのは初めてだ。これが本当の恋というものだろうか。
あぁ、結婚したい。
ジュリア王女のお相手は、これまた絵に描いたような美少年で、ドレスを着ている俺には逆立ちしてもなれないような優雅さでジュリア王女をリードする。
彼には面識も恨みもないが、ジュリア王女のお相手を務めているというだけで殺意が湧いてくる。
ちくしょう……羨ましい!
俺は、ジュリア王女を食い入る様に見つめていたため、側に近づいてくる人物に全く気が付けないでいた。
「ダンス鑑賞中に失礼いたします。この後、私と一緒に踊ってはいただけませんか?」
声の方を向くと、そこには先程別れたばかりのレオン王子その人が立っていた。