0.プロローグ
どうして私なんだろう。
リューイは、もう何度目になるのかも分からない自問を心の中で唱えた。
魔法の国ルーベンブルク王国の宰相と名乗る男が、毎朝恒例の演説をしている。
「我が国の至宝フローラ様が産まれた瞬間を私は今でも鮮明に覚えています。曇天の世界から一転して、天は虹色に輝き、季節は冬だというのにまるで春のような暖かな風が吹き抜け、植物は喜びを爆発させるかのように一斉に芽吹きました。この世の全てがフローラ様の誕生を祝福しているかのような……ルーベンブルク王国初代女王の再来に私は立ち会ったのです。そんな得難き人に仕えられる事はこれ以上ない幸せな事なのですよ。この場に巡り合せて下さった精霊様方に感謝を捧げなければなりません」
エルンドール王国からルーベンブルク王国へと連れ去られてからというもの、毎日繰り返し聞かせられる長々とした演説に辟易する。
リューイは、チラリと視線だけを横に向けると熱心に耳を傾ける三人の仲間が目に入った。ナターシャ、アメリア、ディアナ。
もとは八人居た仲間たちだったが、残っているのはここに居る四人だけだ。
居なくなった四人がどうなったのかは、想像もしたくない。
「あなた方は“クロディアの悲劇”をご存知かな? 憎きクロディアが初代女王ローラ・ルーベンブルクを害した事で精霊様方からの不興を買い、以降クロディア王国の民は魔法が使えなくなったというかの有名な出来事です。魔法が使えないクロディアは、換学などというまがい物を発明したが……」
宰相様の演説は今日も絶好調で延々と続く。
リューイは、ついつい欠伸がでそうになるのを口の中で噛み殺す。
いかにルーベンブルク王国が素晴らしい国で、フローラ様に仕えるために選ばれた我々は特別なのだと、手を変え品を変え何度も何度も頭に刷り込まれる。
ここでの生活は、与えられた仕事に真面目に取り組み、従順にさえしていれば何不自由なく暮らせる。
だが、リューイに言わせれば、思想を矯正される事は不自由以外の何物でもなかった。
◇◇◇
「リューイ! 目を開けてくれ!」
誰かの懇願するような絶叫で、朦朧としていたリューイの意識が浮上する。黒髪に紅い瞳を持つ男性が彼女の手を握りしめていた。
「そんなに大きな声を出さなくても大丈夫、聞こえているわ」
(そうだ、私はルーベンブルク王国からクロディア王国に逃げてきて、この人と……)
「リューイ」
心配そうな顔で彼女を覗き込んでいる彼への愛しさがリューイの胸に溢れる。
(あぁ、もっと彼と沢山の時間を過ごしたかった)
けれど、リューイの身体はすでに限界を迎えていた。
ルーベンブルク王国でフローラ様の従者として育てられていた時、脱走防止のためにリューイは定期的に毒を盛られていたのだった。彼が解毒薬を精錬し延命していたが、ついに終わりの時は近づいていた。
どうして私なのだろうか。
「貴方はこんな所に居ていい人ではないでしょう。私は大丈夫だから、早く戻らないと。今日は大事な会議があるのでしょう」
「そんな事はどうでも良い。私はリューイの側に居たい」
一日のうちにリューイが起きていられる時間はもうわずかだ。できることなら残された時間は全て彼と共に居たいと願う。だが――
「駄目ですよ。お仕事頑張ってください。そして、クロディア王国を、この世界をより良い方向に導いてください」
(私の様な思いをする人がこれ以上、現れないように……)
きっとこれが彼と会える最後になるだろう。
どれだけ貴方を愛しているのか伝えたい。
でも、きっとそれは優しい彼を過去に縛り付ける呪いになってしまう。
リューイはいつも通り、笑顔で彼を見送った。
◇◇◇
一人っきりの部屋でベッドに横たわりながら、お腹にそっと手を当てる。
ポコポコと動く生命を確かに感じる。
こんな私の所に来てくれた、愛おしい魂。
お腹に宿った大切な我が子をちゃんと産んであげたかった。この腕で抱きしめたかった。
なんで私なんだろう。もっと丈夫な身体の母親を選べば、大きく育つことができたはずなのに。
でも、それでも、あなたは私を選んで来てくれたんだね。
ここはクロディア王国の土地だから、精霊に願いが届くかは分からない。
それでもリューイは願わずにはいられなかった。
私の全てを捧げます。どうか、どうか、我が子の魂をお救いください。
 




