9.秘密の舞踏会
父様からの手紙は他の人の目に触れないよう、俺専用の物入れの底にしまった。
さて、これから俺はどう動くべきか。決断の時だ。
例え女の身体だとしても俺が女性の格好をするのは、やはり女装でしかない。
俺の性自認はどうしても男なのである。
女の身体ではあるが、本当は男である事を正直に話すべきか。
はたまた、女装で一年間貫き通すのか。
目を閉じると浮かんでくるのは、絹の様な金の髪に碧の瞳……ジュリア王女の姿である。
俺は戸棚から紙とインクを取り出し、一通の手紙を書き始めた。
◇◇◇
ここの学園では、授業のある日が六日続いた後には丸一日の休日が設けられている。
仮面舞踏会は、はじめて訪れる休日の夜に開催されることになっていた。
そしてついに訪れた仮面舞踏会の日。
会場の最終確認のため、俺とローレン様は開始時刻の二時間前にホールに集合した。
ローレン様は大きな荷物を持った従者を伴い、約束した時刻ぴったりに現れた。
「手紙を拝読しましたが、貴方は一体何を考えているのですか」
「ふふふ、まずは会場の確認から済ませてしまいませんか」
ローレン様の従者から荷物を受け取り、こちらが持参した荷物を交換で渡す。
「お手数おかけしますが、ローレン様と会場確認をしている間、こちらの荷物の確認をお願いいたします」
荷物を託すと、早速会場の確認に入る。
仮面をつける想定ではあるが、さらに個人を特定しづらくするために会場の灯りは最小限に設定してある。
しかし今の時刻ではまだ日が沈んでおらず、窓から射し込んだ西日で会場は紅く染まっていた。
仮面舞踏会の会場として使用するホールは、主に三つのエリアに分けられている。
ダンスを踊るエリアと軽食を取るエリア、休憩エリアの三つである。
休憩エリアは他のエリアと衝立で間仕切られており、ソファーが数台置かれている。
ローレン様と一通り確認をしたが、特に問題はなさそうだ。ここまでは万事予定通りである。
さて、俺の中では、ここからが本番だ。
「それでは、ローレン様。私と衣装の交換をお願いできますか?」
「……やはり、何かの書き間違いや読み間違いではなかったのですね」
ローレン様が額に手をやり、深くため息を吐かれる。
「すみません。大変失礼だとは思ったのですが、こんなことは事情をご存知のローレン様にしかお願いできず……」
「……まぁ、それはそうでしょうね」
苦々しく言葉を絞り出すローレン様を尻目に、俺は休憩スペースの間仕切りに使われている衝立をいくつか拝借して、簡易的な着替えスペースを二つ準備する。
重々しくため息を吐きながらもローレン様は、従者を連れて片方のスペースへと入っていった。
俺の方はマリサを連れて来ていないので、自力で着替えなければならない。
借りた衣装を持って、もう一つのスペースへと一人で入っていく。
女の体型を隠すため予め布で身体をぐるぐる巻きにしてきてある。準備は抜かりない。
ローレン様からお借りた衣装に変なシワが付かないよう慎重に袖を通す。
最後に髪の毛を後ろで一つに結べば、一週間振りの男の格好の完成である。
◇◇◇
「わぁ……ローレン様、とてもお似合いです」
「それは褒めているのでしょうか」
「もちろんです!」
俺が持参した青いドレスを身に纏ったローレン様は、どこからどうみても美しい御令嬢である。今後、男性として生きていかれるのが本当に勿体ない。
だが、このお姿を知っているのは俺だけというのも、また心躍るものがある。
「貴方は……男性の格好をしていても、とても可愛いらしいですね」
「それは褒めているのでしょうか」
「もちろんですよ」
クスクスと微笑まれるローレン様に、俺は手を差し伸べた。
「音楽はありませんが、一曲分だけお付き合いいただけませんか」
一瞬、ローレン様は考え込むような表情を浮かべたが、やがて俺の手をとってくださった。
「……一曲分だけなら」
◇◇◇
夕暮れのダンスホールにステップを刻む足音と衣擦れの音だけが響く。
衣装を交換して欲しいだなんて突然言い出して、一体どんな反応をされるかと思っていたが……今のローレン様の表情はとても明るい。
俺の自己満足に付き合わせてしまい申し訳ないと思っていたが、ローレン様にも楽しめる要素があったのであれば良かった。
そう、今を持って俺は男の自分と決別し、一年間を女装で過ごすと心に決めたのだ。
叶わぬ恋ならばせめてジュリア王女のお側で過ごしたい。
未練がましいかもしれないが、これが俺の出した答えだった。
おそらくこれは父様が望んでいる答えではないと分かっている。でも、この一年を逃したら、俺がジュリア王女のお側に居られる機会はもう一生訪れないだろう。俺は自分の欲望に忠実に生きる。
今回の衣装交換は、在学中にまた男の身体に戻れたとしても女装を続ける意欲が折れないかの最終確認だった。
男として美しい女性と踊るのは、やはりとてつもなく楽しい。
女装で過ごすとなるとジュリア王女どころか在学中に他のご令嬢と結ばれる可能性も全て捨てることになる。
だが、それでも俺は……。
「私がこんな事を言うのはおかしいかもしれませんが……」
「何でしょう?」
「ジュリア王女をよろしくお願いします」
「……はい。もちろん」
何度も自身に言い聞かせて納得していたはずなのに、実際に言葉に出すとズシリと胸が重くなる。
夕日が完全に沈んでしまい、ローレン様の表情は見えなかった。
◇◇◇
二人だけの秘密の舞踏会が終わった後、本番の仮面舞踏会に備えて再びお互いの衣装を交換した。
青いドレスに着替える時、まだ若干ローレン様の温もりが残っているようでドキドキしたのは、ここだけの秘密だ。




