8.手紙
ダンスの授業が終わった後、皆が仮面舞踏会の話題で持ちきりの中、俺はセシリア姉様と連れ立って自室へと戻った。
部屋の扉を開けると、俺達は予想外の人物に出迎えられた。
「セシリアお嬢様、クリス坊ちゃま、遅くなり申し訳ございません。マリサが本日よりお世話に入らせていただきます」
ウェールズ伯爵家が誇る熟練メイドの一人、マリサである。
「マリサ!? えぇっ!! まだ学園生活が始まって三日しか経っていないのに、なぜここにいるの!?」
セシリア姉様が上げた驚きの声に、完全同意である。
ウェールズ伯爵領から王都まで出てくるのに馬車で三日はかかる。
仮に割増料金を払って急がせたのだとしても、二日半はかかるだろう。
父様達が領地に戻るのに二日半、マリサがビーネ宮に移動するのにも二日半、最短でも五日はかかるはずだ。
なぜ、ここに居るんだマリサ。
「旦那様は魔法を使い王都から屋敷に遠隔で連絡をされたのですよ。今すぐ荷物をまとめて大至急王都に出てくるように、と言われた時は何事かと驚いたものです」
遠隔地に言葉を送る魔法の対価は、髪の毛一房が相場だったはず。父様はこの魔法を使うのを普段あんなに嫌がっていたのに……。
父様、ありがとう。この尊い犠牲は忘れない。
「王都で旦那様方と落ち合い、事の経緯を伺いました。本当はノーラも派遣させたかったそうですが、そうすると屋敷が留守になってしまうので私のみを呼び出した様です。旦那様は奥様に、だからもっと従者を雇っておけば良かったのだと叱られておりましたよ。ふふふ」
母様が父様にお小言を言う光景がありありと目に浮かぶ。
なにはともあれ、従者が居ないことで不便を感じていたところだったので、マリサだけでも来てくれたのは非常にありがたい。
「クリス坊ちゃま、旦那様よりお手紙をお預かりしています。誰も居ない部屋で早急に中身を確認して欲しいと仰っていました」
恐らく女装したまま学園生活が始まったことに関して、何かしら助言が書かれているのであろう。
俺はマリサから手紙を受け取ると、自室として使っていた従者用の部屋に入る。
マリサが来てくれたのだから、今後はこの部屋をマリサに譲らなければならないだろう。
さて、俺はどこで寝たものか。
今日も生徒会の集まりがある予定なので、その時にでもベッドをもう一台部屋に入れられないかレオン様に相談してみるか。
俺はベッドに腰掛け、軽い気持ちで父様からの手紙を開いた。
◇◇◇
クリスへ
女装したままの状態で急遽ビーネ宮に連行されることになり、さぞや不安だった事だろう。
私個人の希望としては、男である事を早々に打ち明けてウェールズ伯爵家の長男クリスとして学園生活を送っている事を期待している。
だが、未だに公的文書偽造のお咎めがない所をみるに、恐らくお前はまだ女装を続けているのだろう。
お前に限って女装をするのが楽しくて続けているという事はないだろうから、何か事情があっての事だとは思う。
もし、私に厳罰が下る事を恐れて女装を続けているというのであれば、そんな事は気にしないで良い。お前が私の為に無理をして生活をしていると思う方が、私にはよほど辛いという事を頭に入れておいてくれ。
それ以外の予想外の事が起きて女装を辞めることができないのでいるならば、これからどうするかはお前の判断で一番良いと思う道を選びなさい。
クリスは思いがけない突飛な事をしでかす事があるが、根はまっすぐで道を外れた事はしないと信じている。
そうそう、学園では魔法についても学ぶ機会が設けられていると聞いたよ。
本当はクリスが成人した時に話そうと思っていたのだが……何か問題が起きてしまう前に、お前には伝えておきたい事がある。
私は今までお前に魔法を使わない様にキツく言い聞かせて来たね。その理由を今こそ話そう。
お前がまだ幼い頃、はじめて魔法を試そうとした時の話だ。
手をかざした植物が良く成長する様に願う、半分おまじないのような簡単な魔法を試す予定だった。
だが、お前が精霊に祈りを捧げ始めた途端、畑一枚分の植物が急成長したのだ。
これだけの変化を得るには、どれだけの対価を支払う必要があるのかと肝を冷やしたが、お前は右手の爪の先が僅かに欠けただけだった。
お前が支払った対価は、確かに私が試そうとした魔法のものと同等だった。しかし、この魔法でこれだけの影響が出るなど、私は見た事も聞いた事もなかった。
私は、いつか調子に乗ってしまったお前が無茶な願いをして取り返しのつかない対価を支払う事になるのではないかと恐ろしかった。
だから、お前がきちんと成長して、自分で自分を制御できる様になるまでは魔法を使わないようにと言い聞かせてきたのだ。
これから授業で魔法を習い、実践する事もあるかもしれない。
できる事なら、人前ではあまり魔法を使わないようにしなさい。その代わり、魔法に関する正しい知識をしっかりと学んで来てほしい。
長くなってしまったが、もう一つだけ、お前に話しておきたいことがある。お前が産まれる前、まだ母様のお腹の中に居た時のことだ。
母様は妊娠中に体調を崩してしまい、母子共に大変危険な状態になってしまった。私は全身全霊で精霊に助けを乞いた。
その時、私の強い願いが届いたのか精霊が降臨し、既に魂が離れてしまった赤子の身体に別の子の魂を入れることで母様と赤子を救ってくださったのだ。
精霊様が仰るには、母様が妊娠していた子は元々女の子で、魂は男の子のものだったらしい。
魂の性別に合わせて身体を男に変化させようとしたが、生命力が弱った身体に大きな変更を加えることは危険なため必要最低限の変化だけをさせたらしい。
そうして産まれたのがお前、クリスだ。
お前は身長がなかなか伸びないことや女らしい外見を気にしていたね。
お前には大きくなったら自然に男らしくなれると言ってきたが……そういう訳なので、このままだと今後の成長もあまり期待できないかもしれない。だまして悪かった。
だがそう悲嘆に暮れることはない、身体が丈夫に成長した今であれば、魔法を上手く使い男らしい身体を手に入れることも可能かもしれない。
だが、願いには対価が必要な事は、決して忘れないでおいてくれ。
出来ることならば、これらの話は手紙ではなく直接伝えたかった。
複雑な産まれのお前だが、この話を聞いた事で変に身構える事だけはどうかしないで欲しい。
お前の魂が元々は別な子のものだったとしても、クリスは私達の大事な息子だ。それは、今までもこれからも何もかわらない。
お前達は違うと否定するけれど、セシリアとクリスは本当に良く似た性格の姉弟だよ。
私達は四人で一つの家族なんだ。お前は決して欠けてはいけない大事な一人であることを忘れないでくれ。
クリスの幸せを世界で一番強く願っている。
◇◇◇
……軽い気持ちで読んではいけない手紙だった。
男らしくないこの見た目が、正直今まで嫌いだった。
だけど、この身体が魂を受け入れてくれたから今の俺があるのだと思うと、少しだけこの見た目も悪くはないと思える気がした。




