1.一通の手紙
「た、大変だ!」
屋敷のダイニングルームで朝食後のコーヒーを飲みながら手紙の束に目を通していた我がお父上、ウェールズ伯爵。
ある一通の手紙を青い瞳で凝視したかと思えば、父様は驚愕の声を上げながら椅子をなぎ倒さんばかりの勢いでガタッと立ち上がった。
その場に居合わせた母様、姉様、俺の三人の目線が父様に集まる。しかし当の本人は、栗色の柔らかい髪の毛に寝癖をつけたままポカンと立ちすくんでいる。
「……すっとんきょうな声を上げて、どうしたのです伯爵閣下?」
優雅な食後のティータイムを乱された母様は、眉に非難の皺を寄せながら軽い口ぶりで父様に説明を求める。
母様の艶やかな黒い髪は、父様の寝癖付きの髪とは違い、朝から美しく結い上げられている。ミルクチョコレート色の大きな瞳からは、若い頃はさぞ可愛らしい顔立ちであった事が窺えるのだが、なにせ現在は少々ふと……ゴホン、わがままボディにおなりあそばれたため父様以上の貫禄が感じられる。
「第二王子であるレオン殿下の十五歳の誕生日を祝して、エルンドール国王陛下の名の下、舞踏会が開かれるらしい。そこにセシリアとクリスが招待されたんだ!」
「「「えっ!?」」」
他人事のように父様と母様のやり取りを見守っていた姉様と俺であったが、突然登場した自分達の名前に思わず姉弟で顔を見合わせる。
セシリア姉様は、切れ長の瞳を大きく見開き驚きを露わにしたが、次の瞬間には頬が薄紅色に染まり、母様譲りの豊かな黒髪を震わせながら喜びの表情を浮かべる。
かく言う俺は、父様の発言を未だに呑み込めていなかった。国王陛下が王子が何だって?
「まあ! こんな国の外れのど田舎の名ばかり伯爵にまで声がかかるなんて、何とありがたいことでしょう!」
俺の混乱をよそに、母様の嬉しそうな声が狭いダイニングルームに響く。
父様の持つ領地が国内屈指の田舎にあることは、残念ながら紛れもない事実である。のどかで自然あふれる広大な土地だが、いかんせん人よりも家畜の方が多い程の見事な田舎っぷりである。
そして、領主でありながら好き好んで領民と一緒に泥に塗れて領地を耕す変わり者の父様は、贅沢な暮らしを良しとせず伯爵とは思えぬ質素な暮らしを送っている。
世の伯爵一家は絢爛豪華な屋敷に住み十数人の執事やメイドを召し抱えているものだが、実際我が家はメイド二名を雇っているばかりである。名ばかり伯爵とは、言い得て妙だ。
そんな父様の事を母様は嫌いではないのだろうが、やはり多少は思う所もあるのだろう。息を吐くように父様をこき下ろす母様であった。
父様は自分に向けられた嫌味な言葉をいつもの様にまるっとスルーして、手紙の続きを読み上げる。
「舞踏会には、十三歳から十五歳の子を持つ国中の公爵、侯爵、伯爵家を招待するらしい」
「それじゃあ、我が家のお姫様と王子様に素敵な衣装を準備しないとね!」
「私、舞踏会に出るのなんて初めてだわ! 素敵な殿方との運命の出会いはあるかしら?」
母様は力強く腕捲りを始め、姉様は夢見がちに独り言つ。
ノリノリの女性陣と比べて、俺のテンションはいまいち上がらない。
王子一人の誕生日のためにわざわざ貴族を集める?
男性の成人である十六歳の誕生日ならまだしも、十五歳という中途半端なタイミングで舞踏会を開くなんて聞いたこともない。
通常であれば社交界へのデビューは十六歳の成人を迎えてからなのに、なぜ十三歳から十五歳という中途半端な年代が対象なのだろうか。
来年の成人に向けて王子の婚約者探しでもするつもりなのか?
野郎の誕生日を祝うために、わざわざ着飾って窮屈な時間を過ごすというのは正直言って面倒くさい。
「待てよ……舞踏会は三日後に王都で開かれるらしい……つまり、ここから王都までの移動時間を考えると今日の昼には出発しないと間に合わない!」
「「「えっ!?」」」
父様の衝撃発言により、家は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。
「礼服を新しく仕立てる時間がないですって!?」
「領地の皆に、しばらく家を空けることを伝えねば! あと、馬車を手配してくる!」
母様の悲鳴が響く中、父様は寝癖をつけたままの髪で外に飛び出して行った。
父様と入れ違いで、朝食の片付けをしていた熟練メイドのマリサとノーラが騒ぎを聞きつけて何事かと顔を出す。すかさず、母様がメイド達に言付ける。
「マリサにノーラ。今日の昼から一週間程、王都へ出かけることになりました。家族全員分の荷造りの手伝いをお願い。
セシリアのドレスは一昨年の誕生日に作ったブルーのドレスでいいかしら?」
「ブルーのドレスより、今年作った深紅のドレスがいいわ」
「セシリアには、深紅のドレスね。それじゃあ、ルビーのネックレスも出して来なきゃね。クリスの礼服は……大変! 今の身長に合う物がないんじゃない!?」
そう、俺は十三歳の成長期真っ只中。残念ながら元々が小柄だったので未だに同年代の平均身長には届いていないのだが、少なくとも去年作った礼服は間違いなくつんつるてんだ。
これ幸いとドタキャンを決め込むとしよう。
「とても残念な事ではありますが着ていく礼服がない以上、俺は屋敷で留守番をしておりますよ。あー、本当に残念だなぁ!」
「大丈夫よ、クリス。私のブルーのドレスを貸してあげるわ」
「……は!?」
妙案とばかりにセシリア姉様が胸を張る。
「そうね、国王陛下の勅命である舞踏会を欠席する訳にはいかないし、かと言ってボロボロの普段着で行く訳にもいかない……よし! クリスのドレスは、セシリアに借りなさい! そうしたら、サファイアのネックレスも必要ね」
話は決まったとばかりに動きだそうとする女性陣に急いで制止をかける。
「ちょ、ちょっと待ってください! ご存知だとは思うのですが、俺は男なのですが? ブルーのドレス? 男の礼服ってドレスでしたっけ?」
「大丈夫、クリスは母様に似て可愛い顔しているし、まだ私より身長が低いから一昨年のドレスでサイズはぴったりよ! きっとよく似合うわ」
「セシリア姉様、どこにも大丈夫な要素がないのですが!?」
姉様は俺が地味に気にしている身長のことを的確に攻めながら、トンチンカンなことを言い出す。
「クリス……舞踏会には、国中の美しいご令嬢達が大勢参加されるのよ? それにレオン王子の誕生祝いということは妹君である、国内一の美女と謳われるジュリア王女殿下もきっと参加されると思うけど、クリスは不参加でよろしくて?」
「お姉様、ありがたくブルーのドレスお借りいたしますわね!」
母様に女好きを利用され、速効で意見を翻す俺であった。流石、伊達に十三年間俺の母親をやってはいない。男のプライドと美少女とを天秤にかけると、男のプライドはあまりにも軽かった。
こうして、ウェールズ伯爵の二人の娘が舞踏会に参加する事が決定した。
この安易な選択をこれから死ぬほど後悔する事になるのだが、それをこの時の俺は知る由もなかった。