5.オリエンテーション
翌朝、一番最初に目に飛び込んで来たのは、俺を激しく揺さぶり起こすセシリア姉様の険しい顔であった。
「クリス、起きて!」
「んあ? おはようございます……今、何時ですか?」
「朝の六時よ。昨日は随分と長い間レオン王子と話していたみたいだけど、ご要件は一体何だったの?」
「六時……昨日ベットに入ったのは深夜だったので、あと一時間寝かせてください……」
布団を頭まで被り、二度寝の体制に入るが、そうは問屋が卸さない。
抵抗むなしく、恐ろしい力で布団を剥ぎ取られ、ベットから蹴り落とされたのであった。
◇◇◇
「それで、クリスティーナさんは、美女のフローラ様に釣られてホイホイと生徒会役員になられたと?」
「はい……すみません」
昨日セシリア姉様と別れてから起こった事を包み隠さず白状させられ、俺は床の上で小さくなっていた。
「ちょっと、ウェールズ伯爵家の次女クリスティーナとして名を広め過ぎじゃないかしら? もう一生、女性の身体のままでいるつもりなの?」
「いえ……もちろん、なんとしてでも男に戻り、ウェールズ伯爵家の長男クリスとして生きていくつもりです」
「だったら、なんでそんな軽率な事をしでかしたのかしら?」
セシリア姉様は、どちらかというと外見は父様似だが、中身は完全に母様似だ。
ネチネチとお説教する様が、さっきから母様とダブってしょうがない。
終わらない説教にどう言い訳をしたものかと悩んでいると、丁度いいタイミングでノック音が部屋に響く。
コッ!コッ!
「セシリア姉様、誰かが来たみたいですよ?」
「……クリスは、ここで待っていなさい」
そう言うと、姉様は入口に向かって歩いて行った。
さて、この貴重な時間で言い訳を考えるとしよう。
だが、姉様は予想していたよりも早く、なぜか頬を赤く染めながら戻ってきた。
「クリス、あなたにお客様よ。ヨハン様という素敵な殿方がいらっしゃっているわ」
そういえば昨晩、レオン王子の従者のヨハンさんに諸々の準備をお願いしたんだった。
袖机の上に置いてある巾着を掴み取り、急いで入口に向かう。昨晩の内に、この巾着を見つけておいて良かった。
「おはようございます、クリスティーナ様。ご依頼の物をお持ちいたしました」
そう言うと、ヨハンさんは黒い中型のリュックを差し出してきた。
「おはようございます、ヨハンさん。わざわざお届けいただき、ありがとうございます。
それで、準備においくらかかりましたか?」
中身のぎっしり詰まったリュックを受け取りながら、持ってきた巾着を開く。
巾着の中には、入学時点で全員に配布される学園内通貨が5万ビーネ分入っている。
「いえ、料金はレオン様から頂いておりますので、結構です」
「え……ただでさえヨハンさんの時間と手間をお借りしているのに、料金まで立替えていただく訳にはいきません。頂いたものの対価は、きちんと払わせてください」
これでも俺は、ウェールズ伯爵家の次期当主(仮)である。相手が王子とは言え、必要以上の施しを受けるのは信念に反する。
「いえ、それを受け取ってしまうと、私がレオン様から叱られてしまいますので……」
俺からのお使いという本来ならする必要のない仕事を押し付けられた上、雇い主から叱られるとなるとヨハンさんが不憫である。さて、どうしたものか。
「それでは……お手数ですが、もう一つ頼み事をしてもよろしいですか?」
「はい。お支払いの受取り以外であれば、なんなりと」
「一万ビーネをお渡しするので、これでレオン王子殿下が好まれそうな物を買ってお渡しいただけませんか? 余った通貨は、ヨハンさんのお好きにお使いください」
ヨハンさんは、少し考える素振りをしたが、自身の中で結論が出たのか一つ頷くと爽やかな笑顔で答える。
「そのような形でありましたら、承知いたしました」
よし、何とかレオン王子に借りを作らずにすみそうで良かった。
この軽率な依頼のせいで今後とても厄介な事になるとはつゆ知らず、笑顔でヨハンさんを見送る俺だった。
「先程のお方は、どこのどなたなの!?」
部屋に戻るやいなや、鼻息の荒いセシリア姉様に詰め寄られる。
そういえば姉様は、無類の筋肉好きであった。レオン王子と初めて会った時よりも、遥かに食い付きがいい。
従者に好感度で負けるとは、残念だったなレオン王子。
「ヨハンさんは、レオン王子殿下の従者です。我々が従者を連れていない事を哀れんだ王子に便宜を図ってもらい、ヨハンさんにちょっとしたお使いをお願いしたんです」
「そうだったの。あの服の上からでも分かる鍛え抜かれた身体、なんて素敵なのかしら。ねぇ、クリス。私の恋を応援してくれるなら、私もあなたの生徒会役員の活動を応援するわ!」
あぁ、そういえばセシリア姉様は、他でもない俺の姉様だった……。
言い訳を必死に考えるまでもなく、姉様はヨハンさんにホイホイと一本釣りされてしまったようだ。
◇◇◇
まるで劇場のような立派な講堂で、これからオリエンテーションが執り行われる。
真新しい制服に身を包んだ生徒100余名がすでに集結し、会場内はざわついていた。
舞台の上から見ると、階段状の客席に座る生徒一人ひとりの顔がよく見える。
きっとエルンドール王国だけでなく、ルーベンブルク王国とクロディア王国の生徒も禄な説明もなくこの学園に連れて来られたのだろう、誰もが皆不安そうな表情を浮かべている。
そして何を隠そう、舞台上に王族達と一緒に立たされている俺も不安な表情を浮かべている一人である。
学園生活の初日からいきなり全生徒の目の前に晒され、目立つどころの騒ぎじゃない。
やっぱり生徒会役員を引き受けたのは間違いだったかもしれない……だが、もう後の祭りだ。
開始の時刻となり、レオン王子が舞台の中央に移動すると、会場内は水を打ったように静まり返る。
「これからオリエンテーションを始めます。私は、この学園の生徒会長を務めますレオン・エルンドールです。
突然の事態に、皆さんまだ困惑されている事と思います。
今回の学園設立の背景に政治的要因が絡んでいることは否定できません。三百年戦争の爪痕は、戦後五十年経った今もなお消えることなく、三国の間には深い溝が横たわったままです。
しかし、三国の未来の指導者達が集うという歴史的な機会を我々は与えられました。過去を変える事はできませんが、未来を変えることはできます。
いきなり全てを受け入れるのは難しいかと思いますが、学園生活を送るなかで少しずつお互いを理解していくことが平和への一歩になると思っています。
皆さんの学園生活がより良いものになるように、我々、生徒会でもサポートをしていきます。何か不安や要望がありましたら、壇上に居る生徒会役員メンバーに気軽にご相談ください。
こらから、一年間よろしくお願いいたします」
この後のプログラムが詰まっているため、レオン王子の簡単な挨拶の後は、すぐに舞台から捌ける。これで講堂での俺の出番は終わりだ。
ホッと胸をなでおろし、他の生徒と同様に、学園内での規則やカリキュラム等々についての説明を受ける。
粛々とオリエンテーションが進む中、俺は上の空で説明を聞いていた。
というのも、この講堂でのオリエンテーションの後には、親睦を深めるためのイベントとしてビーネ宮の裏にあるヘーゲル山でのハイキングを計画しているのだ。
生徒会役員主導の下、生徒を六つのグループに分け、自然と触れ合いながら生徒達の交流を促す予定なのだが、俺の引率するグループには何とエルンドール王国一の美女、ジュリア王女殿下がいらっしゃるのだ!
この為に、ヨハンさんに色々と物品を手配してもらったし、準備は完璧だ。
さぁ、これから楽しいハイキングの時間が始まるぜ!
 




