2.婚約者
「お見苦しい所をお見せして、申し訳ありませんでした。妹は馬車に少し酔ってしまい、丁度ドレスを寛げていた所で……」
「いえ、こちらこそ急に馬車の中に入ってしまい、申し訳ありませんでした」
セシリア姉様は先に馬車から降り、俺が身だしなみを整えている間レオン王子の相手をしてくれている。
身体を包んでいた光は、熱とともにいつの間にか消えていた。
しかし、ほんの数分前までは真っ平らだった胸に突如として出現した二つの膨らみは、消えることなく何度見直してもそのままだった。
普段の俺であれば、胸の谷間がこんな目の前にあったらさぞ興奮していた事だろうが、今は戸惑いの方が大きいせいか何も感じない。
それとも女性になったことで、女性の身体に対する興味がなくなってしまったのだろうか?
自他ともに認める女好きの俺にとって、アイデンティティ崩壊の危機である。
俺は、これから一体どうなってしまうのだろうか……。
ともかく、いつまでも馬車の中に立て籠もっているわけにもいかない。深呼吸をして心を落ち着かせ、扉の取っ手に手をかける。
「お待たせいたしました」
「クリスティーナ嬢、先程は大変失礼をいたしました。それと、ご気分はいかかでしょうか」
馬車から降りると、レオン王子がすかさず駆け寄ってきた。
レオン王子の頬は、先程の名残かまだ赤く染まっている。
コルセット姿程度でこんなに動揺するなんて、意外とレオン王子は初心なのかもしれない。
王子といえば、美女を侍らしてウハウハやっている輩だとばかり思っていたが……実はこう見えて、レオン王子は女性経験が少ないのだろうか?
王子に対して少しだけ親近感が湧いた。
「ありがとうございます。お陰様で良くなりました。ところで、私に何か御用でしょうか?」
「はい。お疲れの所かと思いますが、少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
レオン王子自ら出向いての用となれば、一伯爵令息の俺に断わることなどできるはずもなく、黙って頷いた。
立ち話で伝えられない用とは、一体何だろうか?
レオン王子は、セシリア姉様を案内係に受け渡たした後、俺を引き連れてビーネ宮に足を踏み入れた。
ビーネ宮は旧宮殿と呼称されているが、実情は三百年戦争の後期にクーデターを起こすための拠点として造られた要塞であり、内装は実に簡素な作りであった。
しかし、学舎として使う上では十分で、ゴテゴテと飾り立てられているよりも俺の好みに合っている。
石畳の廊下を延々と歩きレオン王子に連れられて来た先は、まだ誰にも使われていない談話室だった。
大きなテーブルが三台と、椅子が二十脚程並べられている。
奥には小さなカウンターもあり、運用が始まればお茶や簡単なお菓子が提供されるのだろう。
入り口に近いところの椅子に、レオン王子と並んで腰掛ける。
「実は、運営の手違いで貴女を男性とカウントしてしまい、部屋の用意が間に合っていない状況なのです。申し訳ありません」
「いえ、そんな王子殿下に謝っていただくような事ではございません!」
むしろ、運営の方はちゃんと仕事をしていたのに俺が女装をしたばっかりに仕事を増やしてしまい、大変申し訳ない。
「部屋の準備ができるまで、セシリア嬢と同じ部屋で過ごしていただけますか?」
「わかりました、何の問題もありません」
こんな事を告げるためだけに、わざわざレオン王子は俺を呼び出したのだろうか?
次の言葉を待っていると、レオン王子は居住まいを正し、言葉を選ぶようにゆっくりと話しだした。
「そして、これからが本題なのですが……クリスティーナ嬢、貴女に本学園の生徒会役員の一人になっていただきたいのです」
「え?」
「生徒会役員は、エルンドール王国、ルーベンブルク王国、クロディア王国の各国から二名ずつ、計六人が選出されます。
エルンドール王国からは、私と一緒に貴女に生徒の代表となっていただきたいのです」
「……私には荷が重すぎます」
田舎の伯爵令息が一国の王子と肩を並べて学園行事を運営するなど、恐れ多い……というのは建前で。
ただでさえ性別を偽っている状況でこれ以上目立つのは、何としても避けたい。
そして何よりも面倒くさい、俺はひっそりと学園生活を送りたいのだ。
というか、ダンスの時も思ったが、何でよりによって俺なのだろうか。
ひょっとして頼める知り合いが他にいないのか?
すると、レオン王子がさりげない仕草で、俺の左手に自身の右手を重ねてきた。
何事かと、王子の顔を見ると、真剣にこちらを見つめるエメラルドグリーンの瞳と視線がかち合った。
「私には貴女が必要なんです、クリスティーナ」
女性の身体になったせいか、もとからイケメンだったレオン王子が、三割増でよりイケメンになって見える気がする。
ここまで来ると、もはや視界の暴力だ、イケメン圧がすごい。
思わず視線を反らしてしまった。
「いいえ、私にできることなど何もございません。どうか、他の方を当たってください」
「いや、君でないと駄目なんです」
ダンスの時といい、見た目によらずレオン王子は押しが強いタイプのようだ。
しかし、ただでさえ身体が女性になってしまったという問題を抱えているのに、これ以上の問題を抱えるつもりは毛頭ない。断固拒否する。
「ちなみに、ルーベンブルク王国からは第一王女と第三王子が、クロディア王国からは第一王子と第二王子が役員を務められます」
俺以外、全員王族じゃないですか。やはりそんな身分違いの所には絶対加わりたくなどない。
……ん? ルーベンブルク王国の第一王女?
「ルーベンブルク王国の第一王女とは、もしやフローラ様の事でしょうか?」
「……えぇ、ルーベンブルク初代女王の再来と謳われるフローラ王女です」
なぜかレオン王子の返事には微妙な間があったが、そんなことは今はどうでもいい。
フローラ様といえば、世界三大美女の一人であるルーベンブルク初代女王に生き写しと云われ、その美しさはエルンドール王国にまで伝わってくる程のお方だ。
あとは、魔法を扱うのが上手いとか何とかとも云われているらしいが、その辺は興味がないのでよく覚えていない。
「私は、どんな才能の有る御人よりも、他でもない貴女に力を貸していただきたいのです」
レオン王子が何だかごちゃごちゃ言っているが、俺の耳には全く届いていなかった。
突然女性の身体になってしまい、女性への興味が消えてしまったのではないかと不安になっていたが……良かった。俺は、まだこんなにも美女との出会いを心から求めている。あぁ、これがひょっとして真実の愛というものだろうか。
俺は、空いているもう一方の手をレオン王子の手に重ねた。
そして、先程は反らしてしまった王子の目をまっすぐ見据えて、力強く答える。
「力不足ではありますが、精一杯務めさせていただきます」
ジュリア王女の時といい、ひょっとしてレオン王子は、俺を美しい王女に導いてくれる精霊の使いなのではないだろうか。
「ありがとうございます、きっとそう言ってもらえると信じていました。それでは早速ですが、明日の打ち合わせをしたいので隣の会議室によろしいですか?」
レオン王子に先導されて、談話室のすぐ隣にある会議室に入ると、そこには四人の人物がすでに席に着いていた。
「呼び出しておいて、ずいぶんと待たせるじゃないか、レオン」
左手に座っている赤い髪の少年が、イライラしている様子を隠そうともせず剣呑な声を上げる。
それを横に座っていた美女が即座に制する。
「おやめなさい。マルク」
まるで竪琴を奏でたような美しい響きを持つ声だ。その御方こそがフローラ様であろう。
あまりの美しさに、彼女の周りだけ光り輝いているような幻覚が見える。何という神々しさだろうか、俺はきっとこの日のために生きてきた。
「レオン様には複雑な事情がお有りなのよ。ねぇ、婚約者さま?」
はあ"あ"あ"ん"?
レオン王子がフローラ様の婚約者だって!?




