琥珀虫
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
う〜ん、今日の挑戦でもダメ臭いなあ。もう結構試しているのに、まだ当たらないなんて……。どこかで試す数字、飛ばしちゃったかな、なんて不安を覚えちゃうよ。
こうした開かずの金庫に手をかけるって、わくわくするよね。ちょっとした泥棒気分、いや、もう持ち主がいないと、泥棒という言い方はふさわしくないだろうか。
ひとまず、今日はこれくらいにしておこう。いつもの場所に戻しておくよ。いうまでもないけど、親には絶対に話すなよ。俺たちの秘密な。
しっかし、こんな草むらの中に金庫を放り捨てていくなんて、何か事件の香りがプンプンしないかい? もし開けることができたら、一躍、英雄になれたりしてね……ふふふ。
――悪の秘密組織に追われて、いろいろとやめざるを得なくなる?
はは、その手の想像に関しちゃ、君の方が力はいるかな。あれが開いた時、中はがらんどうなのか、僕たちの運命を変える何かがあるのか……わくわくしないかい?
金庫などの道具を使った、保管とか封印って心をくすぐってくれるよね。それにまつわる話、最近で聞いたことがあるんだよ。
君の興味を惹けるものだといいんだけど。
創作でも鍵のかかった宝箱、ドラゴンなどの強大な存在に守られた、神秘の宝など、様々な形で貴重品と、それに対するセキュリティが姿を現している。今、俺たちが取り組んでいるダイヤル式の金庫というのは、18世紀から19世紀にかけて隆盛を誇り、それからも使われ続けてきたとか。
それ以前は、錠前のかかった重い扉の向こう。雨風を通さない蔵の中で眠らされることが主流だったという。
そこに眠るものの中には、関係者以外、どうして集めるのかが今ひとつ分からないものも混じっていたらしいんだ。
その商家は、もう数十代続く老舗だったという。室町時代の初めに居を構えて以来、戦火に巻き込まれようと、頑なにその地に店を構え続けたらしいんだ。
お店は世襲制だったらしくてね、店主は初代から綿々と続く血筋によって、つながっていたようだ。
「粕谷誠二郎」。その名前が代々の店主の名前として、引き継がれて商売を続けていたようなんだ。お店で扱っているのは、鎧や刀剣といった武具、和書を始めとした、知識人たちのための教養本、庶民にも手が出せるような小さな菓子まで、色々だったという。
代々の店主は争いごとに巻き込まれず、また大病を患うこともなく、天寿を全うしていく。そうやって数百年の間、商売を続けてきたのだけど、少々、奇妙な習わしも、長年継がれてきたんだ。
それは、店の主人が後を継いだ時に行われる。代々、息子が二十の歳を迎えると、現店主は隠居し家督を譲り渡す。その際に行われるものなんだ。
店の使用人たちが駆り出されて、町の近くの山野へ散り、カブトムシかクワガタムシを捉えてくるように申し付けられるんだ。
角や甲殻、そのほかの身体の具合の良いものが選ばれて、新しい店主の前へ引き出される。
そこから先は新店主に加え、隠居した先代と、番頭たちの出番になる。彼らは献上されたカブトムシやクワガタムシが暴れないように、彼らを、熊手の先が、互い違いにかぶさったような小さな檻の中へ閉じ込めるんだ。
そして、固定した彼らの肛門に、細い細い鉄の棒をそっと差し入れる。
代々、店主たちの間でのみ作り方が伝えられているという、鉄の棒。その先はコハクのように黄色を帯びたあめ色をしていた。
棒を差し入れるのは、わずかに一寸足らず。コハクのついている部分がすっかり隠れたところで止めろと指示されるのが、その深さまでなんだ。中にコハクがひっつくのか、棒を引き抜く時には、コハクは棒の先端から消えてしまっている。
その処置が済んだカブトムシとクワガタムシは、ひとまとめにカゴへ入れられて、店内の鴨居に架けられている神棚。その隣に作られている、蔵を模した棚の扉の奥へとしまわれる。
両手で抱え込めるほどの大きさのそれには、瓦の屋根としっくいの壁。石でできた観音開きの扉に、鎖がしっかりと巻き付けられて、容易に中をのぞけないように作られていた。
入れられたカブトムシ、クワガタムシは生きたまま。彼らは一切のエサを取ることはかなわず、閉じ込められることになるんだ。
番頭たちは、この奇妙な行動の意図を代々の店主たちに伺ったものの、「時が来れば分かる」と、そう返されるばかりだったらしい。
この封印は、現店主が四十二の厄年を迎えた年に、解き放たれる。
当時の番頭たちは、すでに暇をもらっている者も多く、他の使用人たちもすっかり顔ぶれが変わって、当時の封印については知らない者ばかり。
そして、この封印を解くのも、行われるのは真夜中のこと。遅くまで仕事を持っている者も多いこの店では、なかなか手が離せない者も多く、これより主人たちが行うことに、同道できるのは、ほんの一部だけ。
その限られた人たちが語ったのは、次のようなものだ。
現主人が、件の蔵の縛めを解くと、中にはザルに入ったカブトムシとクワガタムシがいる。ただし、我々が山の中などで目にするような、姿ではない。
彼らはすべて、全身をコハクの色に染めていた。その精緻な出来映えが、いかなる職人の手によるものでもなく、自分たちの細工によってできあがったであろうことは、主人と当時の番頭たちより他に、察している者はいない。
主人は虫たちをたたえたザルを抱えると、そのまま店の庭へと歩を進める。
昼間は曇っていたものの、今や空にはぽっかりと月が浮かんでいた。満月と呼ぶには、やや欠けた月ではあったものの、その光が青白く、そしてまんべんなく庭の土と生える木々たちの上へと降り注がれている。
主人がザルを、月めがけて高々と捧げる。すると、庭に満ちていた月の光は、じょじょにその範囲を狭め出す。主人の掲げたザルに向かって集まる光と、それにつれて影に染まっていく庭の木々と、人々。
そしてザルの中へおさまった、コハク色の虫たちのみが、月光の下へと照らし出された時。
風もないのにふわりと、虫たちは浮かび上がり始めた。空へ上がっていくというよりは、糸をつけられて、奥へ奥へと引っ張られていく。そのようにどんどんと、ひとりでに遠ざかり、すっかり姿が見えなくなってしまっても、主人は動かず、騒ぎ出す面々にも「静かにせよ」と一喝。しばし、光も物音も、庭の中から奪い去られた。
さほど、長い時間ではなかったように思う。
コハク色の虫たちが消え去った方向から、足音が聞こえてくる。それはここにいる多くの者が履いている草履とは異なるもの。馬が足に取り付ける蹄鉄が、同じく鉄でできた板の上を渡るかのような、甲高い音がした。
迫ってくる気配はすれど、何が迫ってきているかは判然としない。ただ、先ほど闇の中へと消えていった、コハク色のカブトムシとクワガタムシが一匹ずつだけ、両腕を広げた程度の間隔を持って、宙に浮いているのが、見て取れたんだ。
「――銭の製造、大儀である。望む褒美をとらせよう。申せ」
どこからともなく、声が響いた。これも男か、女か、判断がつかない声。それが、鐘を小さく耳元で鳴らしたかのように、何度も何度も頭の中で反射した。
主人はその場で頭を下げて、答える。
「無病息災、商売繁盛をお願いいたします」
「心得た。だが言わせてもらうが、ここのところ質が落ちておるぞ。今一度、作り方を見直し、よく選べ。あまりに続くようならば、付き合いを考えねばならぬ」
「それはもう……」
主人はにべもなく、頭を下げ続ける。やがて、浮かんでいた虫たちは、また先ほどと同じように闇の中へと消えていってしまう。
それがすっかり見えなくなると、覆っていた雲が、一気に取り払われたかのように、庭へはまた月の光が差し始めたという。
このことは本来、口外しないように伝わっていたんだが、幕末の頃。店が大地震によって、潰れてしまったことが原因で、細々と外に伝わるようになったとのこと。
なんでも大きな地割れがあって、店のあった土地そのものが、地底深くに沈んでしまってね。今は土砂が入り込んで新しい地面を作っているそうだが、店を継ぐはずの粕谷誠二郎の一族は、まるで煙のように姿を消してしまったのだとか。