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自作小説倶楽部 第14冊/2017年上半期(第79-84集)  作者: 自作小説倶楽部
第79集(2017年1月)/「鳥」&「卵」
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01 かいじん 著  鳥 『僕の鳥計画』

「それは……新たな自由の獲得……その挑戦は……続くだろう。……進化し続ける為に。私は思う。レース無くして生きる意味など有り得ない」(エンツォ・フェラーリ)

   ・・・

 学習机の脇に置いてある目覚まし時計は夜の8時40分を差している。僕は1月中旬の凍て付く夜空の下に広がる盆地の田舎町の風景を北の丘陵の上にある家の自分の部屋から眺めた。家の前の左手に竹薮がある為に東の方の町の中心部はここからは見えない。今、僕が見下ろしているのはこの家から200m程坂を下った所を横切っている縦貫自動車道とそこからさらに下った麓に広がっている闇に包まれた町の西の外れの閑散とした風景だ。今は真っ暗で見えないが見渡せる景色の真ん中辺りを右から左に向かって大きな川が流れている。

 川のこちら側も向こう岸も町の中心部から続いている左手から右の方に行くにしたがって街灯や家屋から漏れる灯りがまばらになっていく。特に川の向こう岸の右手は水田が多く広がっているので今は殆ど何も見えない。川の左手の方に架かっている国道の橋が連なった灯火に浮かび上がって見える。しかし少し離れた場所に併設されている単線の鉄道橋の辺りになると今は真っ暗で何もみえなかった。生まれてから中学卒業も間近になって来た今までずっとこの家から眺め続けて来た風景だ。

 僕の家の丁度、真下辺りに縦貫自動車道のPAパーキングエリアがあり、そこから左手の少し離れた所に跨道橋が架かっている。その跨道橋を渡ってそのまま下って行くと下りきる手前に僕が通っている中学校があるのだが、自動車道の向こう側は急勾配になっているのでここからは見えない。

   ・・・

 僕は今日……つい3時間程前に県立S高校入学を志望する事をはっきりと決めた。僕の今の学力でははっきり言ってS高に合格する事はかなり厳しい、と言うより明確に合格圏外にいる。それでも絶対に不可能と言う程の成績でも無い。県立高校入試科目5教科の内、4教科までは一応S高の合格圏内と思われるレベルの成績を何とか取っている。数学の成績だけが致命的なまでに悪い。数学の勉強は他の科目の数倍、いや10倍以上と思える程の苦痛を僕に与えた。そんなものが好きになれる訳が無い。

 僕は今日まで市内にある私立H高校に進学するつもりでいた。H高校なら、わざわざ苦労する事無く入学出来るだろうと言うのが唯一の志望動機だった。それを中学3年3学期の1月中旬の今日と言う土壇場と言うより殆ど手遅れとも思える時期になって本気で翻意する気になった理由、それは同じクラスの相川めぐみの事、結局の所はそれがきっかけだった。

 僕と相川めぐみは3年になった時にはじめて同じクラスになってから1年間多くの時間を主に同じ教室で過ごして来たのだけれども、あいさつやほんの短い間何気なく言葉を交わす事は別にした、親しく口を聞いた事がほとんど無い。彼女は成績優秀で同じ学年の女子の中ではかなりの人気があった。一体、同じ学年の何人位の男子生徒がどの位彼女に気があったのかその数字は少なくない様に思えるけどちょっと僕には見当がつかない。

 僕は成績も普通で授業以外の部活もしていないクラスで特に目立った所の無い平凡な生徒だったけど僕も彼女と同じクラスになってからのこの約1年間ずっと密かな憧れを抱き続けていた。憧れを抱き続けたまま、1学期が終わり、夏休みが終わり、2学期が終わり、冬休みが終わって、3学期がやって来て、受験が迫って、卒業が近付いて来た。

 今日も学校が終わって居間でテレビをつけたまま、ぼんやりと考え事をしている内に相川めぐみの事が頭に浮かんだ。僕が相川めぐみに対して密かな想いを抱いている事はクラスで1番親しい谷口にだけ言った事がある。何かでそう言う話になった時、谷口が気のある他の組の女子の名前を出してその時、僕は仕方なく相川めぐみの名前を出した。中学時代にはよくある話だ。谷口は成績が僕よりかなり良くて高専高校に進学を決めている。まず間違いなくかるだろう。

 相川めぐみはS高を受験してそして間違いなく合格するだろう。相川めぐみには今、少なくとも好意を持っている相手がいる。同じクラスの堂本広穀は、成績がクラスのトップクラスで、秋までバスケ部のエース(他のスポーツも何でもこなせる)のクラスの中心的存在だった。成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗、性格明快、おまけに驚くほど絵が上手かった。当然の事ながら女子の人気は絶大だった。

 元々クラスの中心にいて2人はいつも近い存在だったけど、卒業が近いからなのか、最近はより親密さが増して距離が近付いている様に見える。言うまでも無く堂本の志望はS高だ。

 そう言ったいろんな事を背景に漠然と考えを巡らしている内にある瞬間に突然、頭の中のどこかにあるスイッチが押された。どうしようもない位に僕は腹が立って来た。自分自身に対して。今の自分の何もかもが気に入らなかった。僕は取りあえず気分を静める為にジャージに着替えて夕闇の迫った家の外に出た。軽いジョギングと軽い筋トレ、これだけは元々僕がなるべく日課としてやる様にしている事だった。家のある東西に長い丘陵の頂上部を東に向かって走り1キロ程先にある森の周囲を廻ってから戻ってくる3キロ足らず程のコースを今日はいつもより速いペースで走った。例え今からだと手遅れだったとしても、本気でS高を目指して見ようと走りながら心に決めた。とにかく今の自分に具体的な目標が欲しかった。

(とにかく今の自分より少しでも高い所に飛びたい、羽根だ、羽根がいる。これから(鳥計画)を実行する!)そんな事を心の中で叫びながら僕は薄暗くなった森の周囲を駆け抜けた。

 家に戻って軽い筋トレをした後、夕食と風呂を済ませ僕は2階の自分の部屋に入った。一息ついた後、まずは気分を盛り上げる為に、ジグソーの(スカイハイ)をレコードで聴いた。(千の顔を持つ男)(仮面貴族)の異名を持つ、ミル・マスカラスのリング入場曲だ。

.

  ♪ you’ve blown it all sky high ♪ (君は全てを粉々にして空高く舞い上げた)

.

 女に去られた男が、何故だ? どうしてなんだ? とずっと問い続けているこの歌がどうしてこんなに雄々しいメロディーで歌われているのかちょっとよくわからないけれども、それを考えさえしなければこの曲を聴いていると何だか気分が高揚する。そんな事をしている内に机の上の目覚まし時計は8時30分を過ぎていた。僕は窓から外の風景を眺めた。

   ・・・

 僕は机の上に殆ど使っていなかった数学の問題集を開いて公式を確認しながら2次関数の基本問題の計算から解き始めた。必要な学習量を想像すると気が遠くなる様な気がしたけど、とにかくじっくりと

着実に根気良くやって行くしか他無かった。

 50分やって気合を入れ直す為に腕立てを50回やってその後休憩して、15分後にまた50分後にまた基本的な計算問題から我慢して解いて行った。途中で少し頭が痛くなりかけたけど取りあえず初日はそれを3セット何とかやり切った。

   ・・・

 昼休みにトイレに行って教室に戻ってきたら、クラスのほとんどの人間が5時間目の理科の授業の為に実験室の方に移動していて教室の中はがらんとしていた。

 僕も机の中から理科の教科書とノートを出して準備をしていたら、めずらしくまだ1人で教室に残っていた水原かおりが隣の席から話かけてきた。

「あんなあ、ウチ、松山クンに聞きたい事があるんじゃけど、聞いてもええかな?」水原かおりが言った。

「聞きたい事言うて、何なら?」僕は少し驚いて答えた。隣の席だったけど僕はこれまで水原とそれ程親しく口を聞いた事は無かった。

「松山クン、高校はどけぇ行こう思うとるん?」

「……一応、S高受けようと思うとるけど」少し迷ったけど僕はそう答えた。

「受かりそうなん?」

「いや……今のままじゃったらかなり厳しい」僕は正直に答えた。

「ほいじゃったら、もっと真面目に頑張らにゃあいけんじゃろう。……まあウチもS高行こうかなとか思うとるんじゃけど、今の成績じゃったらちょっと難しいんよ」

「じゃけど水原はワシなんかより、はるかに成績が良かろうが?」でも水原は以前、友達に私立女子のM高校も受ける様な話をしてた気がする。

「ウチはそんな良うないわ。……あんなぁ、朝、模擬試験の結果戻って来たじゃろう? もしよかったら、それ見せ合わん?」少し周囲を見渡してすぐ近くには誰もいないのを見てから水原が言った。

「うん? ……まあ、別にええけど」いきなり言われて少しためらったけど、僕は朝に返された12月の県北地区模擬試験の結果を水原かおりと見せ合う事になった。

 僕は彼女の試験結果を見て驚いた。他の教科はともかくとして数学100点?

「お前、数学ぼっけぇのう」

「松山クンのこれ何なん? 社会100点じゃが! 国語も96点じゃし。松山クン、ホンマは成績ええって聞いた事あるけどこがぁにすごいとは思わんかった」

「ほいじゃけど、数学がひどかろうが」僕の数学は46点で平均を下回っていた。

「じゃけど、松山クンいつも社会の時間、全然授業聞いとりゃあせんのになしてこがぁな点数が取れるん? ……今日も社会の時間、先生の話を聞かずにずっとノートに熱心に何か書きょったじゃろう?あれは一体何を書いとったん?」

「ああ……あれか。あれは戦後の民主主義政治について勉強しょったんじゃ」僕は言葉を濁した。

「ほんでも、S高行くんじゃったらもっと数学を頑張らにゃあいけんなあ。……ウチも人の事は言えんけど」確かに水原かおりの数学以外の成績はそれ程凄いと言う訳では無かったけどそれでも総合点は僕よりかなり良く、少なくてもS高の合格圏内には何とか入っている。

「ほいじゃけえ、今から数学の勉強を徹底的にやろう思うとるんじゃ。……それにしても一体何をどねぇしたら数学で満点なんか取れるんじゃ。」

「じゃって社会とか国語とかは教科書に難しい事がようけ書いてあってそれをぼっけぇ覚えにゃあいけんけど、数学はそんな事せんでも計算して問題を解いたらそれで答えが出て来るんじゃけえ」

 水原の言っている事は僕にはよく理解出来なかった。社会や国語なんかは教科書を読んでいれば内容はその内、勝手に頭に入って来るけれど、数学は公式を覚えれば良い計算問題はともかく、文章問題は自分で計算式を導き出したり証明したりする事が出来ない限り答えに辿り着く事が出来ない。なぜ、あんな難解な事がいともあっさりと出来るのか? そんな事を言っているウチに昼休みの終わりが近付いて来た。

   ・・・

 その日の辺りがだいぶ暗くなってきた夕方5時頃、家の電話が鳴った。僕はその時、ジョギングから戻って来たばかりで、庭にあった椅子に足をかけて拳立て伏せをやっている所だった。僕は廊下に行って受話器を取った。

「はい、松山ですけど」

「もしもし、松山クン?水原じゃけど」電話の向こうで水原かおりが言った。

 僕は正直驚いた。彼女がウチに電話して来た事なんて今まで一度も無い。

「うん」

「ひょっとして、今勉強しよった?」

「いや……もうちょっとしたら始めよう思うとった」

「数学の勉強?」

「まあ、そうじゃの」

「ウチはさっきまで社会の勉強しよったんじゃわ」

「ほうか。頑張りょんじゃの」

「ほいじゃけど、ウチにはやっぱり難しゆうて大変じゃわ」

「ほうか」そう言われても僕にはどう言えばいいのかわからなかった。

「ほんで思うたんじゃけど松山クンに教えて貰うたらもっとようわかるんじゃろうなあて

考えたんじゃわ」

「ワシが?」

「じゃって松山クン、社会とか国語はぼっけえ得意じゃが」

「そりゃ、ワシがわかるとこ教える位なら別に構わんけど……」

「ホンマに? ほいじゃったら明日は土曜じゃけぇ学校は昼までじゃろう。ほんで午後吉川さんとウチの家で勉強しょう思うとるんじゃけどもし良かったら松山クンも一緒にやらん?」

「……ワシはやってもええけど」想定してなかった提案だったけど僕はそう答えた。同じクラスのメガネ女子吉川はるかは5組の飯田(たぶん成績は学年トップの奴)と付き合っているとか聞いた事がある。

「じゃあ、明日一緒に勉強しょうや。やっぱしたまに誰かと一緒にやった方が頑張る気が起きそうじゃし、ようわからん所もわかり易うなる思うけんな。……それにウチも数学位じゃったら松山クンに教えられる思うし」多くの数字と記号を埋め込んだ謎をふっかけて来る、あの苦痛に満ちた荒行の科目を数学位と軽く言い切る水原は凄い。

「要するにタッグを組むと言う事か……」

「タッグ?」

「いや何でもない。……まあ、共通の利益の為には手を組んだ方がお互いに得策と言う事じゃのう」

「うん」

「君も中々、政治と言う物がわかって来たじゃないか」僕はそう言ってみた。

「え?それ何?」水原が言った。

「いや、何でも無い。それじゃあ、取りあえずそう言う事で」

「うん。……ほんじゃあ数学の勉強頑張ってな」

「お互いにな」

「うん」

「それじゃあ」

   ・・・

 電話を切った後、2階の自分の部屋に戻って電気を点け窓の景色を眺めた。外はもうすっかり暗くなっていた。水原かおりの家ははっきりとした場所は知らないけどここからは見えない町の中心部に近い東寄りの方にある。今まで受験なんて僕にとっては孤独との戦いとしか考えた事は無かった。クラスで1番一緒に過ごす事の多い谷口は僕よりかなり5科目を合わせた成績が良く、しかも理数系に強かったけど一緒に勉強するなど今まで考えた事も無かった。考えてみれば水原かおりの言う通り、誰かと協力し合った方が弱点の克服は容易になるし、共通の目的を共有した方が意欲はより持続するだろう。それに県北部の数学成績トップの指導が直々に受けられるのは、その微々たる交換条件と比べてこの上ない幸運と言うしかない。

 何にしてもその後の3年間を決める決戦の時まで後50日を切っている。今日はこれから数学を50分やった後、夕食と入浴を挟んで、その後、再び数学を50分の後15分間で腕立て伏せ50回と休憩のサイクルを3セット。最低限これだけやる。さすがに入試まで数学の勉強だけを続けると言う訳には行かないけれど、とにかく今は数学の克服が最重要課題だ。今はとにかく出来るだけの事をとにかくやり続けるしかない。その後の3年間を自分の力で決める。これ以上明確な目的理由は無い。やるだけの事をやったら、その後の事は全てその後の事だ。

     了

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