01 奄美剣星 著 水 『アクアパフェ』
飛び込み台から二十五メートルプールに飛び込んだスイマーはパッションカラーの水着だった。競技用水着の仕様は二十年前とだいぶ変った。女子選手のものでいえば、スクール水着の延長にあるようなものは派手な花柄になってシンクロに残ってはいるものの、大抵は、ダイビングのウエットスーツみたいな露出度の少ないものが好まれている大変残念な傾向にある。
アサエはシンクロ・ファッション派らしく、私の期待を裏切ない。すらりと伸びた四肢、七対十の法則に則し抉れた腰、身長に見合う均整のとれた双房。――要は完璧なる美しさだといわんとしている。
アサエは高校時代の同級生なのだが、学園マドンナというやつで、高嶺の花の花だ。よくある野球部エースと恋仲というのがもっぱらの噂だった。エースの実家は小さな自動車販売会社をやっていて、そこに嫁いだ。――学校を卒業してから数十年経つのに美貌を保っていた。――娘が一人いる。高校生であのときのアサエと変わらない容姿。
対して私はというと、震災後のUターン組で家業の町工場を就いた。それで先日、市内に四つあるスイミングクラブの一つに入会した。一応泳げるのでスクールではなく、二十時から二十三時枠で、自由遊泳する、週五回月々三千五百円の格安コースを採った。ゴーグル、耳栓、水着、アンダー及びポーチが一式になったのはネットショップ〝アマゾン〟で購入。もちろん、下半身ウェットスーツタイプのそれだ。
ある程度の年齢を過ぎて名士と呼ばれることになったならば、ほどほどの身長と多少出っ張った腹というのもステータスとして悪くない。――私は見た目にはさほど腹はでていない。だが持病の関係で掛かり付け医が、体重を五キロ落とせというので、渋々のスイミングクラブ入会した経緯がある。
学生のころから私は何をやっても真ん中あたりで、背格好も中肉中背で可もなく不可もない程度だった。自慢といえば、その中肉中背が崩れずにいまに至っていること、ホームはガタガタながら体力にまかせて連続五百メートルいけるくらいのものか。――これでも元水泳部員なのだが……。
フィットネスとスイミングが併設されたジムはバブル期によくみかけたものだが、まだこんなものがまだ市内に残っていたのかと感心した。――というかフィットネス&スイミングクラブ〝アクアパフェ〟は真新しい――ボディービルや各種トレーニングマシーンは二階に、プール関連施設は一階にある。プールは二つあり、ほかにシャワールーム、ジャグジー、サウナまで完備されていた。
入会第二週めの週末、二十一時に、ジャグジーで脚を伸ばしていると、アサエ母娘が浴槽に入ってきた。もちろんのこと水着着用。
「あれ、ヒルタ君じゃない」アサエが声をかけてきた。
「母さん、お知り合い? もしかして元カレさんとか?」
「ははは、そんなところね」
「マドンナに名誉元カレにして頂けるとは光栄なことだよ」
そんな自己紹介から始まった。
幸せのテーゼはいろいろある。――どんなに生涯が苦難に満ちたものでも今際に幸せだと感じればそうだとか、生涯を振り返って幸せだと感じた瞬間だけを拾い集めればそうだとか、はたまた、「幸せだなあ、僕あ、君さえいれば幸せだなんだ。な、いいだろう」あとか、エトセトラエトセトラ……。
逆に不幸というのは、家族・自身の貧困やら社会的地位の低さというのがあるのが、最大は、他人と自分の境遇を比較し、嫉妬することだとされている。そういう不満を抱えつつも、鬱屈した場合、犯罪やらカルトやらに走るらしい。
アサエが私を名誉元カレにしたのには全く根拠がないわけでもなかった。
――というのは、後にアサエの亭主となる野球部エースが、一時、他の女子生徒とつきあい始めたから。要はその痴話喧嘩の鞘当てという奴で、それを承知で私は彼女と交際をした。ゆえに卒業して上京した間に二人はヨリを戻し、結婚した。アサエは犯罪でもカルトでもなく私に一次退避し、嵐の後で元の鞘に収まったのだ。
当時を知る級友たちは口をそろえて私に、「お人よし」という。
アサエとエースの披露宴に私も呼ばれた。その際、お色直しをした花嫁のアサエが私のテーブルにきて、「映画『卒業』みたいに、バスに連れ去るなら今よ」といってウィンクした。
「本気にするぞ」そういってウィンクを返し、他の級友たちの笑いをとった。
その新郎エースは華々しい「武勇伝」を残しつつ、五年前に交通事故で亡くなり、アサエは亡き亭主の事業を継いで切り盛りしていた。
*
近況。
アサエの娘ユウカが私の会社に入社してきた。なぜ母親を手伝わないのか訊くと、「職人の子は、丁稚奉公をほかの親方のところでするものなんですよ。そして一人前の徒弟になってから、親の跡を継ぐんです。――社長はこのあたりじゃブイブイいわせてますし、私、実業家として尊敬しているんです」と答えた。
それはありがとう。
だいぶ泳ぎの感覚を思い出してきた。
「社長、母さんの前だとタイムが上がるんですね」
クラブ第一プールの隣コース仕切にもたれかかったユウカが母親と並んで笑っていた。
そういう私はまだ独身。
了




