機織姫
とんからりん。
昔話ではこんな風に書かれていたっけ。
きれいに並ぶ白い縦糸の間に杼を滑らす。
踏み木に乗せた左足に力を入れて踏みおろす。
筬を手前に引いて織り目を詰める。ばたん、と大きな音。
どこがとんからりんなのかしら。
右足に力を入れながら、そんなことが頭に浮かんだ。
無意識のうちに左手が動く。
機を織るのは好き。
何も考えなくて済むから。
嘘。織りあがる布を思い描きながら、手を足を動かしてるわね。
織りあがった布がどんな風に使われるのか、思い描くだけで口元がゆるんでくる。
「満留、いる?」
不意に元気のいい声が飛び込んできた。声で分かる。明良ね。
「入ってきていいわよ」
手を止めずに答える。いつものこと。
引き戸を開ける音。続いて足音。下駄ね。障子に人影が映り、からりと障子が開いた。
「おじゃまー。わ、きれい。今度はどこに納めるの?」
手を止めて顔を上げる。
上がりかまちに腰掛けた明良は、今日は赤い格子の絣に海老茶色の帯を締めていた。自慢の黒髪も結わずに背中に流している。
母を失って途方にくれていた私に、笑顔をくれた六歳年下の女の子。身寄りのない私にとっては本当の妹のようなもの。
「あら、走ってきたの? 顔が赤いわ」
「え? そ、そう?」
彼女は両手で頬を押さえた。
「よっぽど急ぎの用事? もしかして、勝田屋さんからの伝言かなにか?」
勝田屋はこの村で養蚕と機織を一手に取り仕切る組合長だ。明良はそこの一人娘。わざわざ彼女がやってくるほどの急ぎの連絡なら、重大な用事に違いない。腰を浮かしかけた私に、彼女は両手を振って否定した。
「あ、ち、違うの。橋のところから走ってきただけから。もう、大丈夫」
「そう? それならいいんだけれど……これは都の姫さまの婚礼衣装に使われるんですって」
最上の正絹糸を使い、一目一目丁寧に織り上げる。糸を染めずに織る布は、光沢を持った最上級の絹織物になる。
とりわけ今回の注文は、姫さまの寿ぎのための品。難一つあってはならない。
「ああ、父さまが言ってたわ。貴族さまの……いいわねぇ、こんな上等の絹を羽織ってお嫁にいけるなんて」
目をそらして彼女はため息をついた。いつもの明良らしくない。
「何かあったの?」
「うん……ねえ、お茶淹れたげるから、休憩にしない? おはぎ持って来たの」
彼女は振り向いて、風呂敷包みを掲げて見せた。あきらめて、私は杼を置いた。
「いいわよ」
「わ! ありがとう!」
お湯沸かすわね、と彼女は姿を消した。高機から立ち上がって、私は小さくため息をついた。
機織部屋を出ると、明良はちょうど土間の縁台で急須にお湯を注いでいるところだった。いい匂いが鼻をくすぐる。家から持って来たのだろう、こんないい匂いのするお茶は家にはないわ。
頭を覆っていた手ぬぐいを外す。結い上げておいた髪がこぼれてきた。あとで結いなおしておかなくちゃ。
「はい、おまたせ」
「ありがと」
縁台の上に置かれていた風呂敷包みを開く。朱塗りの上等な重箱に納められたおはぎはどれも片手に持ってあまるほどの大きさだった。
「おいしそうね」
「ほんと。おはぎ大好き。あたしも食べていい?」
「もちろんよ。私一人じゃ食べきれないわ」
「やった! いただきまーす」
嬉しそうにおはぎをぱくつく明良。ちっとも変わらないわ。なりは大きくてもまだ子供ね。見ているこちらがなんだか幸せな気分になる。口元が自然にほころんだ。
「おいしい! 満留も食べて食べて」
口の横にあんこをつけたまま、右手のおはぎを差し出す彼女をみて、思わず吹き出した。
「本当に変わらないわね、あなたって」
おはぎを受け取る。笑ったのが気に触ったのか、彼女はふくれっつらをして見せた。
「怒らない怒らない。そういえば。お彼岸だったわね」
「忙しくて忘れてるかなと思って持って来たの。正解だったね」
「ええ、助かるわ。今年は作る暇もなさそうだから」
あの布を織り上げるのにあと一月はかかりきりになる。こういった明良のこまやかな心遣いにはいつも感謝している。ありがとう、と言い、おはぎを皿に載せて母の位牌に供えた。
「……満留のお母さんってどんな人だった?」
縁台に戻ると、彼女は母の位牌をじっと見つめていた。
「亡くなったのがもう十年も前のことだから、あまり覚えていないわ。でも、そうねえ……美人じゃあなかったけど、優しかったわ。機織は上手だったって聞いたこともあるわね。料理は下手だったけど」
湯飲みを手に、明良の横顔を見つめた。
彼女も母を三年前に亡くしたばかり。やはり思い出すものがあるのかしらね。
ああ、やっぱり上等なお茶だわ。いい香り。こんなおいしいお茶はめったにいただけない。
「お父さんの位牌はないのね」
「ええ……知ってるでしょう? どこの誰だかわからない男の子供を身ごもった機織娘の話を」
そっと目を伏せる。これ以上の説明は不要だろう。
「あ……ごめんなさい。そうだったの……」
やはり、知っているのね。うなだれる彼女に、私は首を振って見せた。
「気にしないで。昔の話だもの。さ、いただきましょ」
明良をまねて一口ほおばると、粒あんの甘みが口いっぱいに広がった。
「本当、おいしいわ。仕出し屋さんのおはぎ?」
「ええ、いつもお願いしてるの。一度は作ってみたいんだけど、蚕の世話で手一杯になっちゃって」
「時間ができたら一緒に作ってみる?」
「いいの? 嬉しい。ありがとう」
「どういたしまして。ところで、今回は何の相談?」
手が止まった。ようやく戻った笑顔があっという間に曇っていく。
「満留には分かっちゃうのね」
膝に置いた手に目をやって、彼女はつぶやいた。
「そりゃあ、長い付き合いですもの。あなたのことなら分かってるつもりよ? 明良」
くすりとわらう。決心がついたのか、彼女は顔を上げた。
「あの、ね。あたし、お見合いするの」
「まあ、そうなの」
今年で十六になる彼女に、そろそろそういう話が舞い込んで来てもおかしくはない。
「でも、ね。……好きな人がいるの」
「芳春さんでしょう?」
彼女の目がまん丸になった。
「知ってたの?」
「知らないわけないわ。機織娘の間では噂になっているもの」
村で二番目に大きい養蚕農家の息子。おてんばな明良をからかっては返り討ちにあっていたのはそんなに昔の話じゃない。時の経つのははやいものだわ。
「すっかり立派になられたわね、芳春さんは。誰かさんに泣かされてたのは嘘みたい」
「そ、それは言わないでよ」
両手で顔を隠し、うつむく。小ぶりな耳まで真っ赤になっていた。
「芳春さんなら勝田屋としても申し分ない相手でしょう?」
しかし、うなだれたまま、力なく首を横に振った。
「父上ったら、お前は一人娘なんだから婿を取れ、嫁に行くなんてもってのほかだの一点張りで、話も聞いてもくれないのよ」
「ああ、そうね。芳春さんも一人息子だったわね」
「ねえ、満留。一緒にお見合いに出てくれない? お見合いをぶち壊したいのよ」
今度は私が目を丸くする番。
「一緒にって、家族でもない私が付き添いなんておかしいわ。それにぶち壊すなんて」
家族でもない、と言いながら、胸が錐で刺されたみたいに痛かった。
前に所用で勝田屋に立ち寄った時、ちらりと垣間見た明良の父親・源兵衛を思い出した。職人たちを叱り飛ばす様子は、裏で聞いているだけでも怖かった。
噂ではきいたことがある。頑固で、短気で、強欲。
機織娘をもてあそんだ挙句に捨てたとか、気に入らない下働きをたたき出したとか、言うことを聞かなかった書生を村から追い出したとか。口さがない村の人が教えてくれた。
その源兵衛から間接的とはいえ仕事をもらっている、ただの機織娘に何ができるだろう。
すがりつく明良の視線がつらくて目を伏せた。
「お願い! もう、満留にしか頼める人がいないの。一緒に来てくれるだけでいいの。お見合いは自分でぶち壊すから。満留が近くにいてくれれば心強いの。ね? 亡くなった母様の代わりだと思って、お願い!」
そう言って両手を合わせるかわいい妹に、ため息をつくしかなかった。彼女の母・雪香様には今際の際に明良のことを頼まれたのを知ってのことだ。
「……雪香様を出してくるなんて、ひどいわ、明良。断れないじゃないの」
「じゃあ、来てくれるの?」
今までのはお芝居だったのかと思うほど、明良は嬉しそうな顔をした。
「仕方がないわね。雪香様にくれぐれもよろしくと頼まれてるんですもの。でも、私は一緒にお見合いに出るだけよ?」
源兵衛に直接会う。それだけでも胸がつぶれる思いがするというのに。
「ええ、それで十分よ。ありがとう! じゃあ、早速準備しなくちゃ」
「そうね。お見合いの日はいつなの?」
母様の残してくれた一番いい着物を出して、髪結いも誰かにお願いして。あとは、そうそう。下駄を新調しておかなくちゃ。今使っているのはすっかりだめになってたわ。
そんなことを考えていると、明良は勢いよく立ち上がり、手早く縁台の上を片付け始めた。
「実は、今日なの。急がなくちゃ。あ、満留はそのままの格好でいいから」
「えっ、今日?」
自分の姿を見おろす。作業用のよれた絣に白い前掛け。こんな糸くずだらけの格好で、見合いなどいけるはずもない。
「時間がないのよ。家で着物もおしろいも貸したげるから、早く」
それだけ言って、彼女は私の手首を掴むと走り出した。からころと下駄が小気味よい音を立てる。
「ちょ、ちょっと待ってっ」
こけそうになりながら、小走りに走るしかなかった。
坂を上り、川を渡り、村に入る頃には、勝田屋の大きな屋根が見えてきた。
それだけで、心臓が高鳴ってくる。
「す、少し、休ませて」
「大丈夫よ、もうすぐだから」
すれ違う村人たちに挨拶を返すのが精一杯。白い前掛けをしたままの姿で、なんだか恥ずかしい。
そうこうするうちに、勝田屋の門をくぐり、心の準備ができないまま、屋敷に入り込んでいた。
「お富さん、連れてきたわよ。あたしも準備するから、満留のこと、お願いね」
明良の声に、紺の絣を着た女性が出てきた。
「え? 明良?」
「着物とか準備してあるから。お富さんに髪を結ってもらってね。あたしもすぐ行くから」
じゃ、と明良は屋敷の奥へ身を翻して消えてしまった。
「お嬢さまよりお話は伺っております。どうぞ、こちらへ」
「は、はい」
土間を通り抜け、台所から屋敷に上がりこむ。かすかに見覚えがあった。勝田屋の敷居を跨ぐのは、十年前の母の葬式以来だ。
「お屋敷に上がるのは十年ぶりでございましょう? 満留さま」
前を行くお富さんの言葉に、心を見透かされた気がして、足が止まる。
「え、ええ。あまりよくは覚えておりませんが」
暗い廊下を右に折れる。
「こちらでございます」
すりガラスの引き戸を開けると、緋牡丹が目に飛び込んできた。
「このお着物は……」
甘ったるい白檀の香り。衣桁にかけられていたのは、紺地に大輪の緋牡丹を描いた小袖だった。
十年前のあの日、同じように衣桁にかけられていたものによく似ていた。そんな気がした。
「はい、お嬢さまが満留さまにお見立てした品でございます。さ、時間がありません。お召し代えなさってください。髪結いと化粧は私がやりますので」
こうなってはもう仕方がない。覚悟を決めるしかないわね。
ため息をついて、ガラス戸を閉めた。
「準備、できた? ……うわあ、素敵」
ガラス戸の向こうの人影。戻ってきた明良は、薄紅色の桜の小袖をまとっていた。
「明良……頭が死にそうなほど痛いわ」
普段結ったことのない形に結い上げられた頭が重たくて、振り向くこともできやしない。背中に流した残りの髪の毛がこれまたうっとうしい。
「喋ってはなりません。紅を引いている最中なんですから、我慢なさいませ。これくらいで音をあげてどうします」
お富さんが強引にあごを引き戻す。
「明良、助けて」
目だけで訴える。
「本当、きれいよ。いつもそうしていればいいのに。そのお着物もよく似合っているわ。あたしの見立ては間違いじゃなかったみたいね」
「さ、これでおしまいです。もう動いてもようございますよ」
解放されて、鏡の中の自分を見つめる。小さなかんざしまで挿した鏡の自分は、まるで知らない人だわ。おしろいを塗って、頬紅を重ねて。いつか見た花嫁のよう。
「なんだか別人みたい」
喋るごとに紅を差した唇が動く。なんだかこそばゆい。
「もうじきお見合いが始まるわ。行きましょ」
手を引かれて、ゆっくり立ち上がる。
「走るのは勘弁してね。頭が重いわ」
「すぐそこだから。もう皆待ってるみたい」
ガラス戸を抜け、薄暗い廊下を戻る。そう、浮かれている場合じゃないわ。
一歩一歩、足を動かすごとに本来の役目を思い出す。明良の母代わりとして、きちんと務めなくては。後のことは終わってから。
廊下を幾度曲がっただろう。大広間に着くと、すでに相手は到着していた。
「遅いぞ、明良」
野太い源兵衛の声が心臓をわしづかみにする。お辞儀の姿勢のまま、身動きも出来ずに息を止めた。
「ごめんごめん、準備に手間取っちゃって。満留も入って入って」
明良はさっさと立ち上がると父親の傍へ進んでいく。目を伏せたまま彼女について広間を進むと少し離れたところで膝をつき三つ指をついた。
「でも、ちゃんと連れてきたんだから、約束は守ってよね」
「え……?」
顔を上げると、彼女は舌を出して両手を合わせて拝む仕草をした。
「ごめんね。騙すつもりじゃなかったんだけど、父上が満留を呼び出しにくいっていうから、お手伝いしたの。本当は満留のお見合いなの」
「なんですって? 私はお見合いするつもりなんか……」
「……満留さん?」
聞き覚えのある声。まさか。胸が高鳴るのが分かる。
「そんな……はずは」
おそるおそる振り向いた。夢でありますように、夢でありませんように。
洒落た洋服に身を包んだ男性。短く刈り込んだ髪も、釣り目がちな大きな目も、見覚えがあった。
「晴臣さん……なの? 本当に?」
追い出された、と聞いていた。必ず戻る、と約束だけを残して、目の前から消えた人。愛しい人。
「ええ、ご無沙汰してしまいました。こんなにあなたを待たせるつもりはなかったのですが、五年もかかってしまいました」
晴臣の薄い唇が動く。夢じゃない。昔と変わらない、優しく響く声。
「ようやく横浜の会社が軌道に乗ったので、迎えに来ました。社長にも今許しをいただいたところです」
振り向けば、源兵衛は少し顔を赤らめながら咳払いをした。
「あー、死んだお前の母親とも約束したことだからな。お前を嫁に出すのはわしの責任だ」
「なにごまかしてるのよ、もう。父上ったら、満留の花嫁姿が早く見たいって言ってたのよ?」
「いや、だから、だな……」
源兵衛は口ごもった。今しかない。今聞かなければ、きっと生涯後悔する。
源兵衛に向き直って、三つ指をつく。
「私も、お舘様に直接お聞きしたくて、今日は参りました。私の、父親のことを」
「満留……」
明良が目を丸くしているのが分かる。
「そうか。噂を聞いたのだな」
「はい。母は何も申しませんでした。でも、噂が本当なら、母がかわいそうです」
「あの噂はわしが流した」
「え?」
驚いて体を起こす。
「お前の母……織江は本当に気立ての優しい女だった。わしの縁談が耳に入るとすぐに出て行ったんじゃ。わしと雪香に気兼ねして。お前を身ごもっておったことも内緒にしてな。恥ずかしながら、一人でお前を産んだと聞いたとき、ようやく織江が出て行った理由が分かったんじゃ。織江とお前には本当にすまんことをしたと思う。雪香も最後までお前を心配しておった」
「ご存知だったんですか……」
覚えているのは母の満中陰法要の時。雪香はまだ幼かった私を抱きしめて、泣きながら何度も何度も謝っていた。
「今お前が着ている着物は、織江に初めて作ってやったものだった。どうしても受け取れない、と置いていったものなんじゃ。……織江のこともお前のことも、わしは一度たりとも忘れたことはない。織江には結局なにもしてやれなんだ。許してくれとは言わん。だが、お前だけでも幸せになってほしいんじゃ」
「お……父様」
大粒のしずくが手の甲にこぼれ落ちる。
「さあさ、お父上、私たちはお邪魔ですから席を外しましょ」
明良は目配せをくれると源兵衛……父様の腕を引っ張りあげた。
「ま、まて、わしは……」
襖が閉じられると、広間は再び静けさを取り戻した。
二人きりになったことに気がついて、あわてて顔を伏せる。
治まっていた胸の鼓動が、また激しく鐘を打ちだす。
「満留さん」
「はい」
暖かい声に反射的に顔を上げた。視線の先にいた晴臣は、まっすぐ、曇りのない瞳で私を見つめていた。鼓動が早くなる。
「返事を、聞かせていただけますか?」
彼のやさしい視線が、かたくなに閉ざしていた心の扉をやすやすと開いていくのを感じる。きっと、今の私は耳まで真っ赤になっていることだろう。
視線をはずし、小さくつぶやくのがやっとだった。
すると、彼は不意に立ち上がった。座卓をぐるりと回ってすぐ横に腰を下ろす。
今にも破裂しそうな胸の高鳴りが聞こえているにちがいない。こんな近くに。
顔をそらすと、彼の大きな手が頬に触れた。
「聞こえませんでした。もう一度、言っていただけますか? 私の目を見て」
そっと頬を撫でる手に力が入る。彼の方を向いた私の顔のすぐ傍に、彼の顔があった。息がかかるほど近く。
覗き込んでくる茶色の瞳が、私の心を丸裸にしていく。湧き上がる涙が頬を伝うのが分かった。
「愛して、います」
そう答えるのが精一杯だった。
続く言葉はやさしい唇にふさがれた。
五年の心の空白を埋めるかのように、涙はいつまでも止まってくれなかった。
「よかったわね。こうでもしないと父上、なかなか腰を上げないんだもの」
結婚の約束を交わしたと告げると、明良は嬉しそうにおめでとうと言ってくれた。
「何もかもあなたの仕業だったのね。本当に驚かされたわ」
「あら、お見合いさせられそうになったのは本当よ。だから言ってやったの。切れ者の右腕を婿にもらったらどうなのよって。晴臣さんが横浜で父上のお手伝いしてるのは知ってたから。それに、父上も晴臣さんと満留のことは知ってたみたい。すぐその気になってたもの」
彼女はふふ、と笑って舌を出した。
「本当に驚かされたわ。でも、ありがとう。本当に感謝してるわ」
「いいのよ、自分のためでもあるんだから。そういえば、晴臣さんは?」
「仕事があるとかで、もう横浜へ帰られたわ」
「あらまあ。本当に彦星ねえ」
「彦星?」
彼女は笑いながら指で空を指した。
「ほら、七夕の日にしか会えない彦星と織姫の話があったでしょう?」
「ああ、その話ね」
「そう、でも、二人のおかげであたしも芳春さんとの結婚、許してもらえたわ。ありがとう、織姫」
「織姫って、私のこと?」
あたりまえでしょ、と彼女はまた笑った。
「晴臣さんが入り婿になることを承諾してくれたから、あたしは芳春さんのところに嫁ぐことができるの。ありがとう、満留。いいえ、姉様」
「明良、あなたまで」
茶化すのはやめて、と言いかけて言葉を呑んだ。今にも泣きそうな顔で、彼女は抱きついてきた。
「どうしたの?」
「あたし、ずっと前から知ってたの。満留があたしの姉さんだって。川向こうに住んでいる村一番の機織姫はあなたの姉なのよって、母様から聞いていたの。満留と知り合ってからずっと、心の中で姉様って呼びかけていたの。いつか、本当の姉妹になりたい、姉様って呼びたいって祈ってた。だから、本当に嬉しいの」
すべらかな妹の髪をなでながら、うなずいた。
「私もよ。あなたが声をかけてくれたときは本当に嬉しかった。ずっと本当の妹だったらいいのにって思ってた。大好きよ、明良」
「あたしもよ、姉様。……一つだけ、わがままを言ってもいい?」
「姉様はよしてよ。なんだかくすぐったいわ。……なあに?」
「あたしの婚礼衣装、姉様の織った布で作りたいの。いいでしょう?」
「いいわよ。じゃあ、明良が育てた本繭で糸をつむいでもらおうかしら」
えー、と不満そうな顔。
「だめよ、きっといまのあたしだったら玉繭ばっかりになっちゃうわ」
「ふふ、玉繭だったら私の婚礼衣装に使うことにするわ。約束ね」
「はぁい。しょうがないなあ。がんばって育てなくちゃ」
顔を見合わせて、どちらからともなく笑う。
茜色に染まった七夕の空がなんだか笑った気がした。