3.幽霊に蜘蛛の糸は見えるのだろうか?
突然ですが、私は森が好きです。
小さい頃から身近に森が無く、旅行で田舎に行く時しか現れなかったあの場所が、好きです。
入り組んでいて、全てを閉じ込めてしまうような、人間や人工物を自然に還してしまうようなあの神々しさが好きなんです。
「これで8日目、か」
空は淀みなく晴れていて、雲一つ無かった。しかし、本降りの雨がふくろう亭の窓ガラスを叩いている。
今日は土曜日。普段のバイトが休みで月也はふくろう亭の手伝いを買って出たが、天気雨のせいで客足は伸びなかった。
月也はモップを片手に窓の外を見遣る。
今までよりも間違いなく、強い雨だ。
まるで誰かが泣いているようなーー
「ねえ月也くん」
月やの思考を遮るように、クロエが声を掛けてきた。
「昨日の古新聞に書いてあったんだけどさ……。『魔女の遺品』って、なあに?」
黒縁眼鏡を動かしながら、クロエは不思議そうに月也に迫る。
月也もしばらく考え込んだが、ややあって口を開いた。
「俺も詳しい事は分からないんだけどーー」
「ずーっと昔に、『魔女狩り』があった事、クロちゃんは知ってるだろ?」
「『魔女狩り法』の事ね。勿論知ってるわ」
「言うなら、『魔女の遺品』は狩られていった魔女達が遺していった"もの"らしい。蒐集癖の姉ちゃんが集めてるんだ。何か特別な"もの"なんじゃないか?」
「特別な……。」
クロエは楽しそうに想像を膨らませる。
「"魔法"みたいな?」
クロエが続けた言葉に、月也が何度か頷く。会話が切れてしばらくモップ掃除を再開していたが、クロエがまた訊ねてきて手を止めた。
「月也くんは今までどんな『魔女の遺品』を集めてきたの?」
「あれが初めて」
「あのヘンテコな人形が?じゃあ実際に魔法は見た事ないの?」
きょとんとした顔のクロエに、月也はつまらなさそうに頷いた。
「へえ、魔法ね。何だかファンタジー小説でも読んでいるみたい。」
二人は作業の手を止め、仏国製ソファーにもたれながら窓の外を見上げる。
美しい空には雲一つない。
しかし雨は降り止む気配を見せなかった。
存外あり得る話かも知れないぞ。
カップの擦れる音に気付いた月也とクロエには、音無の目線がそう言っているように見えた。
音無の表情が続ける。
何てったって"怪物"の跋扈する世界なんだ。"魔法"の一つや二つ、残っていてもおかしくはないだろう。
「音無さんも、時々変な事考えますよね。」
クロエはコーヒーを片手に微笑む。普段から生真面目に働いている音無も、今日の客足の伸び具合に我慢ならなかったのだろう。
クロエの言葉に頷きながら近くの一人席に座った。
月也も音無の淹れたコーヒーを一口。
一瞬眉をひそめたが、気にせずコーヒーを飲み続けた。
見かねた音無が、少し驚いた顔で月也に訊ねる。
月也、いつの間にブラックが飲めるようになったんだ?
「昔から飲めたよ、このぐらい」
ぷい、とそっぽを向ける月也にクロエが肩を寄せてくる。人を揶揄う時の目だ。
「月也くん、やせ我慢でしょ。顔色悪いよ?」
「黙っておいてくれよ、クロちゃん」
月也にブラックコーヒーは早かった。文字通り月也は苦々しい顔でカップを戻した。
「もう、我慢する事ないのに」
「音無の兄貴、俺コーヒーは甘くないと飲めないの知ってるだろ?」
批難の目を音無に向けると、
悪い、悪い。
笑いながら月也のカップを掠め取り、コーヒーシュガーと少量のミルクを加えにカウンターに戻っていった。
しばらくの間、月也は窓の外を眺め、クロエは読書に没頭し、音無はカウンターでグラスを磨いていた。
雨は止む気配を見せず、客は一向に来ない。
「一つ、気になった事があったんだけどさ」
不意に月也が、どちらに向ける事なく切り出した。
「姉ちゃんは何でこの天気雨が"幽霊"の仕業だって気付いたんだろうな。」
月也の一言に、クロエが思わず本を閉じて半身を起こす。「確かに。」
「ーーそもそも"幽霊"って何なのかしら?」
クロエが気難しそうに月也に訊ねる。
「死んだ人間の事じゃないのか?」
「死体じゃなくて?」
「魂の方だよ。それはゾンビだ」
「でも人間の魂は死んだら天国に行くから。そうしたら幽霊は天国に居るものじゃないの?」
「地獄に行く場合もあるよ。クマの糸って有名な話があるだろ?」
「それは蜘蛛の糸」
「……まあ、とにかく。クロちゃんの言う天国に居る"幽霊"が偶々何かの事情でこっちの世界に戻ってきたんじゃないのか?今までの話をまとめると。」
「でも何の為に?どういう方法で?」
「ううむ」
クロエが詰め寄るのを、追い返せなくなる月也。
「この世界にやり残した事があった、とか」
何とか絞り出してはみたが、果たしてクロちゃんが納得してくれるだろうかーー。
「成る程。言われてみれば確かに、そうなのかも!」
月也の心配を余所に、クロエはあっさりと引き下がった。
とんだ拍子抜けである。
その間にもクロエは仏国製のソファーから立ち上がり、
「私、学校の図書館で調べてくるね。気になってしょうがないもの!」
心底楽しそうにふくろう亭を出て行ってしまった。
「あ、待てよクロちゃん……!」
クロエの後を追おうと月也も立ち上がるが、目の前に何かが立ち塞がる。
「おうおう、急いでる所悪いけどよ、月也。ちょっと付き合ってくれ」
クロエと入れ替わりで帰ってきた比留間と見覚えのない黒い中折れ帽子の男だった。
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面影川の源流は森の中にある。
その森は毎日のように雨が降っていて、雨が降る森はどんな玄人であろうと迷ってしまう。
雨粒に視覚を惑わされ、木々に感覚を奪われて、
木の根に足を取られて降り止まない雨に体温を奪われると、
ゆくゆくは森に出る獣の餌となる。
"雨降る森"に近付くな。
帝都の子供は親に言い付けられて育つ。
例え雨粒に惑わされなくとも、光る石を撒いて帰ろうとしても
きっと好奇心は、森の中の幽霊屋敷に吸い込まれるーー。
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月也は左腿に着けたポーチからバタフライナイフを取り出して、絡まり合った蔦のバリケードを切り裂いて進んだ。
足元には小さな水脈ーー恐らく面影川の源流に続くものが流れている。
本降りだった雨もようやく上がって、何とか視界は確保出来ていた。
「(まあ、姉ちゃんが俺を呼び止める事なんだ。『魔女の遺品』絡みの商談だなとは思ったけどーー)」
一度、自分の来た道(道と言えるか分からない獣道だが)を振り返ってみる。
陽が既に傾き始めていた。
木々が揺れて、シマリスが隙間を駆け抜けていくのが見えた。
「(まさか、また来る事になるとは)」
再び前を向き直す。
月也の足元には、先程の獣道とは打って変わって、石畳の道が続いていた。
腐葉土に侵食されかけている道を進めば、そこには一軒の古い屋敷が気配もなく現れる。
「(あの帽子の男が妙な事言ってたけどな。本当に変な依頼だ。ーー姉ちゃんのリクエストさえ除けば。)」
"雨降る森"の古屋敷。
此処は帝都の子供に恐れられる、興味が湧けば最期、二度と戻れない幽霊屋敷だった。




