2.魔女の遺品と霧雨
コーヒーサイフォンについて知ったのはつい先日の事でした。
何度も構造を学んで、淹れ方を読み直してみましたがよく分かりません。
ただ、何度も熱湯が行ったり来たりするのは分かりました。時の流れに逆らう水は面白いものですね。
雨の日はコーヒーなんてどうですか?
ふくろう亭のコーヒーは、主流はペーパードリップ式だが他にもコーヒーサイフォンとエスプレッソマシンがある。エスプレッソマシンについてはよく音無が使っているのが見受けられるが、コーヒーサイフォンは化石のように埃を被っている。
比留間は四人用のテーブル席で音無からブラックコーヒーを受け取り、隣に座るクロエはカプチーノを受け取った。
「わあ、ウサギだ」
音無の粋な計らいーーラテアートにクロエが声を上げると、クロエの向かい側に座る月也がつまらなさそうに「ふうん」と音無が差し出してきたカフェオレ片手に唸った。
「月也くん、ウサギ嫌いなの?」
「いいや、そうではないんだけど……」
訝しげに見つめてくるクロエに、月也は誤魔化すようなジェスチャーをする。
「なんだろう、同族嫌悪、って、ヤツ?」
「……月也くん、ウサギなの?」
「ううむ」
少し口が滑ったか。
考え込む月也に、眼鏡を動かしながらクロエが迫る。
「でも月也くんニンジン嫌いでしたよね。目も赤くないし、前歯も鋭く……」
「やい、もういいだろクロエ」
鼻がくっつきそうになる距離まで迫ってきて、ようやく比留間がクロエを言葉で制した。
帝都2番街にある有名な女学校に通うクロエの癖は、このように自分が気になったものはどこまでも追求してしまう事だ。
この癖が成績優秀の秘訣という事は、言うまでもないが。
姉ちゃんのおかげでややこしい事にならなかったぜ。月也は命拾いした事に感謝しつつ、姉の意図を汲み取って自分の鞄から色褪せのひどい古新聞と両腕がS字に曲がった奇妙な人型の彫刻を取り出した。
「姉ちゃんの欲しかったもの、これだろ?」
月也の隣に座っている音無が不思議そうに二つを見る。
これは一体何だ、と目線で月也に伝えるが、それよりも早くクロエが口を開いた。
「どうやら、昔旧都で発行されていた新聞のようですね。んーとどれどれ」
クロエが新聞を読み上げると、内容は月也が持ってきた人型の彫刻に関わるものだった。
「石膏の魔女が遺した貴重な一品!
××美術館にて、本日より一般公開……」
クロエが古新聞を読み終えると、比留間がゆっくり頷く。
満足のゆく品だったようで、先程からにやついた顔で月也を眺めている。
「姉ちゃんの言う通り、旧都の中央遺跡群で見付けてきたよ」
「両方か?」
「いいや、彫刻の方は違う場所だけどな……」
「その、違う場所って?」
クロエがまた興味津々に訊ねると、月也は一瞬迷う素振りを見せた。が、首を横に振るだけで答えなかった。
「うーん、気になるなあ。月也くん、いつもなら迷わず教えてくれるのに」
またもや窮地に立たされる月也。
いよいよ誤魔化せはしないか。気まずそうに口を開こうとすると、意外にも今度は音無がクロエを制した。
その辺りにしておけ。クロエに音無は横顔で語る。
クロエは渋々引き下がり、代わりに空になったカップを手に「おかわり下さい」と言う。
二杯目のラテアートは蛙だった。
「ま、入手ルートはいちいち気にしないよ。アタシに厄介が回って来ない限り、どんな方法を使ったって構わないさ。」
比留間が不敵な微笑で言い放つと、人型の彫刻を手に取った。義手である赤錆色の左手を顎に充てて、ふくろう亭の照明に彫刻を照らしている。隅々まで観察する目は、自然から抜き取られた芸術を愛でているものに近かった。
姉ちゃんの言う通りの品は揃えてきたのはいいものの、一体何の価値があるのだろう。
月也は頬杖をついて比留間を観察していたが、やがてつまらなくなって窓の外に目線を移した。
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霧雨が、撫でるような音を立てて降っている。
辺りは既に夜の闇に飲み込まれていた。
しかしここは"怪都"と呼ばれる6番街。
早々に街は眠らない。
夜空には、ネオンの光に負けじと月が煌々と輝いていた。
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「天気雨も今日で何日目だろうな」
月也が何気なく呟くと、比留間が彫刻から目を離して、物珍しげに月也を見遣った。
「月也がそんな事言うなんて珍しいな。狐に化かされたのか?」
比留間の一言にムッ、とした顔で月也が反撃に出る。
「いつまでも脳天気なアホだと思われちゃ困るぜ姉ちゃん。それくらい気付くさ。
クロちゃんも音無の兄貴も、何とか言ってやってくれよ」
月也が交互に二人を見る。
しかしクロエはクスクス笑って
「ごめん、月也くんが阿保じゃないのは言えるけど、脳天気なのはちょっと……」
音無は不敵に笑って
まだまだやんちゃ坊主だな。
と、目線で語り掛けてきた。
「おいおい、何だよ二人して。」
二人を責めるように睨むが、斜め前で「あっはっは!残念、ガキはガキのままだな!」などと、豪快に笑う比留間が見えた。
瞬間、比留間に飛び付こうとする。
ーーが、見た目からして元軍人のような比留間に月也が叶う筈もなく、赤錆色した機械の左手に押さえ込まれてしまった。
「月也くん、そういう所が、ちょっと子供っぽい」
まあ、そういう事だ。
音無が同情するように月也を見つめる。
「お、おい姉ちゃん、放せっての!」
必死になってもがく月也を楽しそうに眺めた後、
「分かった、放してやるよ」
と、比留間は言ってーー月也がテーブルの上を飛び越える形でーー月也を投げ飛ばした。
「"放す"違いだああぁぁ……!」
月也の悲鳴が店内に響いた後、壁の装飾品が壊れる音、月也が地面に引きずり落ちる音が続いた。
店の壊れた装飾品(今回は小さな絵画五点ほど)を見て、比留間は肩を落とす。
「こりゃ、ちょっとやり過ぎたかな」
「比留間さん、今回"も"やり過ぎです。自営業じゃ無かったら、とんでもない損失ですよ。」
「なあ、俺の心配は?」
月やの声にクロエが顔を逸らす。
代わりに比留間が逆さまの状態になっている月也に答えた。
「恐らく天気雨の原因は"幽霊"だ。怨念か何かが降らせてるだけだろう。」
「今日でちょうど一週間になるが、そのうち消えて無くなるさ。」
「答えになってねぇ!」
「あぁ?ちゃんと答えただろ。この天気雨の原因ーー」
「そうじゃなくって、俺の心配はしてくれないのかって!」
月也が思わず叫ぶと、比留間は満更でもない顔で言い放った。
「男ってのはな、打たれ強い位が丁度いいんだよ。」
「それも答えになってねぇっつの」
クロエがカプチーノの最後の一口を飲み干して、音無に締めくくるように言った。
「つまり、心配はしていないんですね。」




