魔王さまと宰相様
◆痴漢の指は折っていくスタイル
「我輩、痴漢の指はケツ圧で折っていくスタイルでいこうと思うんだ」
「痴漢じゃないから折れませんよ」
とあるマンションの一室。白を基調とした部屋の真ん中に置かれた青いラグの上、長身の全体的に黒い男がケツを鷲づかみにされていた。
最近、梅雨も明けたとかで、もう季節は順調に夏に向かうばかりとなっている。気だるそうにラグに座った黒っぽい青年はクーラーも効いてきた部屋で、ちょうどうつらうつらとしているときだった。
突然ケツをつかまれたのだ。振り返ればそこには笑顔で青年を見上げる者がいた。
「え? ええ?」
青年は思わず引きつった笑みを向けた。
「うふふ」
そんな青年の表情に気付いているのか、いないのか。ケツをつかんでいるやつはニコニコと笑顔を保ったままでいる。
青年はケツをつかむ手を払って立ち上がった。
「じゃあどうでもいいから折っていくスタイルで!」
「それおまわりさんに捕まりますよ」
「こっ! このひと痴漢ですって言ってれば正当防衛になりますぅ」
「あまいですね、過剰防衛というものがありますよ」
「あっ……と、ほら、指を折るくらいなら普通に正当防衛です」
「状況によっては過剰防衛適用されますけれど」
そこで青年は、ぐぬぬと一瞬黙ってしまった。しかしこの間、終始ケツをつかんだヤツは笑顔のままであった。青年はしばらく唸っていたが、キッと視線と指をヤツに向けると腰に手を当てた。
「だって痴漢ですよ!」
「痴漢には冤罪というものもあります。大体私は痴漢じゃありませんし」
「ふっふっふ……。勝ったとしても疑いをかけられた痴漢の方が負う社会的抹殺!」
「最近は冤罪も多いですからねぇ。一方的な判断はしづらくなっている世の中です。そしてなにより……」
笑顔を保っていたヤツがそこで突如俯いた。
「ハムスターに人間の法律が通用するとでも思っているのですか!」
クワッと目を見開いたのは、ハムスター。
そう、青年の部屋に侵入し、突如尻を揉んだ相手は彼の側近であるオレンジ色のハムスターなのであった。
◆人権について
青年はニヤリと笑うと腕を組んだ。
「ハムスターに人権があるとでも?」
「でしたら罪もきせられませんよ」
悪巧みをしていそうな青年の様子に比べてハムスターは非常に冷静であった。そんなハムスターの態度に煽られたのか、単純に馬鹿なのか。青年は非常に遺憾であると顔で語っていた。
「罪があろうとなかろうと問答無用で潰してもいいってことですよねっ」
「え、まさかつぶせるだとか淡い期待していたのですか? 甘すぎますね。太陽系一週間で出られるとか思うくらい甘すぎます」
「え? 余裕ですよね? 私なんたって人類ですよ? 人類。生態系の頂点に君臨しちゃったりする人類ですぞ?」
「動物愛護協会に通報……」
「そんなものは知らぬ!」
言ってのけた。
本気で知らないのか、本当に気にしないのか。それも定かではないが、随分とはっきり言ってのけた青年であった。
「ふはははは!」
そして、あまつさえ高笑いまであげ始めた青年を見て、ハムスターはポツリと一言。
「さすが魔王」
「この我輩にかかればそのようなも……って誰が魔王!」
どうやら団体については知っていたらしい。胸を張った青年――魔王が誇らしげな表情になったが、すぐにハッとした表情になった。ハムスターはニパァと可愛らしく微笑んだ。
「魔王さま!」
「人間だ! わたしは人間だ!」
「いやですね~そうやって人間社会に隠れようとして」
「わ、我輩には生まれながらにして基本的人権という最強の能力が備わっているのだぞっ!」
「またまたぁ~魔王にそんなのある訳ないじゃないですか。しっかりしてくださいよ~」
「ち、ちがぁう!我輩は人間だ!」
魔王は涙目になった。
こんなご時勢である。人間が天下をとってもう何百年も経った世の中では、数々のモンスターたちはすでに新人種として認められていた。
人間である方が色々と便利なのである。
「そんな人間のふりなんてしなくていいんですよ。魔王さま」
「いやだもん!我輩だって人間だもの! まおを」
涙目の魔王は水色のラグにすがりついた。そんな魔王をハムスターは笑顔で見つめる。
「聞き分けのない魔王さまですね。勇者連れてきますよ」
「勇者なんてあいつ人外だもん…権利保証されてなくても生きていけるもん絶対……」
「勇者はそれだけで特権ですからね。逆に魔王は……」
「だから我輩人間ですしー? 基本的人権保障されてるから勇者とかいう特権階級の不法侵入者が来ても黙秘権とか主張できますしー?」
「魔王さまなにをおっしゃっているのですか。魔王さまにそんなもの1ミリもある訳ないじゃないですか」
ハムスターは小バカにしたような笑顔で手を横にブンブン振った。魔王はむっとしたようだ。頬を膨らませた。
「我輩魔王とかじゃないから仮に犯罪犯していたとしても罪状が確定して裁判所から逮捕状出されるまでは拘束されることもないし? 判決が出るまでは殺されたりするわけないし? いやぁ、あっはは! 人間最高! 我輩人間に生まれてよかった!」
「えっそんなことしたんですか!?」
「え? え? 仮に、っていうさ、仮の話だよね? ハム宰相君」
「魔王さまなんてことを──」
「勇者も馬鹿だよなー! だって前なんて問答無用で城に入ってきて? 隙をついて我輩を拘束して? 挙句、「これがお前の贖罪だ!」とか言って? 聖剣ぶっさして死刑とか! いつの時代ですかぁ個人法ですかぁ独裁者なんですかぁってな! ……えっ? あれ? なんで我輩生きてんの? あっはっはっは」
「魔王さまごまかしがへたくそですね」
「……えっ?」
「えっ」
「えっ、ちょっとハム宰相ちゃん何いっちゃってんのー?わ、我輩が何したっていうのよー?名誉毀損で訴えちゃうぞ」
「魔王さま、それは人間の権利でございますから魔王さまには適応されません」
「だからー我輩人間ですしー」
頬を膨らませていた魔王は、表情に『目をつりあげる』を追加した。非常に駄々っ子臭が漂っている。
「もう~魔王さまってばお茶目な冗談言っちゃって~」
「ハム宰相君こそハムスターじゃない? やばくない? 殺されても相手罪にすらならないよ?」
「私は問題ございません。国から護られておりますから」
「え、我輩なんて国家の最高権力者だったんだけど……」
「いいえ、魔王さまは勇者に倒されるという権利を有しているだけです」
「え、それ権利なの? え、権利? せめて義務であってほしかったなーそれ。我輩喜んじゃってるじゃないですか! なに、我輩どえむなの?」
「え、どえむなんて今更ですよ。勇者に倒されるのは魔王さまの権利でございます。だって勇者に倒されるのは魔王さまなのですから」
「え、宰相君それおかしいよね?説明になってないよね!?」
「魔王は勇者に倒されて初めて伝説となるのですよ。ですから勇者以外に倒されてはいかんのです。という訳で魔王さまの当然の権利です」
「そうなのか……って我輩魔王違うし!」
「魔王さまは勇者と対等に戦える権利をお持ちなのですよ! 例え人権がなくとも!」
「いらないです!人権をくださぁい!」
「無理です魔王さま」
にっこり笑ったハムスター、もといハム宰相に魔王は頬を引きつらせたのだった。
◆魔王さまのお仕事
「えーー」
魔王は水色のラグに突っ伏した。ハム宰相はそんな魔王をつんつん突いている。
「えーじゃないでしょ魔王さま」
「じゃあちょっと宰相君代わってよ」
「無理ですよ。魔王さまは魔王さまなんですから」
「我輩魔王違うし! もうやめたし! 今日からハム宰相ちゃんが魔王だし!」
魔王はじたばたと暴れた。水色のラグに手足をこれでもかと叩きつけている。
「だだこねないでくださいよ魔王さま。辞められる訳ないでしょう。もう今まで何回辞めるって言いましたか。その度に勇者や市役所に説得されて洗剤セットもらってるんです。いい加減にしてくださいよ」
「やだもんやだもん!もう今日という今日は本気でやめるもんね!」
ガンガンと床から聞こえてはいけないような音が聞こえてくるような気がする。ハム宰相は肩を落として深い溜息をついた。
思春期から抜け出せない子どもを息子に持った主婦のようなたたずまいであった。
「また魔王さまがだだこね始めたよ……市役所の人たちもここまで来るの大変なんですよー我々だって勇者の名をかたる奴を倒してるんですから、魔王さまは本物の勇者と戦う仕事くらいしてください」
その言葉に魔王がピクリと動いた。
「え、偽勇者? 倒してくれてるの?」
腕で身体を持ち上げ上半身を起こした魔王とハム宰相の目があった。
「……あっもしかしてー? もしかしてもしかしてー? 宰相ちゃんつんでれ? つんでれなのっ? 実は我輩の為に来る勇者全部偽物っつって殺してくれちゃっててーそんで我輩が老衰死するときに傍らで「魔王さまの勇者は老いでしたね…」って囁くわけね?」
冷たさすら感じさせるほど整った魔王の美麗な顔が崩壊していく。あられもないニヤニヤ顔である。
「はい、本物の勇者とはちゃんと話し合いをしておりますよ。向こうは向こうで偽物の魔王が来るんで大変そうでしたね~仲間がいつも偽物を倒してくれてるらしくて」
「ちょっとー照れるなってー! そんなごまかし、我輩には聞かないぞっ! ほれほれー」
魔王はニヤニヤと楽しそうにハム宰相をうりうりと撫ではじめた。
「魔王さまめんどくさいです」
「ツンツンしてるなー! ふふふふっ! ハム宰相君ってばつんでれー!」
「魔王さま……遊んでないで勇者と闘って倒されてくださいよ。我々も仕事がたまっているんです」
「つれない! ハム宰相君ってばつれない! でもそこがいいの! なんっつって! なんっつって! ふふっ! 本当は仕事なんてほっぽり出して我輩を守りたいんでしょー?知ってるんだからね我輩」
テンションマックスな魔王に対して、宰相は今まで浮かべていた笑みすら消していた。無表情。吐いた溜息は地の底を這うほどである。深い。
「魔王さま暑さで頭湧いたんですか。今年も市役所から遊園地のチケットが送られてくるんですから、ちゃっちゃっと倒されて行きましょうよ」
そして無表情に魔王のケツを摘み上げるのだった。
◆
「……ねえ、これ毎年我輩である必要あるの?」
うだるような暑さの中、アイスのように溶け出しそうな無気力な表情で魔王が言った。
屋外は快適なマンションの部屋に比べるもなく不快な空間であった。魔王が生まれた頃にはまだ寒気であったりしたのに、最近では温暖化とかで平均気温が徐々に上がってきている。
宰相に諭されてようやく外に出た魔王であったが、ここに来てまたごね始めていた。
「もちろんありますよ。このエリアの魔王さまはこのエリア担当の勇者に倒される仕事なのです。それを放棄してしまうとカオスに呑み込まれアイスクリームも食べられなくなりますよ」
「むぅ……別にさぁ、今の時代特殊メイクとかあるわけだし魔王なんて他の奴でもできると思うのよね。ね、そう思わない? 宰相君」
「一度そういう提案はあったんですけどね。ほら、みんな人間でしょう? やっぱりきつかったらしくて、労災受けて辞めましたよ」
「えー! だってさーあれ腹に剣貫通させられるくらいでしょ?別にさ、我輩じゃなくても余裕だと思うのよ、うん」
「そんなことしたら人間は死んじゃいますよ。魔王さまだから毎年お祭りの如く開催されるイベント的に倒されているんじゃないすか。何より我々は人間じゃないんですから税金も納めてないんですよ。これくらいしなきゃ人間界にいられません。固定資産税は取られてますが」
「え、や、だから言ったじゃん。我輩人間だって。その証拠に固定資産税だけじゃなくて消費税だって払っちゃってますしー?」
魔王は声を震わせて言った。まだ魔王であると認めないスタンスでいるらしいです。
「魔王さま戯れ言がお好きですね。人間であるはずがないでしょう。何か拾い食いでもしましたか」
「道端に生えてたのびるを食べたくら……って食べてないよ!拾い食いなんてしてないよ! ちゃんと税金も払ってる人間だもの我輩」
「夢でも見たんですか? 魔王さまいい加減にしてくださいよ~こないだもだだこねて市長さんまで来ちゃったじゃないですか」
「え、ていうかハム宰相ちゃんさ、消費税払ってないの? 100均で100円ジャスト払ってるの? やばいよ図太いよ我輩には真似できないよ! ちゃんと8円置いてっちゃう真人間だよ。市長さん? え、知らないよそんな禿げたおっさんのこととか」
「魔王さま人間社会のことを解ったように言わないでくださいね。100円のままの100円ショップだってあるんですよ。そもそも消費税は会社が支払うもので我々が支払うものではありません。あの税込みやら税別という表示がそもそもおかしいんですよ。その禿げた市長と同じ頭にならないでくださいね」
「む、むう。……ならないよ!我輩何百年も前からずっとイケメンねってお姉さんに言われるもんね!」
「人間はそんなに生きられませんよ魔王さま」
「えっ?! そ、え、えっと、何年も前からいわれてるもんね!」
「はぁ~」
ついにハム宰相は魔王にこれみよがしに聞こえるくらいの音量で溜息をついた。
「魔王さま、いくら言ったって人間にはなれないんですから諦めてください」
◆魔王さまの会場
「うわぁぁあんっハム宰相ぉぉ…我輩痛いのやだよぉぉっ」
会場の控え室にて。魔王はめそめそと泣いてハム宰相にすがりついていた。
「いつも痛そうにしている魔王さまに勇者と闘うときに飲んでもらおうと薬を造っておきました! これがあればもう大丈夫です!」
「えーでもぉステージに立った途端空きカンとか小石とか飛んでくるしぃ?やっぱナイーブで人間らしい感性を持つ我輩としてはやっぱつらいかなって」
「今回から観客は危険物持ち込み禁止になりました。モラル的な問題もありますからね」
「えっそうなの?なんかありがとう」
ハム宰相の行き届いた心遣いに魔王は照れたようだった。はにかみながら頬をかいている。ちょろい。
「あ、でもやっぱぁ〜あの厳しい視線は正直答えるというかぁ〜」
ニヤけた顔を隠そうとして失敗したまま魔王は口を尖らせた。
「そうですねぇ。でも我々は魔王さまの味方ですから!」
「もう〜ハム宰相ちゃんったらぁ〜ふっふー!」
本当にちょろい。
調子に乗ったようで、ニッコニッコとドヤ顔を振りまいている。そんな魔王のケツがつままれた。
「はい、気持ちが良くなったところで行きましょうか」
「……あっ……えっ…ちょっと待って! 待って引っ張らないでっヤダァァア」
魔王の悲痛な声が響いた。
◆おまけ
「さあ! 勇者と魔王の大決戦! 勝つのはどちらか!? 1ベット1万円から受け付けてます!」
「えー絶対勇者だからそれー…もうやだぁ…あの賭けかけになってないもんいつもぉ…なんで舞台裏であってもこんな惨めな気持ちにならなきゃいけないのぉ……」
「魔王さま甘いですよ。確かに勝つのは勇者ですが、いかにして勇者が勝つのかをかけさせているのです。いかに魔王さまが負けるのか! 魔王さま泣いてばかりもいられませんよ。ちゃんと魔王さまのファンもいるのです!」
「えっそうなの? いやぁ〜困っちゃうなぁ〜さすが我輩! 人気者!」
「そうなんです! もうイケメン揃いですよ!」
「ひゃっふう魔王さまモテモテ! え? イケメン? イケメン……我輩女の子がいいなぁーやっぱ出るのやだなぁ……」
「魔王さまは同人誌界でも話題ですよ! 主に受けキャラとして」
「我輩猫ちゃんなの……テンションだだ下がりだわぁ……猫ちゃんならハム宰相食べちゃうぞ……」
「まあ私はバリタチですから。宰相×魔王なんていうのもありましたよ」
「イヤァァア! まだ我輩処女でいたい!腹は聖剣で貫かれてもいいけどバックから聖剣はだめぇぇえ!」
「上手いこと言いましたね。それ同人誌で使われちゃいますよ」
「こわい腐女子こわい我輩恐れ入った」
「意外と勇者×魔王なんてパターンも人気だったりしてましたよ。あ、魔王さま総受け本が多かったです」
「ら、らめえ……もう聖剣腹刺しだけで簡便してくださいよぉお」