第6話
お茶を飲みながらアプリ『生物探知機・改』を起動し、探査範囲を下に設定する。
すると海底の起伏がシンプルな3Dで表示され、あらゆる層に魚のアイコンが複数浮かび上がった。
「うわあ、魚影濃いねえ」
亜希子が嬉しそうに言い、
「ここから出したお茶があったかいままなのもかなり不思議だったけど、海底の起伏、どうやって検出してるんだろう」
とスマートフォンを見つめる脩平が突っ込む。
「インベントリなんてそんなものだし、深く考えると面倒だよ……?」
「まあそうなんだけど気にはな…………分かりました気にしません」
亜希子に微妙な表情で見つめられた脩平は降参のポーズをとり、知の探究を諦めた。
魚の種類は二人がよく知り良く釣ってきた日本沿岸の種類がほとんどだったが、亜希子いわく『クラフトプラス』に登場する魚も数種存在しているようだった。
探知機で魚を探す操作が思いのほか楽しく、時間を使ってしまう。
気付けば陽もあと数分で完全に没する十八時に近くなり、そのまま納竿する事にした。
亜希子の『浄化』で釣り道具のお手入れも瞬く間に終わり、インポートしておく。
今日の釣果は二人合わせてイシモチが十四匹、アジが十六匹。
大物賞は脩平のイシモチ四十四センチだ。
帰り道はロープの牽引なしで移動してみるとイカダはしっかりと後を付いてきており、速度も四〇キロ程度なら荷物も落とさずに動くことが判明した。
一〇〇メートルちょっとの距離を10秒かからず浜辺に到着したが、イカダは止まることができず浜辺に乗り上げて五メートルほど進んでからようやく停止した。
載っていたクーラーが制止する際の傾きでゆっくりと動き、砂浜にずり落ちる。
「あらら。これは大変」
自分たちの全身を『浄化』でさっぱりさせた亜希子がのんびりと言い、脩平も同意を返す。
「ベルトか何かで固定させないと危ないね」
「じゃあこれで……どうかな」
『……』だけでスズのフックを創り、イカダを再びインポートしてフックを追加クラフトし、最後の言葉でイカダをエクスポートし脩平に見せる。
「どんどん生産速度が上がるね」
「チートだからねー。これぐらいはやらないと。脩平も練習はしてね」
「まあ、やるだけやってみるよ」
砂浜に落ちたクーラーを『浄化』して持ち運ぶ亜希子のあとに続く脩平。
「あ、脩平。イカダをインポートしておいて」
「わかった」
足を止めて脩平がスマートフォンを操作するあいだ、亜希子は魚料理のレシピを考える。
(あれ、醤油あったっけ……無かったら塩でもいいか。地下貯蔵の根菜類も気になるし、脩平にウロコ落としてもらう間に調べてみよう)
「終わったよー」
「ありがと。じゃあご飯の支度しますか」
ログハウスに戻る道すがら、脩平が疑問を口にする。
「亜希ちゃん、ゲームに出てくる魚ってどんなの?」
「言っておくけどゲームだから淡水、海水の区別が無いのが前提だよ」
「うんうん」
「まずサケ、ハコフグ、クマノミの三種類ね」
「少ないね」
のんびりと歩いてもログハウスは目と鼻の距離。玄関を開けてスリッパに履き替える亜希子は続ける。
「魚以外に釣竿やポーション、能力付与のエンチャント本も釣れるね。一応釣り場やマズメの概念があるよ」
なお、『クラフトプラス』で制作する釣竿の材料は糸と木材だが、完成品にはリールと浮き、仕掛けが自動でがついてくることを補足する。
「────さすがゲームだ」
先を行く亜希子がキッチンに移動し、クーラーをシンク前に置いてから海で使用したマグカップをエクスポートしてさっと洗い、水切りに置く。
電気コーヒーボットに水を注ぎ、スイッチを入れたあと、思い出したように亜希子は言った。
「この世界なら釣れるかもね、シーマーとかダビアとかガブの高級タックル」
「え」
「クラフトプラスの釣りで釣れる竿って、入手確率は低いけどエンチャント多めのイイ竿が釣れやすいの。だから──」
「さー、明日から釣り頑張ろう!」
俄然やる気になる脩平だった。
むろん、脩平に説明してその可能性に気付いた亜希子も保証はないが内心期待してしまう。が、ゲーム内で丸一日釣っても釣竿を入手できない日のほうが多かった。それを説明してもしなくても凝り性の脩平だ。そのうち何らかのタックルを手に入れるだろうと思い、特に補足は入れないでおいた。
亜希子にウロコ取りを頼まれた脩平が湯が沸くまでの時間でイシモチのウロコを取る。
若返った身体は皮膚も頑丈なようで、背ビレも腹ビレも刺さらず実に快適に処理ができた。
シンクにそれなりに積もったウロコの処理が不明になり、すぐそばの地下貯蔵室にいる亜希子に訊く。
「ウロコ? ディスポーザーがあるからそのまま流していいよ」
「ディスポーザーってなに?」
「排水溝の生ゴミ用ミキサー」
「なにそれこわい」
いくら頑丈でも怖いものは怖い脩平。戦々恐々とウロコをディスポーザーへと流していく。ミキサーが稼働する音が生々しくて背筋に寒さを覚えながら流し終えると、丁度良くお湯が沸いて亜希子も上がってきた。
沖上がりの一服とコーヒーで一息入れる。
「お米は無かったわー……残念」
「そっか……」
ディスポーザーにやられたうえに日に二度は米飯を食べる脩平が本気でへこむ。
「じゃがいもはいっぱいあるから片栗粉でいもモチ食べよう」
「それなら我慢できる」
少し復活する脩平。
「醤油はあったけど量が少ないからどうにかして作るかしないとだめっぽい」
「うう、それは緊急課題だ」
しょげかえる脩平を可愛い人だと思うが、夫のプライドのため言葉は控えた。
調理の間は脩平にツールの使い方を練習してもらう時間に充ててもらい、亜希子は作業を開始する。
皮ごとのじゃがいもをふかす間に大アジを刺身にして冷蔵庫へ。残りのアジは米があれば干物にしたが、代わりの主食はいもモチ。水気をキッチンペーパーで拭き取って塩焼き用にしまっておく。調理にあたってキッチンを探索しなおしたところ、通販番組でお馴染みの真空パックができる器具が見つかり、その脱気能力に舌を巻く。
大きなイシモチは三枚におろして小骨を抜き、一枚は切り分けて白ワインとニンニクとレモングラス、塩コショウを揉み込んでバターソテーに、残りは湯引きにする。
残ったイシモチはネギ油を見つけたため、中華風蒸し焼きに2匹、塩焼きに2匹、他は三枚に卸し皮を引いてフードプロセッサーで荒いすり身に。素揚げ良し、山芋の代わりに片栗粉でのしんじょ良し、お吸い物良しの万能素材にしてこれも真空パックで保存しておく。
更に残ったアラは出汁を取り漉してから両手鍋に注いで冷蔵庫で保存する。
おかずに野菜が少ないため慌ててかぼちゃと人参と玉ねぎのコンソメスープを追加。
かぼちゃを切る時も転移前と違い豆腐のように切れるので作業効率は非常に高いが、包丁もまな板も破損なく使えることが亜希子にも不思議だった。
(脩平に言った手前もあるけど、気にしたら負けっぽいよね。それにこんなに上手に包丁が使えるなんて……嬉しすぎる)
野菜を賽の目に切ろうが小口切りだろうが狙った所に指が動き、包丁が軽快に途切れないリズムを刻む。消して下手ではないが包丁捌きがいきなり玄人はだしになった亜希子は鼻歌交じりで調理を続けた。
みりんは無いため白ワイン、砂糖、醤油とイシモチの出汁でいもモチのタレをつくっておく。タレが良くからむように片栗粉でとろみをつけて粗熱をとり、小鉢に入れてスプーンを添える。
(せめて鰹節ぐらいあってもいいと思うんだけどなぁ)
日本の一般家庭にバーベキューソースの常備がないことと同様の意味合いになるが、なまじ醤油があったためその他うま味調味料への期待値が大きかったせいである。
ゆで上がったじゃがいもの皮を剥いてつぶし、熱いまま少量の塩と片栗粉を多めに混ぜ合わせる。粗熱が取れるころには巨大な塊になったいもモチの素になり、適当な半径の棒状に伸ばして手でちぎって小判形にのばして、あとはフライパンで少量の油をひいて焼けばいもモチの完成である。あとはタレと絡めて食べるか、そのままでおかずと一緒に食べる。
リビングのテーブルに出来上がった料理を並べ終えた亜希子は室内を見回すが、脩平の姿は無く、なんとなく感じたウッドデッキへ顔を出した。
果たして脩平はデッキの手すりに腰かけ、スマートフォンを操作していた。
暗くなった空に昇る細い三日月とログハウスから漏れる明かりのあいだでたたずむ脩平はひどく弱って見えた。
────無理もない、と亜希子は思う。
夫の実家はとても温かく家族の仲が良い。せめて時間が止まっていて、息子を案じるような心労を負っていないことを祈るばかりだった。
「しゅうへ──」
「あれ、亜希ちゃん? 呼びに来てくれたの?」
平然と脩平が声をかけた。
「えっ」
「えっ? どうかした?」
驚く亜希子に脩平は問いかける。
「あー、その、なんか元気なさそうに見えただけ」
詰まりながらの亜希子の返答に、脩平は難しい顔をして言った。
「そうそうこの『ヒムクラプラス』なんだけど、家が建つ建築モードはだいたい理解できたんだけど、クラフトの九マスと十五マスでなにを作れるのかが全然分からなくって」
「はあ」
「家で亜希ちゃんがやってたり動画見てた時は工業機械ばっかりだったから、そういうのが作れるのかな、でもどうやるのかなーって悩んでたんだ」
「────はあ」
脩平は悩んでいた。それは間違いではない。ただ、家族の事でも無くクラフトの方法について悩んでいただけだというその姿に、亜希子は名状しがたい苛立ちを感じた。
「……ゲーム準拠だとは思うから、あとで木材使ってクラフトやってみよう」
「うん。よろしく」
「取りあえずご飯食べよ」
「うん……? 亜希ちゃん、怒ってる?」
「べつに?」
「なんか機嫌悪い気がする……」
「気のせいだよ。いもモチが冷めちゃうからおいで」
「へーい」
「んんー、湯引きうま、アジうま、ソテーうまっ!」
「うん。どれもも脂がのってておいしいねー」
イシモチの湯引きは熱湯にくぐらせて縮んだ皮と脂が甘味を増し、冷水で身を締めることで熱を飛ばし、もっちりとした歯ごたえを残す。噛むほどに甘くなる身と皮に口が止まらない。
アジは名が現すように強烈なうまみとコクを出し、乾燥粉末の生姜しかなかったが、それでもピリリとした辛さと香りが刺身の後味を甘くさわやかにしてくれる。
ソテーはレモングラスを揉み込むことで果汁のレモンよりも柔らかい酸味で濃厚なバターとニンニクを包み、口に入れればパリパリに焼いた皮目の香ばしさと、あふれ出るソースが溶けるようにくずれる白身と混ざりあい、喉を滑る。鼻に抜けるうまみとかすかなレモンの香りがもう一口と誘うようだった。
「コンソメスープ甘味が濃いのにさっぱりする」
「魚の脂を流してくれるからかな?」
賽の目の野菜たちが甘味を届ける間にコンソメスープが口内を洗い流し、また箸を伸ばせと促してくる。
「いもモチ、タレが本当に旨いけど、何にもつけなくても塩っ気があっていけるね」
「海苔があればもっと美味しくなったんだけどねえ。これも研究課題になるなぁ……そうだ、うどんぽいの作れるかな。卵無いけど小麦粉と塩と水で練ってみるしかないか」
主食が無いのは亜希子もいやなので、明日の予定に加えられるか食べながら検討を始める。
いもモチはじゃがいもの粉っぽさはどこにもなく、搗きたての餅のようなほのかな甘さが塩気のある料理に良く合った。
量的には三人前はあったはずだが、脩平が三分の二を平らげて料理はすべて胃袋に収まった。
「ああ、食べたぁ、ごちそうさま。亜希ちゃんのご飯はやっぱりおいしいなぁ」
「お粗末さまでした」
脩平が盛大に漏らす息と唸りを見て、満足そうに微笑む亜希子。二人ともかなりの量を食べたため、食後のお茶もしばらく休んでからになった。