第4話
探索を再開する二人。リビング右手の部屋は寝室で、キングサイズのベッドはハイブランド製としか思えない上質な寝具で設えてあった。脇に背の高いスタンド式の間接照明とサイドテーブルが置かれ、その上に一冊の本。
「……セカイのベッド謹製だね……これ」
「微妙な表現が気になるけどきっとそうだろう」
壁の一部がドアになっていて、開けると映画に出てくるような服やバッグなどがしまわれていた。
「うわーっ、この奥ウォークインクローゼットだよ脩平!」
楽しげな声で亜希子がクローゼットに飛び込み、後を追う脩平がびくつきながらクローゼットに入る。服は男性用もあり、高級そうなスーツから普段着まで豊富なラインナップだった。
「セレブ御用達の衣料品とか恐れ多くて触れねぇっす!」
「……サイズ合わない……デカい……くっ」
下着類も充実していたが、小さな体の亜希子には合いそうなサイズが見当たらない。
「完全アメリカサイズだねぇ……俺でもMで良さげ……一応『鑑定』」
妻の洗濯物で慣れている脩平が鑑定を行ってみる。
【加工済高級シルク下着:使用者に合わせてサイズが可変します。洗濯機で普通洗い利用可能】
「亜希ちゃん、着れるよ。鑑定してみ」
「了解……おおおお、なんて素敵機能!」
上機嫌になった亜希子を連れ、クローゼットを出る。次はサイドテーブルにある本を調べることにした。
エンボス箔押し外皮はベルベット。豪華装丁の表紙タイトルは『ご利用にあたって』と日本語だった。
「親切設計だねぇ……」
「訴訟の国ならではだと思う」
「そうだ、お茶淹れて飲みながら読もう」
「いいね」
蛇口の水が飲用可能か不安を抱いた亜希子が鑑定を行う。結果、飲用可能と判明し、動力や資源は魔力で供給中という説明もあった。また、名称が建設時はただのログハウスが『とても裕福なヒムのログハウス』に変わっていた。
「置く時何にも考えてなかったんだけどな」
「まあ滅多に出来ない贅沢出来て良いじゃない」
非常に持ちやすい取っ手の付いたマグカップに脩平はインスタントコーヒー、亜希子は紅茶を飲みながら豪華な装丁の本を開いた。その内容だが、一ページしか記述がなかった。
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朝六時に清掃機能が働きますが、教育を受けていないヒムの場合清潔度が低下します。
調理及び洗濯機能は現在サービスを停止しています。
ランキング機能は現在サービスを停止しています。
変更が生じた場合、当ページに順次掲載されます。
各種機能についてはヘルプを参照して下さい。
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「清掃機能……? つか文字が勝手に増えるのか」
亜希子の問いかけも本はなにも返さず、脩平はあたりを見まわす。
「家政婦さんって事? 見かけないけど」
「ヘルプねぇ……『ヒムクラプラス』の中かね」
亜希子の言葉に脩平も同意し、二人揃ってスマートフォンをいじるとヘルプは補助メニューの中にあった。
ヘルプの内容は多岐にわたっていたが、検索を使い必要な情報を呼び出す。
豪華本に載っていた機能は以下のように記載されていた。
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清掃機能・・・契約したヒムが家に来て掃除をしてくれます。契約解消やヒムの変更には契約事務所の建築が必要です。ヒムの能力は物件のグレードに準拠します。
調理機能・・・契約したヒムが家に来て食事を作ってくれます。契約解消やヒムの変更には契約事務所の建築が必要です。ヒムの能力は物件のグレードに準拠します。
洗濯機能・・・契約したヒムが家に来て洗濯してくれます。契約解消やヒムの変更には契約事務所の建築が必要です。ヒムの能力は物件のグレードに準拠します。
各種機能の詳細設定はハウスタブを選択して設定します。
ランキング機能・・・マルチサーバーでプレイしているマップに限り、人口、文化、観光、工業、商業のポイントを世界中のユーザーで競い合います。各種イベントを定期的に開催しています。詳細は公式サイトをご覧ください。
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「いわゆる家政婦でいいのか、これ」
「家政婦……まあ、だいたいあってる」
脩平の素直な感想にうつろな目で亜希子は答え、難しい顔であごに手をやりテーブルを指先で叩き始めた。
「おかしいなー、ランキングはともかく、清掃機能とかヒムシティには無いぞ?」
「え、そうなの?」
『ヒムシティ』『クラフトプラス』ともに未プレイの脩平の疑問に、テーブルを叩く指を止め、宙を見つめて亜希子は言う。
「あるとしたら『ヒムズピープル』ってソフト。プレイ動画も一度しか見たこと無いから詳しくないけど、一人のヒムになって仕事したり恋愛したりドライブしたり、仮想体験するのが主体で、建築出来るかはわかんない」
「そのソフトのこと……このツール創った時に全然イメージしなかった?」
脩平の問いに頷きを返し、煙草に火をつけて長い息で煙を吐く。
「たぶん……多分だけど、実際にプレイしたヒムシティとクラフトプラスが基本で、無意識に面白くてあったら便利なゲームの機能が混ざったんじゃないかな、って」
「──それって」
身を固くする脩平に亜希子は一つ頷いて続ける。
「うん。完璧にイメージしたつもりでも、制御は完璧じゃない。人なら当たり前だけど、魔法が使えるここだと、現時点では問題が無くてもどんなリスクを内包するか分かんない」
「うーん、そう楽はできないか」
「飛ぶとか火が出るとか。きまりきった事柄にはすごく強いと思うよ。おっかないのは複合した場合だってわかったんだから、これ以上こういうツールを作らなければ良いだけ」
「そんなもん?」
「わたしらのイメージが元なら感情が優先されるでしょ? お互い単純なんだし」
「ま、それもそうだね。変に悩むのも面倒」
お互い頷きあってカップを空にし煙草の火を消す。
「さてと、シカを捌くか、釣りするかだね」
やる気を見せる亜希子だったが、脩平が制して言う。
「お風呂とトイレ見てないよ。亜希ちゃんだけ釣りに行く?」
「いやいや見ます、一緒に見ます!」
また後でお茶のお代わりをする予定なのでカップはそのままに、浴室を見に行く。
ロビーから入って右手、ベッドルーム脇の廊下を進むと、ドアが二つあった。近いほうを開けると四畳ほどの広いドレッサー付きの洗面所となっていて、奥にはさらにドアがあった。ドレッサーの引き出しにはドライヤーなどの器具や未開封の歯ブラシ、ハンドタオルが収納されていて、思わずさっぱりしたくなった脩平が歯ブラシに手を伸ばしパッケージを開けて歯を磨きだした。
「もう、探索先にって言ったの脩平なのになんで歯磨きするかなあ」
「ごめんごめん。気になっちゃって。亜希ちゃんも磨いとこうよ」
探索を中断して歯磨きを済ませる二人。歯磨き粉の味は日本のものと変わらなかった。
使った歯ブラシを立てかけるスタンドを探した際、高そうな電動歯ブラシが洗面台のミラーキャビネットに収納されていて、次は電動歯ブラシで磨こうと二人で決めた。
洗面所のドアの向こうは二畳近くある温水洗浄トイレで、その広さに驚くとともに見慣れたタンクが無いことに気付いた。
「え、どうやって流すのこれ」
疑問を口にする脩平が閉じられた便座のふたを開けると、未使用のため汚れは無いが暗い穴がぽっかりと開いていた。
「汲み取り式? このセレブな家で?」
予想を裏切る設備に落胆の声を上げる脩平と亜希子。
「汲み取りかぁ、まあ自然がトイレよりはるかにましだけど……あ、流すボタン」
ふたを下ろしかけた脩平に洗浄用のボタンに目を向ける亜希子が言った。
「押してみよう」
ボタンを押すと特急列車のトイレ程度の水が流れていった。汲み取り式に良くある不快な音は特に聞こえず、ふたを下ろした脩平が言う。
「ま、使えるみたいだしいいんじゃないかな」
「そうだね、お風呂見に行こう」
八畳の脱衣所には小さな洗面台とドラム式洗濯機、ランドリーボックスが使われるのを待っているようだった。
「いちいち広くしないと死ぬ病気にでもかかっているのかアメリカンは……」
うなだれる亜希子に脩平は遠い眼をして言う。
「ここまで広いと掃除が大変だねって、ああ、だから家政婦さんがいるのか」
すりガラスのスライドドアを開けると、脩平の予想通りにジャグジーの付いた大きな浴槽と、洗い場のある浴室が広がっていた。
「ラブホよりも広いお風呂は久々に見たなぁ」
身も蓋もない脩平の言葉に同じ感想を抱く亜希子。
「新婚旅行で行った露天風呂付きの客室ぐらい……だね」
すべての部屋を見た結果、亜希子が作った板ガラスを素材としているのか、窓がリビング以外にもごく普通にあった。むろん、作成直後の厚みではなく、一般的な窓ガラスと同じ厚さのようだった。
探索を終えた二人はリビングに戻り、飲み物のお代わりを手にしてソファで一息。
亜希子は紅茶と一緒に見つけたクリームを大量に入れて上機嫌でスマートフォンをいじる。
「おっさかなお魚釣りに行くぞ、でもその前に調べるぞー」
今年で三十七歳になる亜希子だが、年の割に言動は幼い。病気で子供ができず夫婦二人だけでやってきたせいもあるのだろうが、身体が若返った今の亜希子は普段よりも幼さが前面に出ていた。
何にしても妻が上機嫌なのは大歓迎の脩平も自然と笑顔になり、コーヒーを楽しんだ。
『ヒムクラプラス』を開くと建築用の街メニューの中に、家のマークがついたタブが新たに出ていて、タッチすると現在アクティブである清掃機能の文字が表示している。文字の前には展開中を示す▼がついており、右側には実行開始時刻はAM6:00となっていて、下部にALLのチェックボックスにチェックが入り、更に下には部屋ごとにチェックボックスが設けられていて、すべてにチェックが入ってグレーアウトしている。
その下に調理機能と選択機能が出ていたがグレーアウトしており触っても反応は無い。
なんにせよ掃除をしてくれるのは大歓迎なので、ひとまずそのままにしておくことにした。
通信できないためニュースの拾い読みも出来ず暇を感じ始めた脩平だったが、時計を見て声を上げた。
「やばい亜希ちゃん、もう3時回ってる、釣りの種類決めないと」
「それはまずいね。投げる? 30号のオモリとキス用天秤ならボックスに常備してるよ」
「それもいいけど空飛べるし浮いたまま沖釣りやりたい!」
「脩平頭良いね!? なにその素敵プラン!」
「ただずっとクーラー持ってることになるから、取り回しが」
「いやいや、材木で軽ーくイカダ組んでなんちゃって掛かり釣りで!」
「亜希ちゃん天才っ!」
一度火のついたハイテンションの釣りバカ夫婦を止められる人間はいなかった。
さすがに『ヒムクラプラス』にイカダの建築が無かったため、一から作ることになった────が、やる気に満ちた亜希子に障害は無く。作業は砂浜で行うことにした。
イカダを組む際の固定具は軽いからというだけの理由でアルミが採用され、巨大ホチキスの針と牽引用フックを亜希子は最速で創りあげた。フロートはプラスチック系の材料が無いため、再びガラスで浮き玉を作る。浮き玉を縛るロープは材木から繊維に分解し、撚り合わせて糸に、そしてロープへと編み上げて浮き玉ごと耐食、塩害排除と強化。
ちなみに沖縄土産のような編みこみは時間が惜しいため割愛。
ここまでの作業時間はわずか四分。妄想力の賜物である。
おまけにエクスポートする材木もサイズを指定して出せることに気付いたため、次の作業も早かった。
イカダの足場部分も幅五十センチ、厚み三十センチの平たい板状に加工し、イカダの四隅になる板の両端に穴を開けておく。そして耐食、塩害排除に加え滑り止め加工と強化を施す。
組み上げは脩平の独壇場で、下に板より短い丸太、上に板を重ね並べて巨大ホチキス針を押しピンのように軽々差し込み、針の先を曲げて板に固定。巻き結びを使って四隅に開けた穴にフロートのガラス球を縛りつけた。仕上げに牽引用のアルミフックを取り付けて、最後に亜希子が全体に強化などを重ね掛けしてイカダは完成した。
全作業時間、18分。
「かんせー!」
「やったー!」
亜希子と脩平はハイタッチしてから満足気に煙草をふかす。
「さて、鑑定はどう出るかな?」
「きっとすごいと思う。なんとなく」
もう何も怖くないと言わんばかりに鑑定を始める亜希子と脩平。
────その、鑑定の結果。
【目覚めたイカダ:製作者の情熱を一身に受けて覚醒。追随機能及びパッシブソナー機能あり。使用には専用ツールのインストールが必要です。使用者の危機に併せて多種ギミックを発動し使用者を守護します。】
「解せぬ」
「どういうことなの」
今日何度目か忘れた驚愕が二人を襲う。