第3話
河口上空に着くと、ビニール袋を膨らませた脩平が巨大生物と追いかけっこをしていた。
「あっちゃー、第一村人の前に第一MOBと遭遇か」
言いながら亜希子は掌を巨大生物に向ける。巨大生物はヘラジカを更にふた周り大きくしたサイズで、見事な角の先端は鋭く脩平に向けられていた。
対する脩平はパニック状態ゆえか、河口の浅いところを円を描くように逃げている。異常なほど向上した身体能力が大ヘラジカの襲撃をかわしていた。だが、空を飛べるようになっても妄想力が亜希子に劣るせいで、攻撃手段を有することに気づいていないようだった。
亜希子は顔を上げ視線を太陽に向けて呟く。
「まあ────仕方ないね」
再び視線を大ヘラジカに注ぎ、覚悟を決める。
釣りを趣味することで、40年近く生きてきたことで、補食の為に命を奪うことに抵抗はない。
ただ、日々の糧に感謝の念は年とともに強く。
「おいしく食べるよ……いただきます」
(『斬首』)
大ヘラジカの頸が胴と離れ、駆け続けた巨躯が川に突っ込み大きな飛沫があがる。
それに気づいた脩平は辺りを見回し、降りてくる亜希子を見た。
「亜希ちゃん……ありがとう」
「怪我はない?」
言って亜希子は脩平の胸に頭を預ける。浅瀬で走り回っていた脩平は泥水にまみれていたが、亜希子は構わずもたれた。
「平気だけど……汚いよ、川の底さらってたし」
「気にしないよ」
「逆なら気にするでしょ」
「じゃあ『浄化』」
瞬時に泥などの汚れが全身から消え、風呂上がりのようにさっぱりした脩平。
「本当にすごいね、魔法」
「先達の知識のおかげだよ。色々とね」
「そっか」
含みに気づかない脩平はきれいになった空いた手で亜希子の頭をなでる。心地良さそうに目を閉じる亜希子に脩平は続けた。
「ところでさ、あのシカどうしよう?」
「ああ、ちょっと見てて」
言ってスマートフォンを出し、インポート画面を大ヘラジカに向ける。
「なにこれ」
「チートツールです。あとで脩平のスマホにも入れるよ」
「いつ作ったんや……」
「だいたい一時間ぐらい前? インポート開始っと」
大ヘラジカだったものが川から消失し、インポート画面のマスに『大ヘラジカ・胴体一』『大ヘラジカ・頭一』が現れ、川面に残るのは泥と大ヘラジカから流れた赤い血混じりの濁流。
「インベントリ……?」
画面を覗き込む脩平に、亜希子は得意気に言う。
「収納と搬出付で、ヒムシティの機能もあるよ」
「マジでチートだ」
「そうだよ。えっへん」
「これいいな、うん。すごくいい」
心底褒めちぎる脩平の言葉に照れた亜希子だった。
飛んで帰りながらチートツール『ヒムクラプラス』の説明を終え、脩平のスマートフォンにもインストールする。
海岸に戻り、仮置きしたかまどの紹介と、板ガラスを見せる。
「すげえ、こんなの作れるんだ」
「板ガラスはそこで作ったけど、かまどはツールでね」
しきりに頷く脩平だったが、かまどを凝視し、次いで板ガラスを凝視した後、震える声で言う。
「亜希ちゃん……これ、鑑定した?」
「あ、してない」
「ちょっと見て。色々ひどい」
促されるまま鑑定を行うと、入ってくる情報が信じられなかった。
【無限かまど:燃料は一度火入れすれば不要。どんなサイズの資材も焼き入れ可能。火力自動調整機能付き。利用可能資材は使い手に準拠。防水加工済み】
【耐熱強化ガラス:一万度・二〇〇〇トンまで耐久。厚さ二ミリまで性能は同じ】
「これはひどい」
それ以上の言葉は出なかった。
まさにチートの権化となったかまどと板ガラスの事を棚上げし、お互いに紫煙をくゆらせる。
「ああそうだ、さっきのシカ以外に動物は見かけた?」
「いや、あれ以外は見てない」
「そもそも何で追いかけられてたの」
「ええと……石ひっくり返してジャリメ捕まえて、しゃがみ体勢でどかした石を適当に投げてたら、石が当たったみたいで……」
「おい」
「うんごめん反省してる! ほんとごめん!」
頭を下げて拝み手の脩平に、短く唸ると亜希子はため息をついて言った。
「まあ不幸な事故だったねってことで、攻撃手段を覚えてほしいなあ」
「あー……そうだね」
「MU○ENでいけるよね、ランセレバトルしょっちゅう見てるし」
「……そういうイメージでいいの?」
「どんな大技だしても背景に影響が無いし、脩平向きだと思う」
「わかった。ちょっと練習してみる」
吸殻をかまどの炎に投げ捨てた脩平は十メートルほど離れると、おもむろに胡坐をかいて真横に手を広げつつ手刀を作りながら肘を直角に曲げて言う。
「北東・友情破顔け──」
「いきなりそれ!?」
「えー、大技だよ」
「小キックとか体捌きとかから参考にしようよ……」
「あー、そうだね」
三分後、果たして脩平はワンフレームの違いが分かる男になった。その変態起動はマスター亜細亜に引けを取らず、避けるだけならアニメ版戦闘民族にも負けない気がした。
「色々ひどい」
遠い目をして呟く亜希子。
お互いにヒドいのだが、二人だけのこの場には突っ込みがいなかった。
「いやー、いい汗かいた」
満足げな顔で脩平は戻り、お茶を一口飲む。
「そろそろ本格的に家を造るから、釣り行ってきなよ」
「んー、でも一緒に釣りたいから、ジャリメはインポートだっけ、しまっておくよ」
「ナマモノいけるかな……?」
「え、駄目なの?」
「いや、試してない」
「じゃやってみよう」
木陰に置いたビニール袋を脩平のスマートフォンでインポートしてみる。袋は問題なく取り込まれ、『釣りエサ・ジャリメ二百』と出た。
「入ったな」
「そだね、あとはどこまで入るのか……できれば牛とかヤギがいたらいいな」
「牛乳好きだね」
「あ、そうだ、脩平、塩作って」
「牛乳から塩が出たっけ?」
「出ないよ?」
「……ボケ返されたっ……!」
いまいち成り立たない会話に頭を抱え悶える脩平を尻目に、理解していない亜希子は続ける。
「海水取るバケツ要るかな。あれば便利だし……小屋の部品も要るし鉄加工して、アルミサッシつくって。網戸にカーテンは無理だけど、人いないからいいか」
砂地に小枝で適当な設計図を引き始めるが、手を止めて呟く。
「……ツールで見たじゃんか自分……」
スマートフォンを取り出しアプリ『ヒムクラプラス』の街メニューから物件を探す作業に切り替える。
「ログハウス、ろーぐはーうすー……ん、見っけ」
物件一覧の平屋のログハウスに、建築可能の文字がついていた。他の二階建てや一般住宅には変わらず材料不足の文字があり、選択肢はひとつしか無かった。
「おしおし。ログハウス建築できる」
「早っ」
突っ込みで悶えから復活したらしい脩平とともに整地しておいた建設予定地で足を運ぶ。
ログハウスをタップし、カメラ越しの風景で設置場所と室内の配置を、それに初めて気付いたが方角が表示されていたのでリビング、ウッドデッキを南に、玄関を東に決めて設置する。
音も無くログハウスが指定場所に鎮座した。
「うわーでかい。立派な家じゃないか」
「たしかにおっきいし、見た目はいいね」
元ネタのゲームソフトと同じアメリカンサイズが基本なのか、平屋のログハウスは予想を超えた大きさだった。更には煙突があり、亜希子が作ったガラスを材料とする大きな窓からリビングが見えた。
「あれ……?」
「早く入ってみようよ、凄そうだよ」
怪訝な顔をする亜希子を脩平が急かし、二人はアプローチの階段を上がり玄関のドアを開けて入る。
ログハウスは思った以上に広かった。
玄関を開けてすぐにロビーがあり、厚みのあるフロアマットが出迎えていた。そしてその右側には下駄箱と大きな鏡が置かれていて、目を丸くした亜希子が驚愕の声を上げた。
「え、内装と家具がある!?」
「驚くのそこ?」
思わず突っ込みを入れた脩平に亜希子はゲームの仕様を説明する。
「ヒムシティ4準拠だよ、内装の描画なかったよ……」
「まあ、何にもないよりいいじゃない」
「……そうだね、もうけたと思おう」
なんとなくそこで靴を脱ぎ、下駄箱に入っていたスリッパに履き替えて先に進む。
ロビーをまっすぐ抜けると三十畳ほどのリビングダイニングになっていて、光沢のあるオークの八人掛けテーブルセット、その隣にローソファーがこれまた七、八人は座れるコの字型に置かれ、ヤの字な自由業の本宅にありそうなごついガラスの灰皿が置かれた白樺のローテーブル。下には柔らかそうなカーペットが敷かれている。さらに大きな窓にはドレープがたっぷりの遮光カーテンとレースカーテンが掛かり、諦めていた網戸も完全装備していた。
極めつけに大きな薪ストーブが角に据え付けてあり、長い排煙管が外から見た煙突へと延びていた。
「うっわあ、なにこの豪邸」
リビングしか見ていないが、芸能人の自宅訪問に引けを取らない豪華さであいた口がふさがらない。
「裕福なヒムの別荘なんじゃないかな」
「探検してから最後に鑑定してみよう。宝探しみたいで楽しい」
高い天井には大型シーリングライトにシーリングファンが取り付けられ、壁には間接照明まであった。
「電気ないよね……使えたらなあ。すごく雰囲気あるよきっと」
「ううう、気になるけど鑑定まで取っておくのだ。台所見たい!」
リビングの左手前がキッチンになっていた。カウンターキッチンでこそなかったが、有名ブランドの広告に使うようなシステムキッチンが、アメリカンの巨大冷蔵庫がそこに存在していた。
「うへ……うへへへ……これヤバすぎでしょ……!」
「亜希ちゃん怖いよ……あ、食器もある」
冷蔵庫には食材こそなかったものの、香辛料や調味料がドアポケットにぎっしり置かれていた。また、システムキッチンの引き出しには食器や調理器具が充実のラインナップで入っていた。
「バターがあるなら牛乳もおまけしてくれればいいのに」
「コーヒーや紅茶、有りそうだけどなぁ」
甘やかされた現代人の二人は飲料が水だけになるなど我慢できず、キッチン側のすべての引き出しを捜したが、見つからなかった。
「後ろのカウンターの下が怪しい」
「きっとそこだッ……!」
獲物を狙うハンターの眼差しでカウンター下の開き戸を開ける。中は3段の仕切り棚になっていて、上段にコーヒーや紅茶、中段に砂糖や塩、小麦粉、下段にコーヒーミルとウィスキーやブランデーが置かれていた。酒類を除きみなアメリカンサイズの大きさで。
「よ、よかった……! お茶が飲める!」
「こんないい酒のボトル初めて見たぞ……」
亜希子は喜び、脩平は驚愕した。洋酒の全てを知るわけではないが、めったに行かない銀座接待でいただいた事がある最高級のラベルが貼られたボトルに血の気が引く。
「そんなにいいお酒なんだ。あって良かったね」
「開封すら怖くてできません」
「えー、飲めばいいじゃん」
「銀座価格でシングル五万、簡単に飲める?」
「すいません私が悪うございました!」
壁を背に下がり土下座する亜希子が床のスリットに気付く。指先をかけるとスリットがそのまま取っ手の形状にせり上がった。床を良く見るとスリット周りに四角くサッシで保護された囲みがあった。
「おお、地下貯蔵つき。さすが富裕層」
亜希子は取っ手をつかみ、ゆっくりと手前に引き上げる。
────地下貯蔵は野菜とワインの宝庫だった。
螺旋階段があり、壁一面に冷蔵室、半分以上がワインで占拠され、残ったスペースに根菜類がしまわれていた。また、階段部分も貯蔵スペースになっていてそこにもワインが眠っている。
「どんだけ金持ちの家なんだ、ここ……」
「あ、このセラーの写真まとめスレに載ってた。かっこいい設計の家特集だったかな」
「亜希ちゃんお酒飲めないのにお酒好きだよね」
「それもあるけど……恰好良いじゃん、こういうの」
貯蔵室は二人で立つにはやや狭いが、それでも充分な広さだった。
「あれ、冷蔵機能……動いてる」
微かな冷蔵庫のモーター音を拾った脩平が言うと、手を打って亜希子が続ける。
「そっか────動力源、魔力だよ」
「え」
「スマホのバッテリー切れないでしょ」
「ああ、つうかずっと一〇〇%のまま減らない」
「私たちがそのまま動力源? もしくは大気のマナ?」
「んー。どっちでもいいんじゃない? 動いてるし」
「それもそうか。水道やガスもいけそうだね」
「よし、俺が上がって見てくる」
「わー、一緒に見る!」
予想通り、物理的供給元が無いにもかかわらず、水もガスも使えたし、照明や浴室も問題なしだった。
「ていうか最初の冷蔵庫で気付かないもんなんだね……」
キッチンの冷蔵庫を開ける亜希子が言う。ひんやりと冷気を感じるが、最初に開けた時も同じだったかはもう分らない。
「んな伏線じみた観察眼もってたら気持ち悪い……って、荷物。持ってこなきゃな」
「あ。忘れてた……」
文明器具に囲まれやっと理性的になれた堂島夫妻。砂浜に放置していた荷物とかまどを回収する。インポートしたかまどの種火だが、ウッドデッキに再設置した時に消えず残っていた。