結婚前夜
「いざさらば! 独身生活よ!!」
いささか芝居がかった口調で嘯いたのは、この場の主人公。結婚式を翌日に控えた赤みがかった茶色の髪の青年。
「長かった…!!」
そう、しみじみと呟き。周囲の男共の苦笑を誘った。
「だよなあ。お前の軟禁生活」
「軟禁!?」
赤茶色の髪の青年は、彼とよく似た面差しの青年の言葉に、その黒い目をひん剥いた。
「アレが軟禁!? どう見たって、監禁の間違いだろ、兄貴!!」
「それはユークリッド、お前がしょっちゅう夜這いに向かおうと、無駄な努力を重ねたからだろう」
自業自得だ、と、兄に言い切られユークリッドは思いっきりへこんでしまう。
「だいたい、軟禁生活になったのだって、お前がしゅっちゅう逃げ出して、シエラのとこに夜這いかけようとしたからだよな? お袋がキレてお前を軟禁したのって」
ロンバール一族の影の支配者として辣腕をふるう母の怒りを買って、自室に軟禁生活を送る羽目になってしまった四男坊は、すぐ上の兄の言葉によよと泣き崩れる。
「相思相愛の恋人同士なんだから、夜這いのひとつやふたつ。いいじゃないかあ! お袋はオニだ!!」
ユークリッドの泣き言に、思わず男たちは周囲を見回す。
「おい、あんまりお袋の悪口言うなよ。お袋がひょっこり現れるかもしれないんだからな」
「ゴル兄貴がまともなこと言ってる!!」
脳筋として名高い長兄の言葉に、弟や周囲の男たちはおののいた。
「ゴルにいさまがどうしたの?」
「サーラ!?」
ひょっこりと男だらけの飲み会に顔を出したのは、地獄耳の持ち主である母ではなく、一族きってのトラブルメーカーである、妹だった。
「なんで、サーラお嬢さんがいるんです!?」
少しその場を離れていた間に、族長の養女であるサーラの姿があるのに気付いた新入りのノエルが、悲鳴にも近い声を上げた。
「ねえ。夜這いの単位って、『ひとつ』なの?」
「なんで、オレに聞くんです!?」
大真面目な表情で聞かれ、ノエルは絶叫する。
「大体、夜這いに単位なんてありませんし、夜這いを数えたりもしません!!」
「ノールのヤツ、完全にサーラのターゲット状態だな」
「哀れと言うか、何と言うべきか」
何かとサーラの薬の実験台と化している黒髪の青年に対し、男たちは同情に満ちた視線を投げかける。
「ところで。先程の俺の質問に答えていませんよね」
「そーいや、そーだな」
周囲の視線が、亜麻色の髪の少女に集中した。
「母さまから、ユークにいさまが隙を衝いて脱走してないか見て来いって」
妹の言葉に。ユークリッドは頭を抱え込む。
「お~ふ~く~ろ~~~~!!」
「ちなみに脱走してたらどうするんだ」
「木につるすって」
「木につるす? それだけ?」
きょとんとした表情で、ユークリッドは首を傾げる。
「それだけって、ソレも十分なんだかなーって思うんですが」
未だに微妙になじめなていないノエルが、思わず突っ込むが、周囲の人間たちは首をかしげている。
「甘いな。あのお袋だぜ? 木につるすだけ、なんて、子供向けのオシオキだぜ?」
「子供向け…ですか」
「おう。特にゴル兄貴は、常連だったな」
「それ、常連って言うんですか」
何か間違っていると思うものの、口には出せないノエルである。このあたり、一族に毒されてきているとしか言いようがない。
「つるすだけ、って、あたし言ったっけ」
「続きあるの!?」
ユークリッドの言葉に、サーラは、口に入れたチーズをごっくんと飲み込み、うなずいた。
「うん。続きじゃないけど」
「続きじゃない…って、まさか!?」
思わず真っ白になってしまう明日の新郎に対し、彼の妹はこっくりとうなずいてみせた。
「うん。どっちが言いか、聞いて来いって」
「まさかの二択!?」
「うん。裸か、パンツ一枚か。どっちがいいかって」
「それ、二択の意味。あるんですか!?」
思わず大声で突っ込みをいれたノエルだが、次の瞬間。真剣に悩みだしたユークリッドの様子に、開いた口がふさがらない。
「そこで悩む!?」
「布、一枚あるかないかで、オレの人生が…」
「たいそうなことを言ってるけど。要するに、アレだ。夜這いに行かなきゃ、つるされることはないよな」
真剣に悩みだしたユークリッドをよそに、ぼそりと、ゴルテックスがもっともなツッコミをいれるのだった。
そんなぐだぐだな空気の中。ユークリッドの独身最後の夜は、粛々とすぎてゆくのであった。