一瞬の出来事と、悲しみの味
扉の外には開店時間を今か今かと楽しみにしている客の列。
対して店内は、まだ大きな棚が店の中心にでんと鎮座しており、全くウェルカム体制になってないじゃないか!
「助けてくれ、村長~~~~!!」
「ちょ、ちょっと、どうしたの、シュート!?」
「シュ、シュート君!?」
「空飛ぶねこまんま~~~!!#*Ю∞」
おかしいな。おれはタイラー道具店に居たはずが、いつの間にか元の世界に戻ってる!?
目が覚めた俺を笑顔で見守っているのは――
パンッ――
唐突な衝撃。そして、頬がじんじんと熱い。遅れてやって来る痛み。
「シュート、目、覚めた?」
「…………はい」
俺を笑顔で見守っていたのは、リタだった。ただしその笑顔は見る者を恐怖させる類のものだった。
いや違う。正気を失いかけた俺が言うのも何だが、こんな事をやっている場合ではない。
どうしてチラシの日付を間違えるんだ!
ものすごく追及したい衝動に駆られたが、確認しなかった俺にも責任はあるので、言えない。
「と、とりあえず一旦落ち着きましょう!」
とリタが引きつった笑顔で言う。
「いや、お前も落ち着け。とりあえず、豆腐を握りつぶすな!」
これは、マズイな。みんな浮き足立ってる。こんな時、どうしたら良いんだ?
誰か教えてくれ!
俺が長ネギをかじりながらうろたえていると
「大丈夫、もう材料は全て揃ってます。それに、お客さんを迎える体制もできてます!」
シオンが落ち着いた声で、堂々と宣言した。
確かに店の内装はあらかた出来ている。無駄に広い店内だ。あれだけの客がいても、少し待ち時間は発生するだろうが、なんとか捌けるかもしれない。
問題は店の真ん中、道具を陳列している棚がまだ片付いていないことと、俺たちの心の準備が全く出来ていないことだ。
リタは完全にテンパっているし…
「シュート君、今からの仕込みで間に合いますか?」
シオンが訪ねる。雰囲気がいつものオドオドした感じとは違う。店の改装を決めたときの頼もしい顔つきになっている。
「あ、ああ。実はもう結構準備してたから、いけると思うけど…」
でも、あの大きな棚はどうすんだ。あと30分でどうにかできるとも思えないが…。
俺がそう思っていると、シオンはきっぱりと言う。
「棚の方は大丈夫、私が片付けます」
何か考えがある表情だった。だけど、どう考えても短時間でどうこうなるものでもないと思うが。
すると、シオンはまず目にもとまらぬ速さで、陳列してあるアイテム類を、全て引き出しやら端っこのショーケースにかたずけた。
俺が呆気にとられていると、シオンは唐突に、静かに目を閉じた。
あらゆる感情を削ぎ落した表情に変わり、呼吸することを止めた。
その場の空気が明らかに変わった。
と、次の瞬間
「comprime(術式圧縮)。procella(吹きすさぶ風!)」
すう、と静かに目を開け、シオンが何か呟くように唱えたと思ったら、目の前の空間に空気の塊のようなものが生まれ、棚は文字通り粉砕され、瓦礫はすべて発生した風によって2階へと運ばれた。
「これでスペースは確保、です」
にこっと笑いかけ、そのまま何事もなかったかのように残った道具類も片づけていく。
「そういえば、シオンは風と水の二重属性だったわ」
シオンに聞こえないように、リタが囁いた。
「あれも、風の魔術か?」
以前に一度見たことがあるが、その時もぞっとしたものだが…。
今回はそれ以上にヤバいものがある。
「うん。見たでしょ、あの威力。シオンは怒るとすごく恐いよ……」
何かを思い出したのか、リタは若干青ざめていた。
「リタ~、ちょっと手伝ってほしいな」
向こうでシオンが声を張った。
「はいはい。今行くわ~」
そう言ってリタはシオンへ駆け寄る。
俺も大人しく仕込みに入ろう。そして、絶対にシオンを怒らせることはしないでいよう。
俺はたった今見たばかりのシオンの魔術を思い出しながら、改めて固く誓った。
ついに時間は来た。
「手違いはありましたが、私たちは今日のオープンのために頑張ってきました。そして、今日はあくまでも始まり、です」
今日はこの店の命運をかけた大事な日である。シオンの顔は、自信に満ちている。
それに比べて、俺は大丈夫か。オープン日を間違えるというトラブルで、浮き足立っていないか? 何か忘れてる事はないか?
いや、大丈夫だ。落ち着け、俺。やれるだけのことはやったって。
「それじゃあ、いくです!」
「お~!」「ああ!」
シオンの掛け声に、リタも俺も応じ、いよいよ開店だ。
ドアに取りつけたベルが小気味よい音を奏で、店にどっと客が押し寄せる。
「いらっしゃいませ~!」
「おお、シオンちゃん、こんばんは。チラシを見てね。ドーン村で噂になっていた奇跡の御業、マーボーというものをここで口にできると聞いてね。楽しみだよ」
「はい! それでは、こちらへどうぞ」
お客第一号の紳士っぽいおっさんを案内するシオン。そして次の客をリタが案内する。
その流れは絶える事なく、あっという間に席は一杯になった。
感心してる場合じゃねーな。
キッチンを改造した厨房から隙間を開けて、俺は客の様子を覗き見ていた。
いざとなるとやっぱり不安だった。俺の料理が本当に通用するのか。
今回は村の時と違って、タイラー道具店という看板を背負っているため、プレッシャーが半端ない。
「な~に青い顔してるのよ?」
「うわ!?」
いつの間にかリタがすぐ近くで、俺を見ていた。
「余計な事は考えないで、シュートにはシュートにしか出来ない事をやればいいのよ。ね!」
と、いつもとはまるで違う優しい声で、リタが言った。
「そうだな。うん、よし!」
そうだ、いつも通りにやればいい。
俺はリタに火の魔術で手伝ってもらい、大量のマーボー豆腐を一気に仕上げた。
大鍋にぐつぐつと煮えたぎったマーボーを慎重に皿に盛りつける。
「それじゃあ、頼む」
俺はリタに配膳を任せた。俺はこの異世界に来て、村人に初めてマーボーを出した時の事を思い出した。
大丈夫だ。あの時は、割れんばかりの喝采をもらった。確かにあの時は、俺は伝説の勇者ってことになってたから、その分有利だったかも知れない。
でも、今度だってきっと大丈夫だ。何度も味見を重ねて、調整したんだ。
様々な事が頭をよぎる中、ついにマーボーは客の前に出された。
「おお、これがマーボーとやらか。確かに、かつて嗅いだことのない香ばしい香り、そしてすばらしい色つや。自然唾液が溢れてくる…!」
最初の客がテーブルのスプーンを手にした。
俺は厨房のドアの隙間から、固唾を飲んでその様子を見守っていた。
と、あまりにも唐突に、目の前が真っ暗になった。
「な、どうした!?」
「え、何ごと?」
同時にその場がちょっとした混乱状態に陥った。
俺の目の前が黒一色になったのは、俺が緊張のあまり体調不良になったわけではなく、ランプの明かりが消えたせいらしい。
「皆さん、大丈夫です。どうやらランプの魔石が切れたようです。ですがここは道具屋。すぐに替えを用意致しますので」
どうやら元の世界で言うところの、『蛍光灯が切れた』と同じようなことが起こったらしい。
それにしても、シオン。ちゃっかり店の宣伝を入れるとは、恐るべし!
音でしか判断が付かないが、シオンが手際良くランプを修理している気配が伝わってくる。
と、程なく明かりは復旧し、場のざわつきも安堵の声へと変わる。
今日はトラブル続きだな。でも、もうこれ以上何もないだろう。
――そう思ったいた俺が甘かったのだ。
「うぐぅ…っ! な、何だこれは!」
明かりが戻って早々、マーボーを口にした客がおもむろにスプーンを投げ出し、口元を抑え今にも吐き出しそうにしながら言った。
同調するように、あちこちのテーブルで同様の声が広がり、場はざわつき始める。
「これが噂の“奇跡の御業”か!? 怖気がするほど不味いんだが!」
「さすがにこのような物、口にできないわ!」
皆吐き気をこらえるように口元を手で押さえ、コップの水を呷る。中には激怒してリタやシオンに詰め寄る客もいる。
「どういうつもりなの! この店はこんなものにお金を払えと仰るの?」
「シオンちゃん。一体どういう事だい? すばらしい味の食べ物と聞いていたんだが…」
リタもシオンも事態が呑み込めずオロオロとしながら、ただ客に頭を下げる事しか出来ずにいた。
結局、客はそれ以上マーボーを口にすることなく、激高したまま全員店を後にしてしまった。
また、その様子を目の当たりにして、店外で並んでいた客も皆注文することなく帰って行った。
先ほどまでの賑わいが嘘のような、空っぽの店内。
客の困惑や失望の声がまだそこにあるように、頭から離れない。
テーブルにはほとんど手つかずの料理が、空しく湯気を立てて並んでいた。
何が起きたのかまるで分からず、残された俺たちはただ呆然とその場に立っていた。
これはまるで悪夢だ。俺の料理が、そんなに不味かったのか。味の調整に失敗した?
俺は厨房を飛び出し、マーボーを口に入れた。
「―――!? な、何だ、これ?」
あまりの気持ち悪さに、俺は思わず吐き出してしまった。
調理中に俺が作っていた物と味が全く違う。
まず、マーボーの要の一つである“とろみ”が全くなく、シャバシャバになっている。
さらには口の中にいつまでも残るじゃりじゃりした食感と、頭が痛くなるほどの塩気。
まるで、大量に塩水をぶち込んだような、そんな味と見た目だ。
どういうことだ。例え失敗したとしても、こんな風になる訳がない。
「ご、ごめんなさい、シュート……。私が、チラシの日付を間違えたから」
「え――」
リタが本当に申し訳なさそうにぽつりと言った。
「わ、私もごめ、んなさい、です。やっぱりお客さんに言って、日付を間違えた、言えばよかった、です」
と、シオンは目に涙を溜めながら言った。
それからも二人は謝り続けた。
――まさか二人は、俺が料理に失敗したと思っているの、か?
「ちょっと待ってくれ!」
例えオープンの日を間違って少し焦ったとはいえ、俺の仕込は間違ってない。
きっとあの明かりが消えた一瞬の隙に誰かが――
言いかけて俺は気が付いた。シオンにリタ。二人とも〝俺の料理に誰かが手を加えて台無しにした〟何て発想、最初から頭にはないんだ。
なぜならば、この異世界には料理という概念が元々ない。
〝塩水を加えて、味を台無しにする〟ことが出来るなんて、分からないんだ。
そこまで考えて、俺はある一つの可能性に至る。
――俺の料理をぶち壊しにした奴は、料理の概念を知っている――
さらにそこから派生するのはさらに可能性が低い事だが
――犯人は異世界人じゃなく、俺と同じ世界から来た、人間?――
もしそうならば、ひょっとすると犯人は元の世界へ帰る方法をしっているかも知れない。
犯人がどういう理由で俺たちの新装開店を台無しにしたのか、そこまでは分からない。
だが、ここは何としても、そいつをあぶり出したいところだ。
「シュート、そんなに気を落とさないでよ」
不意にリタが俺の肩を優しく叩き、労うように言った。
何時になく優しい声で言われ思わずドキリとしてしまったが
「……う、うん。ごめん」
どうしても暗い声になってしまう。しかし、ここはどうしても二人に言っておかなければならない。
「リタ、それにシオン。本当に、ごめん! 折角二人がメチャクチャ頑張って準備を進めてくれたのに、俺のせいで台無しにしちまった……」
深く頭を下げる。結果的には俺の料理のせいで、シオンの店の名前に傷をつけてしまった。
謝って済む問題じゃないのは分かっている。でも、それでも。
俺は二人の顔を見るのが恐かった。罵倒されて、見捨てられるんじゃないか。
それでも、恐る恐る頭を上げると
「…ッ。……ヒック。わ、私のほう、こそです」
シオンは瞳を両手で覆うも、そこから大粒の涙がこぼれていた。
これ以上止めておけない悲しみが堰を切ったように、溢れていた。
「私の家の、事なのに、シュート君に頼り切って、重荷を背負わせてしまいました」
「シオン……」
駆け寄って、シオンを慰めるリタ。でも、そんなリタの目からも、一筋の悲しみが流れ落ちていた。
「あ、あれ、おかしいな……」
リタは声を震わせて必死に涙を押しとどめようとしていた。
「やっぱり、得意料理さえ出しときゃ大丈夫! なんて、そう世の中うまくはいかんよな」
俺は苦笑交じりに零し、そして悔しさを込めて拳を握りテーブルに叩きつけた。
思った以上に大きな音を立ててしまった。そういえば俺、攻撃力10に上がったもんな…。
シオンもリタもその音にビクッと反応し、真っ赤に腫れた目を俺に向けた。
「今度は俺、ちゃんと考えるよ! もっとこの町の人に合った料理を作って見せる! だから、二人とも。もう一度俺にチャンスをくれ!!」
何時の間にか、俺も泣いていた。俺はもっと冷めた性格の筈なのに。
「……うん! シュートは料理だけが取り柄だもんね! だから、頑張れ! 私はもう一度お客さんが来てくれるように頑張る!」
「リタ…!」
とリタは涙を拭って力強く言った。
「……シュート君」
と、シオンは複雑な顔で、まだ心配そうだったが、それでも頷いてくれた。
これは、俺の戦いだ。俺の料理に何かを仕込まれたことを二人に言うと、動揺させてしまうし、余計な心配をさせてしまう。
それにシオンはともかく、リタは隠し事がドヘタだ。もしこのことを話すと、次に料理を出した時に必ず不自然な態度が出てしまうだろう。
そうすると、犯人はもう仕掛けてこないかもしれない。それでは困るのだ。
やっと見えた手がかり……。
「……(次こそ正体を掴んでやる。待ってろよ!!)」