俺のマーボーが世界を救う!?
やる気がないため、俺は出来るだけゆっくりと店に戻った。
店の扉を開けると、そこはまさに混沌だった。
腹を空かした村人たちが今にも暴れ出しそうな勢いだ。テーブルを指でトントンとたたいている者、膝を小刻みに揺すっている者、頭をガシガシと掻き毟っている者までいる。
その姿は、まさに禁断症状が出ているアル中やタバッ中(煙草中毒)そのものだ。
そんな危険な状態の村人たちは、店に現れた俺を見るや否や、表情をぱあっと輝かせて詰め寄ってくる。
「お出でになったぞ。勇者様だ!」
「ああ、勇者様。何でも良いから早く我らにまーぼーをお与えくだせぇ!」
「オナシャス!」
「腹が減りました!!」
まるで世の中に絶望して救いの神を求める信者のように、皆俺を崇めている。
正直少し引くぞ。というか今、やたらこっちの世界風の言葉遣いのヤツが居た気がするが…。
やっぱり中に入りたくなくて、俺は一度店のドアを閉め、空を仰ぎ見る。
そうか、もうすっかり夜だな。
季節は真夏。ここはこの異世界でも辺境の村。
だが、いきなりこの異世界に召喚されて、右も左も分からずに途方に暮れていたこの俺を、少しも疑いもせずに迎え入れてくれた人たちでもある。
そおっとドアを少しだけ開けて中を覗くと、皆困惑や絶望の表情を浮かべ、ざわついている。
恩返しはしなくてはなるまい。覚悟を決めて俺は再び中へと踏み込む。
とはいうものの、やはり人の輪に入るのは気後れしてしまうし、何よりこいつら、何かヤバい。
あまりの村人のテンションに恐怖を感じ、俺は早々に厨房へと引っ込んだ。
この場所は神聖にして決して侵してはならない聖域。
誰かに見られると奇跡の力は霧散して、マーボーは出せないと言ってあるので、村人たちはここまでは入ってこないのだ。
だが、ここにずっと引きこもっている訳にも行かない訳で…。
「……よし、やるか!」
ここからは俺の領域だ。普段適当な俺だが、料理に関しては手を抜くわけにいかない。
俺は気合を入れ直して作業に取り掛かった。
まずは、下ごしらえ。長ネギ、ニンニクなど一通りの材料を揃え、全てみじん切りに。
まな板とナイフが奏でるリズミカルな音に、俺の腕もなかなかじゃね? と自分でもうれしくなる。
「ふふん。キミ、料理だっけ? そうしてるときだけはいい顔するよね~♪」
……忘れてた。こいつだけは俺の聖域に土足で侵入してくるんだった。
ニヤニヤしながら、リタはこっちをじっと見ている。
「何だよ…。邪魔しに来たのか?」
「ううん。シュートがちゃんとやってるかどうか、見に来ただけだよ。でも、要らない心配だったみたいね」
何に満足したのか知らないが、リタは満面の笑みを浮かべ、
「じゃあ、皆の相手は私に任せて、シュートは“りょーり”、頑張ってね!」
なんて言って戻って行った。
何か知らんが、どうやら期待されているらしい。仕方ない。ここはひとつマジで料理ってやろう。
再び集中して、俺はナイフを握る。
豆腐をダイス上にカット。そしてトウチ(黒大豆を発酵させたもの)をみじん切りにしたら食材はOK。
続いて調味料類を全て台に並べていく。事前に調味料を合わせておくこと、それが今回のポイントの一つだ。
俺は今一度、マーボー豆腐の調理手順を頭の中で再生していく。
「肉、調味料、ニンニク、スープ、とろみ……」
マーボー豆腐は時間との闘い。少しのためらいが味を変えてしまうのだ。
工程を再確認し、大きく息を吐く。
「イイ感じだ!」
俺はいよいよ鍋を火にかけた。
暫くして、鍋に煙が立ってくる。ここが油の投入タイミングだ。
「よし、まずは調味料!」
やはり俺の料理をほめてくれるのはうれしいモノだ。どうせなら最高のマーボーを食べて欲しい。
十分な油を鍋にしいて、まずは豆板醤(トウバンジャン)を炒め、次に刻んだニンニク、トウチ、ラー油を加え、最後に甜麺醤(テンメンジャン)を加えて、香りが出るまで良く炒める。
焦がさないように火加減を見つつじっくりと火を入れていくと、何とも食欲を刺激させる香ばしい香りが立ってきた。
「よし、イイ感じだ」
ここであらかじめ炒めておいた挽肉を投入。すこしの油を加えて良く炒める。順調だ。そして酒を少し加えて香り付け。
そしていよいよスープを入れ、煮込む!
ここで別の鍋で豆腐をボイルする。沸騰しないギリギリの温度を保つのがミソだ。
「確か、豆腐はゆでることでプルプル食感が実現♡ だったか…」
それにしてもあのレシピ、どういうテンションで書かれてたんだ…。
やたらインパクトのある謎のハートマークのおかげで、このポイントを覚えていた。豆腐がぷかりと浮いてくると、いよいよスープ鍋の方に入れるタイミングだ。そこに、さらに醤油を加え、こしょう、砂糖、一味唐辛子などで味を整えて、一度味見してみる。
「……よっしゃ、完璧だ!」
ここでネギを投入。
暫く煮込み、鍋を振りながら水で溶いたスターチを投入。
段々ととろみもついて、マーボー豆腐らしくなって行く。
俺は仕上げの化粧油を少し垂らした。
「リタ~~!! 頼む!」
悔しいが、ここでリタの出番がどうしても必要だった。
俺の声を受けて、リタが嬉しそうに扉を開けこちらへと来た。
「イイ感じの火を頼む! あ! あんまり強すぎないでくれよ!」
「了解! いっくよ~~!」
親指をぐっと立て、リタはすっと目を閉じて詠唱を始めた。そう。この異世界では皆何がしかの魔術が使えるのだ。
直後、鍋の下から業火が舞い上がる。
「……って熱! もう少し加減してくれ!」
鍋を握る俺を焼き殺す気かよ、と文句を加えると、リタは対して悪びれもせず
「ゴメンゴメン。この呪文、加減がムズイんだよ」
ブツブツと言いつつも何とか火を小さくしてくれた。
最後に強く火を入れることによって、とろみが戻りにくくなるのだ。これもポイントの一つだな!
「うわ~~~! すごく良い香りだね!」
ぐつぐつと煮えている鍋を覗き込みながら、リタが楽しそうに言う。
俺はクールにそれを無視して鍋を火から離し、皿に出来立てのマーボーを盛りつけた。
立ち昇る湯気が香ばしい香りを乗せ、食欲を猛烈に刺激してくる。
リタなどはよだれをたらしそうになって、慌てて拭っている。
自慢じゃないが、いややっぱり自慢させてくれ。このマーボー豆腐は、俺の一番の得意料理で思い入れも深いんだ。
俺はどうしても完成度が気になった。
スプーンで鍋に残った豆腐をひとすくい。熱々の豆腐にとろみのついたマーボーが良くからんでいる。
「……はむ」
湯気が立っている豆腐をふーふーとやって冷まし、口に含む。
辛味が一番に来るが、その後にくるうまみ。そして豆腐の絶妙なプルプル食感。
自分で言うのもアレだが、傑作だ。
「白飯だ!! あとは白飯だ!!」
ご飯が猛烈に欲しくなるこの衝動。これこそが俺の料理の完成度を物語っている、ハズ。
俺は皿にマーボーを盛り付け、リタに配膳を頼んだ。
どうだ、見てくれ。村人たちのあの恍惚とした表情。
「うままままままままままままままままままま!!!!!」
「BMEYYYYYYYYYYYYYYYYY(美味ィイィイィイィイィイイイ)!!!!!」
「奇跡の御業……!」
皆一心不乱にマーボーをハフハフと汗をだらだら流しながらかき込んでいる。
「ホントにおいしいね、これ。どうやって創り上げてるのか、見てても全然分かんないけど、キミ、やっぱりスゴイよ!」
リタも思わずドキリとするような笑顔で、俺の料理を褒めてくれている。
俺、この人の嫁になって家に入ります。家のことは任せてください。
思わず口から出かかりそうだった。危ないところだぜ…。
「おっと、あとこれを皆に渡してくれよ」
俺はそう言ってリタに粉末状のものを手渡した。
「はいはい。ったく、どうせなら自分で渡してあげればいいのに……。ホント、シュートは人前に出るのが嫌なんだね…」
呆れ気味にブツブツ言いつつも素直に皆に配って行く。
俺の人見知りについてはほっといてくれよ…。と思っていると、また村人たちは歓声を上げた。
「おお、魔法の粉じゃ!」
「これでさらにまーぼーが美味くなるよってに、不思議じゃのう」
皆マーボーに俺が渡した粉を掛けている。すると、マーボーをかき込む速度がさらにアップした。そしてどんぶりに盛られた白米と交互に、一心不乱に口に運び続けている。
「シュート、あの粉何なの? 皆あれをかけると食べる速さが尋常じゃなくなるよ!?」
リタは俺の耳元で囁くように聞いた。やめろ、耳元に息を吹きかけるんじゃない! 勘違いしちゃうだろ。
「ああ、これだよ。山椒だ」
正確には中国山椒の花椒(ホアジャオ)だ。これを挽いてマーボーに振りかけることにより、舌がピリピリと痺れるような辛み、そしてほのかにフルーティーな香りを加える。唐辛子の辛味と合わせ、これで完璧マーボーが完成するのだ。
「さんしょー? それ、“ペリカの実”を乾燥させたやつでしょ? 良い香りだよね~」
「ああ、この世界ではペリカっていうのね…」
さすがの異世界だった。