山頂での個人レッスン(マーボー豆腐のレシピ)
まだ朝日が出たばかりにも関わらず、照りつける太陽は全開で、張り付いた前髪が大変うっとうしい。そんな夏の日。
俺は今日もまた、材料集めに山へ来ていた。
必要な分はそろったので、下山しても良いのだが、俺はふと気になる物を見つけていた。
疲れてちょっと休憩していると、足元にアリの行列があったのだ。
一心不乱に何処かへと進み続けるその姿に、自分にない物を見た気がした。
俺は、アリ達が行進しやすいように、デコボコした道を均したり、大きな岩を端にどけたり、落ち葉をよけたり、と彼らの行く手を阻むものをどかす作業に没頭していた。
「がんばれ、アリ! 俺がついてるぞ!」
「……何暗い事してるのよ?」
「うわ!?」
不意に後ろから声。いつの間にかリタが俺の背後に座っていた。何でこいつがここに居るんだ。ビックリさせるなよ、まったく。
俺はリタに向き直り、何とか言い繕おうと試みる。
「何を隠そうこの俺はNPO法人『蟻の行軍を見守る会』会長なんだ!」
何言ってるんだ俺、と思ったが、言ってしまったものは取り返しがきかない。現にリタはかわいそうな人を見る目で俺を見ている。
「……ふーん。よく分からないけど、ま、何をするのもその人の自由よね。私は何も言わないわ」
「おい、目は口ほどに物を言うって知ってるか……」
俺は反論したが、リタはあははははと乾いた笑いを一つして
「そっか、シュートは蟻を助けてちょっと良い事した気になってるんだね」
……図星だった。何で分かったんだ。
「あ、それよりさ。そんなに暇ならさ」
俺がうなだれていると、リタが急に声のトーンを変えた。
「何だよ?」
「ちょっと教えて欲しいんだけどさ。何でシュートは毎回“りょーり”を作る時、同じ味を出せるの?」
「何でってそりゃ、長年の研鑽の末たどり着いた俺流のレシピがあるからだけど」
「……れ、しぴ。…って何?」
リタは思いっきり首を傾げた。やはり料理の概念がないのでレシピという言葉も知らないらしい。
「レシピっていうのは料理の作り方を書いたメモのことだよ。ちょっと見てみるか?」
俺はそう言って、ポケットを探る。そして、いつも持ち歩いている古いメモ帳を取りだし、リタに手渡した。
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麻婆豆腐
<材料>2人分
豆腐…1丁
豚ひき肉…80~100g
長ネギ…10cm(みじん切り)
にんにく…1片(みじん切り)(A)
甜麺醤…大さじ1(A)
豆板醤…大さじ1(A)
酒、醤油…少々(A)
一味…少々(A)
トウチ(みじん切り)…小さじ1(A)
酒、醤油…大さじ1(B)
塩コショウ…少々(B)
スープ…150ml
水溶き片栗粉…大さじ2(水と片栗粉は2対1)
1、材料を全て切る。豆腐はサイコロ状に。
2、フライパンに油を入れ、ひき肉をよく炒める。
3、油が透明になったところで(A)を加え、香りが出るまでじっくり炒める。
4、スープを加える。また別のなべで豆腐を茹でる。(豆腐が浮いてくるくらい)
5、(B)を加えて豆腐を入れ、ネギを投入。ここで2~3分煮込む。
6、弱火にして水溶き片栗粉を加える。フライパンを振りながら少しずつ。
7、とろみがでたら、化粧油を加え、強火にして一気に炒める。
8、ぐつぐつしてきたら火を止めて盛り付け。花椒を振りかけて完成!!
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「こんな感じで、材料や分量、あと手順なんかが書かれてて、まあレシピ通りに作れば、誰でも同じ味が再現できるって訳だ」
「???」
これ以上分かり易くできないだろ、と言うほど丁寧に説明したつもりだが、なおもリタは不思議そうに、俺が渡したレシピを何度も、それこそ穴が開くように見ている。
「どうしたんだよ、リタ?」
リタは俺にメモ帳を返しつつ、疑問符を沢山浮かべた顔で問いかける。
「確かにんにくっていうのはリックスの実の事よね? 他にもたくさん良く分からないものが書いてあるけど……とーちって…?」
「ああ、逆から読んだらチートだな。これを入れるだけでマーボーにさらに奥深い味わい、豊かなコクを演出できるんだよ」
俺は熱っぽく解説したが、リタは興味なさそうに曖昧に返事をするだけだ。
「……まあこれは俺が分かるようにメモしたやつだからな。いつかこの世界の言葉でもメモしとくか」
いずれ元世界と異世界の言葉の対応表を作るのも良いかもしれない。
俺がそんな事を考えていると、リタはやはり合点がいかないというような顔で質問する。
「えっと、つまりシュートはさ、いつも同じ材料、同じ作り方をして、毎回同じ味が出せるってこと?」
「もちろん! 俺がどれだけ料理を練習したと思ってんだ。それもこれも、全ては――」
「あ~、はいはい。どうせまた専業主夫になるため! って言うんでしょ。もうそれはいいから」
半ばうんざりした様子で俺の言葉を遮る。
言・わ・せ・ろ・よ!
「……でもやっぱり変ね。私、ううん。私たち皆、同じ食べ物に同じ調味料を使っても、毎回味は少しずつ変わるんだけど…」
「……んん?」
おっと、またリタさんは何を言っているのかさっぱり分かりませんが。
「例えばね、私は昨日と今日の朝、パンにデゾルベを塗って食べたんだけど…」
リタはパンに何かを塗る仕草をした。
はい来た~、異世界用語!! デゾルベって何だよ!? それはパンに塗って良い物なのか?
まあ。パンに塗るっていうくらいだから、おそらくはジャムかバターのことだろうが…。
一々口を挟まずに、俺はリタの言葉を黙って聞くことにした。
「昨日はちょっとすっぱかったけど、今日は甘かったわ」
「……それはデゾルベとやらが腐ってた、とかじゃなく?」
「じゃなく! つまり何が言いたいかというと、私たちは同じ手順で同じことをしても、味は絶対に一定にはならないってこと」
人差し指をぴんと立て、まるで授業をする先生のような雰囲気で言う。
「つまり。……どういうことだってばよ?」
「つまり、私たちにシュートみたいな“りょーり”っていう考え方がそもそもないのは、その辺が関係してるんじゃないの? きっと私がシュートのレシピ通りに作っても、シュートと同じまーぼーの味は作れないよ」
少し寂しそうにリタは言った。何でそんな顔をするんだ? さっぱり分からない。
こんなとき、俺は掛けるべき言葉を持ってはいない。ただ俯くことしかできない俺が、今は少し嫌だった。
「……あ」
地面に改めて注意を払うと、いつの間にか蟻の行列はいなくなっていた。
何となく寂しい気持ちになっていると、俺の肩を軽く叩いてリタが言う。
「ま、シュートの唯一の見せ場まで取っちゃったらかわいそうだしね。これからもすごい“りょーり”を見せてね!」
「……はいはい」
唯一ってひどくないか? と言おうとしたが、その前に
「暑くなってきたし、そろそろ帰ろうよ」
よっこいしょ、という仕草でリタは立ち上がった。
そして、俺の手を強引に引っ張って
「みんな、今日もシュートの“りょーり”を楽しみにしてるよ!」
と裏表のない笑顔で言った。
「……はいよ。じゃあ、行くか」
別に照れてるわけじゃないが、思った以上にそっけない返事になってしまった。
異世界の夏、今日も暑い一日になりそうだ。
番外編を書いて見ました。
これを見れば麻婆豆腐のレシピはばっちり!
と言う訳ですが、書いた後でいったい自分は勢いで何を書いているんだろうと自問自答してしまった、そんなある夏の暑い日。
一応本編関連として、なぜ異世界の人間が料理を作れないか、その一端に触れてみました。
(今度麻婆豆腐の料理動画、どこかにアップしようかな、と少し血迷っているところです…)