06.幽霊
「は……? 春日野が、幽霊……?」
照明が消され、暗黒が部屋を支配する。
視覚が奪われ、それ以外の感覚が自然と鋭くなっている……はずなのだが、俺の脳は春日野の言っていることをまったく理解できない程度の回転数で運転中である。
『ああ……って、何度言わせるつもりだい? それとも、これも特殊なプレイの一種なのかい?』
「違うわ! 幽霊って連呼させるプレイなんて初めて聞いたぞ!?」
『そうか。僕はてっきり、君が面白がっているのかと思ったよ』
「んなわけあるか。話を戻すぞ」
『うん』
……話を戻すぞ、と言ったは良いものの。
さて、どうすんだこれ?
俺はこれまでの人生で、『私は幽霊です』なんて告白されたことはないし、されるとも思っていなかったし、ついでに女の子に告白されたこともない。
『それは残念な人生だね』
「いちいちこっちの考えてることにツッコんでくるなよ。その『残念な人生』ってのは、幽霊だって告白されたことがなくて残念って意味か? それとも、女の子に告白されたことがなくて残念って意味か、どっちだ?」
『……どっちも、かな?』
「後者に関しては、余計なお世話だ。前者に関しては、残念なことに残念って感覚が沸かないな」
『それは残念。で、どうしたら、僕が幽霊だって信じてくれる?』
「そうだな…… とりあえず、明かりをつけてくれ。話はそれからだ」
『オッケー』
ピッ、という電子音とともに部屋に光が戻る。
目を細めながらベッドの下に視線をむけると、テーブルの上に置いてあるリモコンに手を伸ばしている春日野の姿があった。
「ふむ……」
俺はそんな春日野を、視線で穴が開けられるんじゃないかというほど見つめる。
そんな俺に対し、春日野も最初はジッと見つめ返してきたが、少しすると視線を泳がせ始めた。
暖房の風が直撃する位置にいるせいか、頬もわずかに赤い。
うーん、どう見ても幽霊には見えない。
『あ、あのさ……』
「ん?」
『ど、どうして僕のことをずっと見てるんだい?』
「いや、幽霊なら身体が透けて奥が見えたりするんじゃないかと思ってな」
『透け……君、やっぱり変態だね』
「今アンタが考えていたであろう透けるってのは、服のことじゃねーか!? 俺が言ったのは、身体が透けて奥に床とかが見えるんじゃないかってことだよ!」
『ふふ、冗談だよ。でも、透けてないだろう?』
「ああ、服も身体も透けてないみたいだ。普通の人間にしか見えないが?」
それとも、幽霊は透けているもんだという、俺の認識が間違っているということだろうか?
『いや、これに関しては君の認識うんぬんというのはあまり関係ないかな。げんに、僕は自らを透けさせたり浮かせたりもできるからね』
「そういえば、さっき現れた時は浮いてたな……」
今思い出したが、もう一つ、浮いていた春日野が俺の上に降りてきたとき、春日野には重みがあった。
世間一般で言われている幽霊なら、重さ以前に触れることすらできないはずだ。
あれ、そうすると、やはり春日野は幽霊でないということになってしまう。
『幽霊の定義をハッキリさせないと、何を言っても話が進まないかもね』
「幽霊の……定義?」
『うん。幽霊って、何だと思う?』
「うーん……」
答え方に困るというか、幽霊とは何ぞや、などという質問をされたことがないし誰かがされているところを見たこともないので、模範解答すら分からん。
一つ確実に言えることは、幽霊の元になった人物はこの世には存在しない、ということだ。
「難しいが……未練を残し亡くなってしまった人の記憶や想いが形を成したもの、というのはどうだろう」
『うん、大筋では間違っていないと思うよ。でも、それだけじゃ定義としては不完全かな』
「どのあたりがだ?」
『人の記憶や想いが形を成すって言ってたけど、人の記憶や想いって目に見えるものではないよね?』
確かにそうだ。
今俺がここで瑞穂の顔を思い出したとしても、目の前に瑞穂が現れる訳ではないからな。
だがそうすると、一つ矛盾が存在する。
しかもご丁寧に、その矛盾は、今まさに俺のすぐ近くで実体を伴って存在しているではないか。
『そう。さっきの不完全な定義じゃ、僕の存在を明確に保証できないんだ。だから、定義に付け加えをしなくちゃいけない』
「だが、何をどう付け加えればいいんだ?」
『人間が物を視覚で認識するためには、光と、その光が当たる物体が必要なのは知ってるよね?』
「そうだな。でも、記憶とかは明確な形を持ってないから見れない……」
『でも、人の記憶や想いに反応して、それを具現化してしまう物質があるとしたら、どうだい?』
「そりゃ、そういうモンがあれば見えるようになると思うが、でもそんな摩訶不思議な代物が……」
あるわけないだろ、そう言おうとしたが、脳が口に待ったをかけた。
本当にそんなものが無いだろうか?
俺はこの大和旭で、一体何を学び、何を身体に染み込ませようとしている?
「……まさか?」
一つだけ、非現実を現実にし得る物質を、俺は知っている。
『そう。今君が脳裏に思い描いているもの、それが答えだよ』
「ダーク、マターか……」
俺の呟いた答えに、春日野は頷いた。
『ダークマターと一口に言っても、その中にはさらに幾多もの種類があるんだ。簡単に言えば、ダークマターっていうのは元素っていう単語にあたって、その中には水素や酸素みたいな細かい区分があるって感じかな』
「つまり、ダークマターの中の、ある特定の元素が人の記憶や想いに反応する性質を持ってるってことか?」
『そういうこと。そして僕は、その元素によって実体化してるってこと』
ここまで言われれば、完全にとは言わないが一定の範囲で理解ができる。
「でも、実体化できてるってことは、もはや幽霊じゃないような気もするけどな」
幽霊ってのはあくまで、見えたり感じたりはできるけど、実体を持たず触れないってのが、これまでの一般的考えだからな。
春日野も、俺の考えてることを読んでフッと薄く笑う。
『確かにそうだね。でも、僕は過去にこの世に実在し、死んでしまっている。だからこの身体は、僕であって僕じゃないんだけどね』
「……なぁ、一つ聞いていいか?」
『僕がいつ死んだかってことかい?』
「あ、ああ。言いたくなければ言わなくてもいい」
俺の言葉に、春日野は押し黙る。
ま、自分から好き好んで自らが死んだときの様子を話すやつなんていないだろうな。
『いや、そうじゃないんだ』
「? と言うと?」
『おかしな話かもしれないけどさ……僕、自分が死んだときのことを覚えてないんだ』
「??」
自分が死んだときのことを覚えていない?
『うん。あ、でも、覚えていないと言っても知らない訳じゃないんだ』
「ちょ、ちょっと待ってくれ。覚えていないが知ってるって、矛盾しか感じないんだが」
『それが矛盾しないんだ。現実的にあり得る例を出すと、記憶喪失になって自分のことを忘れた人が、第三者から自分の過去のことを聞いて知るって感じかな』
「……あー、なるほど。でも、そうすると疑問点が二つある。一つ目は、どうして春日野が死んでしまった時の記憶がないかってことだ」
『僕がどうやら、事故か何かに巻き込まれて死んでしまったらしいんだ。これは推測だけど、僕はその事故に巻き込まれて記憶を失い、記憶を失ったまま死んでしまった。だから、霊になった今でも死んだときの記憶がないんだ』
春日野の説明は、腑に落ちるとも落ちないとも言える。
「……難しいな。じゃあ、この疑問についてはとりあえずそれを答えをしよう。二つ目は、覚えていないにも関わらず、どうして自分が事故か何かに巻き込まれて死んだと言える?」
『それについては簡単さ。僕は死んで少ししてから、霊として彷徨うようになった。彷徨ううちに、色んな情報を耳にした。それら情報を総合的に判断すると、僕が霊になる少し前に死者を出す事故か何かがあった』
「霊として彷徨ううちに知ったってことか。……だけど、その事故ってのは具体的に何なんだ?」
『それが、詳細についてはまったくと言っていいほど噂にならなかったんだ。一つだけ、大学の研究室で爆発事故があったってこと以外はね』
「大和旭大学の研究室か? なら、春日野はそれに巻き込まれてしまったんじゃないのか?」
『うん、多分そうなんだろうけど……』
そこまで言って、春日野はややうつむき黙ってしまった。
「どうかしたか?」
『さっき君、僕の説明が腑に落ちない感じだっただろう? 実は僕もなんだ。心のどこかに納得できていない自分がいるんだ。爆発って言ったって、それがどういう経緯で起こった事故かも噂にならないなんて、おかしいだろう?』
「確かにそうだな。……ちなみに、アンタはいつごろ亡くなったんだ?」
亡くなるという動詞の主語に二人称を使う違和感をバリバリに感じながら訊ねると、春日野はフフッと微笑んだ。
『今から10年前だよ』
「10年前か。とすると……春日野が事故に巻き込まれたのは三年生のときってことか」
中等部でも高等部でも、三年生が付けている色のネクタイは、翌年度は一年生がつけることになっている。
春日野が付けているネクタイと俺のネクタイの色が同じであることと、彼女が10年前に亡くなったことから逆算すると、春日野は三年生の時に爆発事故とやらに巻き込まれたことになる。
「だが、10年間もあったのなら、俺と出会う前に情報収集なり、生徒の前に現れて今みたいな話をする機会は無かったのか?」
『それが出来ていたら、僕はとっくに心残りなく成仏していたさ。でもなにせ、僕がダークマターの力を受けて実体化できたのはこれが初めてだからね』
「……は? 死んでから今日まで、一回も実体化したことがなかったのか? でもさっき、人の記憶とかに反応する元素のおかげで実体化できたって……」
『うん。でも、普通は実体化できるほどその元素と結び付けられないんだよ。君はさっき、僕のことを相当なダークマター使いだって評してくれたけど、僕でも自力で実体化できるほどの技量も、知識もないんだ。それを可能にするにはもう一人、並外れたダークマター使いが必要だった』
「……まさか、それが俺ってことか?」
『そう。ちなみに、自力だといたずら程度に部屋の明かりをいきなり消してみたり、心霊写真として写りこむくらいしかできなかったんだ』
どうやら、春日野を現世に降臨せしめたのは、他の誰でもない俺自身らしい。
俺は世間でいうところの、霊感が強い人間になるのだろうか。
……でもこれ、下手をすると春日野以外の幽霊もおびき寄せて実体化させることにならないか?
気付いたら、俺の周りは幽霊だらけになっていたりするのか?
『いや、それはないと思うよ』
「どうしてそう言い切れる?」
『僕と君のダークマター的結びつきが強すぎて、現状では他の霊が入り込む余地がないんだ。つまり、運命の赤い糸ってやつだね』
最後のくだりは何を言っているのかよく分からないが、春日野の話を信じるならその心配はいらないらしい。
幽霊といっても、春日野みたいに危険性の無さそうなやつだけとは限らんしな。
復讐願望を持った霊が実体化なんてしたら騒ぎになるだろうし、その一翼を俺が担っているとなれば俺も気分が悪いからな。
『僕も、善人の皮をかぶった悪人かもしれないよ?』
「ま、確かにな。人は見かけによらないってのは良く言われることだし」
『む、そこはキッパリ否定して欲しかったような気もするけど……』
「それは、春日野が今後どうするかによるな。で、この後はどうするつもりなんだ? せっかく実体化したんだし、このまま人として第二の人生を過ごすのか?」
『……いや、僕は一度死んだ人間だ。心残りが無くなったら、潔くこの世から消え去るから安心してくれていいよ』
「……そうか。いや、アンタが自分でそう決めたのなら良いんじゃないか? して、その心残りってのは? 自分が死んだときのことか?」
『うん。なぜ僕は死ぬことになったのか、他に巻き込まれた人とかはいなかったのか、とかね。気にしだしたらきりが無い性分なんだ』
「なるほどな。んじゃ、明日から早速調査を開始してみるか。10年前の事故なら、ちょっとその気になればすぐに分かると思うぜ」
『ありがとう』
「なーに、俺が呼び寄せたも同然なんだ、成仏させてやらないと気が済まないってやつだよ。……11時か、少し早いけど、今日は風呂に入って寝るか」
『そうだね。じゃあ、僕はそろそろ消えるとしよう。あ、夜寝付けなかったら僕の名前を呼んで、すぐに現れるから』
「ご親切にどうも。そんなことはないだろうけど。……そっちこそ、俺の風呂覗くなよ?」
『君のもやしみたいな身体を見ても、面白くとも何ともないよ。じゃあねっ』
春日野は最後に俺のことを馬鹿にしていくと、水蒸気が見えなくなるかのごとく消えていった。