04.暗黒を見る者
「まったく…… 保健室はあなた達の休憩場所じゃないの。分かった?」
保健室でギャーギャー騒いでいた俺たちは、その現場を帰ってきた養護の飯島先生にバッチリ見られてしまい、あえなく現行犯逮捕されてしまった。
その後、少々のお説教を受け今に至っている。
「はい……」
うつむきながらそう返事をするのは瑞穂だ。
「ごめんなさい」
頭を下げて謝るのは、俺たちがお説教を受ける元凶となったと言っても良い、滝本である。
「以後、気を付けます」
そしてこれは俺の謝罪句。
「……まぁ良いわ。冬野君がベッドで寝ているにもかかわらず保健室にいなかった、私にも多少なりとも責任があるわけだし」
飯島先生はため息をついてそう言うと、椅子から立ち上がって俺の方へと歩いてくる。
「そういえば飯島先生、どこにお出かけだったんですか?」
「大学よ。はい、体温計」
俺の質問に対し飯島先生はあっさり答えると、体温計を差し出してきた。
俺はそれを受け取ると、左の腋で先端部を挟む。
「大学って、大和旭大学すか?」
滝本が、窓の外に見える大きな建物に視線を送りながら質問する。
その視線の先にある建物こそ、今滝本が話題に挙げた大和旭大学である。
東京から100キロ以上も離れているここ大和旭市は、世間一般でいう田舎であり、夕日を反射させて堂々とそびえ立つ大学の建物は少々というか、かなり不釣り合いである。
ちなみに、今の滝本の質問は質問の体を成していない。
大和旭市はおろか、隣接する市や町を含めても、大学は大和旭大学だけだからである。
「ええ。普段からお世話になっている研究室のところにね」
「研究室……っと」
保健室に、体温の測定が終わったことを知らせる電子音が鳴り響いた。
俺は左腋から体温計を取り出し、液晶部分に表示された体温を見る。
36.8℃というその体温は、ややもすると微熱だと言われがちだが、俺は平熱が高いので大体こんなものだ。
「熱は?」
飯島先生に体温計を手渡すと、先生は体温計の数値とタブレットを見比べている。
恐らく、タブレットには俺の身長や体重、病歴などが記されていて、そこには当然平熱も記載されているだろう。
「平熱ね。身体に普段と違うところはない? 頭が痛いとか」
「いえ、特になさそうです」
一応、首をぐるっと動かしたり、両腕を前後にまわしてみたりするが普段となんら変わらない。
「今のところ、異常はなさそうね。良かったわ」
飯島先生は安堵の表情を見せると、タブレットを操作し始めた。
「そうそう、どうして大学に行かれたんですか?」
瑞穂も気になっていたらしく、俺が聞くより先に訊ねた。
「私がお世話になっている教授はね、ダークマターが人体に及ぼす影響を研究なさっている方なの」
なるほど、そういうことか。
「え、それって、雪納の身体に何か異常が起こったってことですか?」
「おい瑞穂、今異常はないって結論に至ったろ」
「でも……」
なおも心配そうな視線を俺によこしてくる瑞穂に対し、飯島先生はクスリと笑う。
「大丈夫よ夕霧さん。私が研究室に行ったのは、万が一、冬野君に異常が生じたらどんな症状が出て、どう対処すべきか、それを確認しただけだから」
「そうなんですか……良かった」
瑞穂も安堵の表情だが、さっきの飯島先生のそれとは違って心底安心した、といった感じだ。
昔から瑞穂は、少々心配症にすぎる感があるが、どうやら今回もそうだったらしい。
「でも、夕霧さんの気持ちも分からなくはないわ。冬野君の倒れる直前の様子や光景を聞いたときは、一瞬ダークマターの暴走を疑ったわ。結果的にそうじゃなかったみたいだけど、もし暴走に至っていたら大騒ぎじゃ済まなかった可能性もあったもの」
「ダークマターの……暴走」
大騒ぎでは済まない、というのはどういう状況だろうか。
例えば、大学と附属中学・高校が消し飛ぶくらいのこととかだろうか?
……瑞穂が気にかけてくれた気持ちが、今回に関しては分かった気がする。
「でも、ダークマターの暴走じゃないとしたら、雪納に起こったのは何だったんすか?」
「身体がダークマター行使に慣れていないために起こる、一種の拒否反応みたいなものかしら。パソコンの強制終了と同じ感じね」
「ふーん……って、それでも結構ヤバいんじゃないすか? そうすると、雪納はダークマターを使おうとするたびにこうなる可能性があるってことっすよね?」
滝本の指摘に飯島先生は首を横に振る。
「慣れてくればその心配はないわ。ただ、今日の適合率判定試験は、文字通り適合率を調べるために行われるんだけど、ある程度高度な能力行使をしてもらわないと正しい適合率が出ないのよ。そうなると、まだダークマターに慣れていない1年生にとっては少なからず負担になってしまう」
「つまり、慣れてくるまでは無闇にダークマターを使わない方がいいってことですよね?」
「そうね。少なくとも、二年生になって授業でダークマター実践論を受けるまでは、今日みたいな高度な使い方はオススメしないわ。初歩的な練習でも、できるだけ先生かダークマターを扱える上級生に監督してもらうようにして」
「分かりました」
何事もゆっくり、着実に、ということだ。
さいわい、春休みまでの残り一か月半の間にスポーツ大会と期末試験が待ち受けているため、ダークマターの練習に注力している余裕はあまりない。
二年生になってからが本番だろうな。
「さて、と」
飯島先生が壁にかかっている時計を見る。
その動きにつられて俺も視線を動かすと、時刻はすでに18時を少し過ぎていた。
「追い出すつもりはないけど、そろそろ寮に戻った方が良いんじゃないかしら。特に冬野君は、今日一日はゆっくり休んだ方が良いと思うわ」
「しまった! まだダークマター序論の課題終わってねぇ!」
時計を見て思い出したのか、滝本が慌てだした。
大和旭高校には、英語や数学といった普通の高校で履修する授業の他に、ダークマターに関する独自の授業がある。
一年次は『ダークマター序論』という全員必修の授業があるのみだが、適合率判定試験を経て二年次からは、普通科文系と普通科理系、さらにダークマター関連の授業が普通科より多くなるDM科の三つに分けられ、DM科では大和旭大学の教授陣が教鞭を執る授業もあるらしい。
「滝本、大丈夫?」
「プリント二枚くらいだし、いくら勉強が苦手な滝本でもどうにかなんだろ。とりあえず、寮に帰ろうぜ」
絶望に打ちひしがれている滝本を引きずるようにして、俺たちは保健室を後にした。
「……? あれ、何かしら?」
校舎から5分くらいのところにある寮の建物が見えてきたころ、瑞穂がまさにその寮を指さした。
瑞穂の指さす先には寮の入り口があるのだが、そこにちょっとした人だかりが出来ていた。
「誰か倒れている……って感じじゃなさそうだな」
「そうね。どっちかっていうと、誰かが芸をやっててそれを見守ってるって雰囲気かな。でも、盛り上がりに欠けてるわよね」
「ま、あそこの脇を通らないと寮には入れないんだし、嫌でも何やってるか分かるだろ」
俺と瑞穂でそうやって話しているうちに、寮の入り口はどんどん近づき、食堂から漏れ出てくる夕食の香りまで感じられるところまで来た。
と、その時、
「申し訳ありません。中等部の寮の門限が近付いているので、今日はこの辺りで終了させていただきます」
という声が人だかりの中心から聞こえ、それと同時に、誰かを囲っていたらしい群衆がわらわらと動き出した。
「あー、もうそんな時間か」
「せっかく『中等部の天使様』が高等部に顔を出すっていうから来たけど、見てもらえなかったぁー」
そう残念そうな声をあげながら、高等部の生徒たちが寮の建物へ入って行く。
そして、人だかりを形成していたとおぼしき中心人物が見えた。
「ねえ雪納、あれ、中等部の子だよね?」
「ああ」
中等部と高等部とでは制服のデザインが同じなため、判断材料は男女とも胸につけているネクタイだ。
女子の方が見分けは楽で、高等部の女子が普通のネクタイなのに対し、中等部はリボンタイ、しかも学年によって色が異なるため、ネクタイを見れば瞬時に学年が判断できる。
一方男子は、中等部でも高等部でもネクタイのため色で判断するしかないのであるが、ややこしいことにどちらも同じ三色が使われているのだ。
中学一年生と高校三年生が同色とかなら流石に見分けはつくが、中学三年と高校一年が同じ色だと、体格もさほど違わないため紛らわしさは増大する。
まぁそれはさておき、人だかりの原因と思われる人物はリボンタイとその色から、中学三年の女子であることが判明した。
その女子は、自分が腰かけていたパイプいすをたたんで壁に立てかけ、スカートを直している。
「お、あれ、黒見玲ちゃんじゃないか?」
と、それまで課題の憂鬱さに沈黙していた滝本がにわかに活気づいた。
「なんだ滝本、あの子知ってるのか?」
「むしろお前らが知らないことに驚きだぜ。聞いたことあるだろ、『中等部の天使様』って言葉くらい」
そういえば、さっきまで群がっていた高等部の生徒の誰かが、そんなこと言ってたな。
「あ、ひょっとして、中等部にいるかなりの確率で占いが当たる凄腕占い師って話?」
瑞穂が先に思い当たったらしく、滝本に正解を求める。
「その通り! 何だよ雪納、知らないのか?」
「言われれば、そんな噂も聞いたことあったな。でも、確か高等部の方には滅多に顔を出さないって話だよな?」
「うん。どうしたんだろうね?」
「滅多にってことは、裏を返せばごくたまになら顔を出すってことだろ? 運が良かったと思って、俺たちも占ってもらおうぜ!」
そう言うと、滝本は小走りで黒見さんのところへ向かう。
「お、おい! さっき、今日はもう終了って……」
止めようとするが、俺たちのやり取りが聞こえたのだろう、黒見さんがこちらを振り向いていた。
「玲ちゃん! ぜひ俺の今後の恋愛ロードを占って……」
「捕まえたァ!」
下級生にちゃん付けで迫る滝本に何とか追いつき、背中に一撃入れて黙らせる。
「ごふぁっ!! な、何すんだ雪納!?」
「何って、知り合いでもなんでもない下級生にちゃん付けで近寄る危ない奴を止めただけだ」
「お、俺はただ、今後の俺の恋路を占ってもらおうと……」
「今日は終わりって言ってたろ? 諦めろ」
俺は黒見さんへと視線をむける。
突然の出来事に驚いたのか、黒見さんは壁にもたれかかり目をパチクリさせている。
「ゴメンね、黒見さん……でいいのかな? 大丈夫?」
瑞穂の声掛けに黒見さんは視線を瑞穂にむける。
「は、はい。私は黒見玲ですが……皆さんは?」
「私は夕霧瑞穂。見れば分かると思うけど高等部の一年よ。そして、あなたに急接近したのが滝本遼で、それを食い止めたのが冬野雪納」
「えっ……」
最後に紹介された俺の名前を聞いた黒見さんは、ピクリと反応を見せるとこちらに視線を移してきた。
そして、綺麗な黒い瞳でこちらをジッと見据えてくる。
……なんだ?
「そうですか、あなたが……」
「俺が、どうかしたのか?」
「さっすがはダークマターの申し子。もう中等部の子にまで名前が知られてるとはなぁ」
なぜか滝本が、自慢げにウンウンと頷いている。
「だから、その中二病全開なあだ名はやめろ。……それで黒見さん、俺がどうかした?」
「まさか、雪納の未来に不吉なものが見えたとか?」
瑞穂の一言に、黒見さんは一瞬間をおいて、
「そんなことはありませんが……時間があれば、しっかり占ってみたいとは思いました」
そう言って、パイプいすを持つと中等部の寮へ向かって歩き出す。
ところが、俺の脇を通り過ぎようとした黒見さんは、ふと立ち止まると小さな声で呟いた。
「……春日野綾」
「っ!?」
聞こえてきた単語に、俺はほぼ反射的に黒見さんの方を振り向いた。
「その名を持つもの、冬の上に降臨す。冬は暗黒の使い手。されど、冬なくして陽光の春はなし」
「な、何を……」
「冬野先輩は、非常に興味深い存在ということですよ。フフフ……」
そう言い残して、黒見さんは夜の闇の中へ消えて行った。