01.暗黒物質
「次、冬野!」
「はい!」
まだ寒さの厳しい二月のある日。
校庭を包み込む冷たく、澄んだ空気を切り裂いて耳に届いてきた教師の声に、俺――冬野雪納は負けじと声を張り上げた。
返事をした時の呼気が白くなって虚空に消えていくのを視界の隅に捉えながら、列から一歩前に出る。
「頑張れ冬野!」
「ダークマターの申し子ってやつの実力、見せてくれ!」
すぐ後ろから聞こえてくるクラスメートたちの、声援という名のプレッシャーを右手をフラフラと左右に振って受け流すと、俺は真正面を睨みつける。
睨んでいるといっても、そこに何か敵意をむけるような存在があるわけではない。
これはいわば、気持ちの表れのようなものだ。
これから俺が行おうとしている、今後の学生生活、ひいては人生を左右するのに十分なイベントへのやる気の表れ。
「これより、番号25番、冬野雪納の適合率判定試験を行う。こちらが合図をしたら事前に知らせてある通りにプログラムを実行すること。何か質問はあるか?」
俺の右斜め前方に立っている試験監督の教師が、これまでの24人にしてきたことと同じ確認を俺にもしてくる。
監督教師の隣には長方形の折りたたみ机が一つ置かれていて、そこには2台のノートパソコンが置かれている。
2台のパソコンにはそれぞれ三人の白衣を着た男たちが近くにいて、全員が画面を食い入るように見つめている。
もっとも、まだ俺の試験は始まっていないのだから何も表示されてはいないだろうが。
だが、これから俺が行おうとしていることにクラスメートを含めこれだけの視線が注がれているのだと思うと、肌を刺す様な寒さとは別の原因で震えが走る。
小さく息を吸い込み、はき出す。
頭の中でこれからすべきことのすべてを今一度シミュレート。
この後自分がなすべき一連の動きをすべて脳内で再生する。
よし、これを全部完璧にこなせれば高い評価はもらえる。
「始め!」
監督教師の開始の合図が木霊する。
俺は合図と同時に全速力で走り出す……ということはなく、開始前とまったく同じ姿勢を維持する。
風が空気を切る以外のすべての音がこの場から消え去っていた。
俺はというと、依然として何もない正面の空間を見続けている。
だが、だからと言って何もしていない訳ではない。
まぁ外見的な動きとしては何もしていないのと同じなのだが、他人からは見えない脳内では全意識をその何もない空間に集中させていた。
まだだ。
開始の合図から1分近くが経った。
沈黙を続けてきたクラスメートたちから徐々に漏れ聞こえてくるざわめき。
まったく、落ち着きのないやつらだ。
こっちは緊張してる上に、出来る限りデカいのを作り出さなきゃいけないっていう余計なプレッシャーを背負っているんだ。
1分くらいは準備期間として使わせてくれたっていいだろうに。
その1分のあいだにこっちの身体は徐々に熱くなり、脳の芯のあたりがピリピリしてきたようにも感じ、時間の流れが遅いと思えるくらいに集中してひと踏ん張りってところまで来たんだからな。
でも、時間の流れが遅く感じるようになったせいなのか、気付かないうちに1分半も経っているような気がする。
流石にここまでかかるとは俺自身、想定していなかった訳で。
もう少し、後10秒もすれば接続できる。
だが、監督教師は俺の焦りなど露知らず、チラリと腕時計を見るとパソコンを注視していた白衣の男の一人にむかって頷いた。
それを見た白衣の男も頷き返す。
どうやらタイムリミットで終了ということになりそうだ。
でも悪いな先生、その宣告を告げることはなさそうだ……!
先生の口が開いた瞬間、脳内を雷のような光が駆け巡り全身が熱にうなされている時のように熱くたぎった。
「つながった……! いけっ!」
無自覚に発した言葉と同時に、これまで見つめていた空間に変化が、それもおよそ通常では考えられないような変化がおこった。
「な、なんだ……!?」
「嘘……でしょ!?」
その現象を目の当たりにした後方のクラスメートたちからは、普段赤点スレスレのやつがいきなり満点を取ったことを教師から告げられたその他の生徒のような、驚愕度120%の声が聞こえてきた。
……訳の分からない例えを使ってしまったが、それくらい俺自身も驚いたってことにしておこう。
それはそうだろう、なにせ『何もなかった場所に、いきなり炎の渦が発生した』のだから。
補足しておくと、この現象を引き起こした俺が驚いてしまったのは、あまりにも予想通りに炎の渦を引き起こせてしまったからだ。
そして、火の気のないところに炎の渦を作り出すことを可能にしているものが、さっきも誰か言ってたがつい20年ほど前に発見された『ダークマター』である。
漢字で暗黒物質と書いてダークマターと読むその物質は、20世紀から存在が仮定されてきたもので、天文学や素粒子物理学にとっては是非とも解明したい事柄の代表格だった。
だがそこには、『ダークマターは人間が見知っている物質とはほとんど反応しない』というあまりにも大きな壁が立ちはだかっていた。
ダークマターの間接的な観測は20世紀から行われてきたが、それを直接手中に収めることは21世紀に入っても出来ないでいた。
しかし2030年、ついに人類はダークマターに触れることに成功する。
それを成し遂げたのが、俺の通っている高校を附属に持つ私立大和旭大学の研究室だ。
発見から20年、どのくらいの進み具合なのかは素人の俺には分からないがとにかく研究は進み、今では人間がダークマターをある程度制御できるまでになっている。
その成果とも言うべきものが、現在俺の目の前にある炎の渦だ。
校庭に発生した炎の渦は直径が5メートル、高さは10メートルくらいのもので、渦はその場に静止している。
している、というのはちょっと正しくない。
正確には、『俺が力でその大きさに固定し、その場から動かないように静止させている』というのが正しい。
そう、この炎の渦は俺が力を行使した結果だ。
「すげぇ……すげぇよ雪納!」
「はっ、感心するにはまだ早えーよ滝本! テメェらが俺の株を上げまくったんだ、それに見合った分の成果はしっかり拝ませてやるよ!」
俺は友人の一人、滝本遼の方をチラッと見ながらそう叫ぶと、右手を左から右になぎ払った。
その直後、渦が炎をまとったまま凍った。
何を言っているんだコイツは、というツッコミが聞こえてきそうだが、文字通りの現象を起こしたのだから仕方ない。
渦状で地面にそびえ立つ氷柱の中には、わずかに赤みを見ることができる。
あれこそ先ほどまで俺たちに圧倒的な風圧と熱量を提供していた炎なのだから氷など内側からすぐに溶かされてしまうのでは、という疑念にぶち当たるわけだがそんなことはない。
これも炎のつむじ風同様、『その状態を維持するように』俺が無理やり固定させている。
「こ、ここまでくるとすごいって言うか、怖いよな……」
「滝本、ビビッてんのか? まぁ正直に言うと、これを引き起こしてる俺もちょっとビビってんだけど」
「当事者が何言ってんだよ」
「そりゃお前、いくらダークマターのおかげで人間にさらなる進化の可能性が見えてきたとはいえ、こんな物理現象をひっくり返しそうな現象を引き起こせるんだぜ? ビビるのが当然ってもん……だ?」
俺がそう滝本に言いながらプログラムの最後に移行しようとした時だった。
『ふーん、この子が今まで見てきた中で一番やるかも。前評判は伊達じゃなかったってことか』
それは突然やってきた。
というわけで、長らく告知だけに留まっていたオリジナル、ついに始めました。
何かありましたら感想やコメントなどで。
今後ともよろしくお願いいたします。