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【SS】芯を買う

作者: しろみく
掲載日:2026/04/21

お前は芯の無いやつだな。と上司に言われたので芯を買ってみようと思う。

お前は芯の無いやつだな。と上司に言われたので芯を買ってみようと思う。

芯屋も色々らしいがデパートなら間違いないだろうと思って、久しぶりの休日に日本橋の百貨店に行く。フロア案内を眺めると芯コーナーは文房具や生活雑貨のフロアにあった。早速エスカレーターに足を向ける。

辿り着いたフロアは紺色のビロードのような絨毯が敷かれている。文具コーナーでさえ格調高い。慣れない厳かさに少し緊張して芯コーナーに入ると担当らしい男が近づいて来る。

「いらっしゃいませ。何かお探しでしょうか」

「ちょっと芯を入れたいと思いまして……でも何がいいのかさっぱり分からなくて……」

「なるほど。まずはタイプから説明致しますね」

清潔感のある若い男性店員はにこりと笑うと近くの棚に並べられている芯を指した。

「こちらに並んでいるのはBシリーズです。柔らかい芯で可塑性があり、子供やお年を召された方に人気があります。その隣のHBやFはバランスが良く幅広い世代に、特にデスクワークをされる方にご愛顧いただいております。製図など細かい作業に向いているのはHですね。職人さんはHの方が多いです。Hは大きい数字に向かうほど硬くなります。柔軟性には欠けますが、鋭く折れにくくなりますよ」

どれか気になるものはございますか? と聞かれて私はううんと唸る。

「私は営業なのでできるだけ柔らかいのがいいのかなあ。でもしっかりとしていたいし。深みも欲しいな……」

「お時間よければ幾つか試着されませんか? その上でしっくり来るものを選べばよろしいかと思いますよ」

なるほど。ととりあえず代表的なB、2B、HBあたりを試してみることになった。店員は慣れた手つきで私の背に芯を当てる。

柔らかい芯はフィット感が抜群だ。これならどんな状況でも柔軟に対応できそう。顧客の無理難題に対してもいい解決策が浮かぶのではないだろうか。硬い芯は何より背筋が伸び堂々としていられる。多少の難関もこの芯なら倒れずに乗り越えられそうだ。

「ううん……どれも良さそうだ。それぞれに長所がある。どうしよう、どうしようかな」

「たくさん種類がありますから迷いますよね」

爽やかな笑顔を浮かべて店員は私に付き合ってくれている。しかし答えは出そうにない。あまりに迷ってしまい、少し気まずくなって来た私を察したのか店員が助け船を出す。

「決して安い買い物ではありませんからね。一度ご自宅で検討されてもよろしいかと。気になる芯があればお取り置きすることもできますよ」

うーん。うーん。でもなあ。そう言われるとでもなあ。一度帰ってしまうともう来ないような気もするなあ。店員さんも付き合ってくれてるし……よし、今日決めよう! 決めるぞ!! とは言えどれを選ぶか決めかねているといいアイデアが閃いた。

「店員さん、あなたの接客は素晴らしいですね。あなたは何の芯を使っているのですか?」

「ありがとうございます。もちろん私もここの芯を入れていますよ。3Hですね。お客様に確固たる信頼と安心を提供する接客をしたくて硬い芯を選びました」

「おお、それはいいですね」

これで決まった。私は店員さんと同じ芯を入れることにした。


「当店は芯入れと固定はサービスとさせていただいております。こちらへどうぞ」

広めの試着室でメジャーを首から下げた芯入れ担当に促されシャツを脱いで背筋を伸ばす。「そんなに緊張なさらないで。リラックスリラックス」

そう言う彼もまた爽やかな好青年だった。芯を入れたら私も彼らの仲間入りできるかも知れない。なんて思うと嬉しくなる。

芯を背に入れて固定すると、何だか爽快な気分になった。シャキッと言う擬音語はこのことを言うのだろう。まるで生まれ変わったかのように芯から自信が溢れてくるのが分かった。

「それは元々あなた自身が持っていたものなのですよ。芯は支えに過ぎません」

そう言われて私はますます嬉しくなった。何て素晴らしいんだろう。

「何かありましたらいつでもご相談下さい。お買い上げまことにありがとうございました」

二人の店員に見送られ私は百貨店を後にした。帰り道、店々のショーウィンドウに映る自分は行きよりもさっぱりとした表情で足取り軽くまるで別人みたいだった。


そしてこの日から私の人生はしばらく好転したように思う。営業先でもあれこれ無意味な心配せず堂々としていられることはもちろん、私用の外出先でも私の在り方は変わった。すれ違う人に舌打ちされたり陰で笑われたりすることも無くなったように思う。佇まいというのは思いの外大事だったらしい。

ある日上司にミーティングルームに呼ばれた。営業成績が少しずつ上向き始めたのもあり、ここで少し大きな取引を任せられることになったのだ。

「お前最近調子良いからな。やれるな?」

以前なら恐れ多くて縮み上がって震えていたであろう言葉も冷静に受け止めることができた。

「もちろんです。期待に応えてみせます」


「先輩、ちょっといいですか?」

「どうした?」

今や私もすっかり後輩に頼られるようになっていた。後輩の坂本が小走りでタバコ休憩に向かう私を追いかけて来た。休憩を兼ねて二人で喫煙ルームに向かう。

「実は間に入っている個人事業主に苦言を呈されまして……お前みたいな若造に何が分かるんだって……あんまりにも何回も言われるんで参ってるんです」

「それはお前が常に自信なさげで相手に伺いを立ててばかりいるからだぞ」

坂本は以前の自分と少し似ていた。坂本の営業先で一緒に仕事をしている個人事業主は根っからの職人気質の為、一人では何もできないようなオドオドした態度を嫌う。打てば響くような反応の速さと確かさが求められる。それに必要なのはずばり……

「胸を張って堂々としていろ。自分に芯を持て、芯を。確固たる芯を」

坂本は真面目な顔をして聞いている。根はしっかりしていて素直な男である。毅然としていれば私のようにうまく行くに違いない。


「お前、坂本と一緒に謝りに行って来い」

上司に呼ばれそう言われたのはあの喫煙室から一週間ほど経った後だった。話を聞くと、坂本が連絡ミスをして先方に迷惑をかけるところだったらしい。例の個人事業主が機転を利かせてリカバリーしてくれたが、取引先は苦笑い、個人事業主も怒らせてしまったようだ。

「坂本一人では荷が重い。ダメだあいつは。担当交代すると言ってお前が何とか丸くおさめてくれ」

あいつは全く何をやらせてもダメな奴だ。そうぼやく上司の言葉に、そしてどこか投げるような態度に私は反論したくなった。坂本もミスをしたくてしたわけでは断じてない。坂本側にも事情があったのかも知れないし、彼は最後まで頑張りますと言っていた。そう考えていると思わず……

「坂本に最後までやらせて下さい」

上司はぽかんと口を開けた。自分でも言って驚いた。すぐに上司の顔が険しいものになる。

「何でお前がそう決めるんだ?」

「いや…あの」

「だから何でお前が決めるんだ? 今回の件は坂本のミスだぞ。全く、少しはましになったかと思ったのにお前ら二人揃って……」

それ以上は何も言えなかった。とにかく今は一刻も早く頭を下げに行くしかない。そう切り替える。


そう思っていたのに。一旦謝り、それから坂本と担当継続を頼みに行こうそう思っていたのに。個人事業主を前にして頭を下げようとするのに下げることができなかった。ほんの少し体を傾けただけでグッと力が入りそれ以上は曲がらない。

坂本にここに来る道すがらに話しを聞くと、坂本から個人事業主には何度か電話をしたが繋がらなかっためにメールで連絡をした。個人事業主はメールを見ておらず、日程変更が共有されなかったことを発端とする単純なミスだった。

これは一方的に坂本を責めることなのか私には分からなかった。坂本はメールを送信した後も何度か電話を入れているわけで。

頭が下げられないのは、私の中心にある芯が硬いからだ。心から謝れることではないと思っているからこうなる。

「何をやってるんだ」

隣で深くお辞儀をしている後輩がいるのに動かない私を見て個人事業主が声を荒げる。

「この度はまことに……」

「もういい。担当を替えてくれ」

「まことに申し訳ございませんでした」

体を無理やり折り曲げる。かろうじてゆっくりと頭を下げた。


「すると、私の中にある何かプライドと言うか芯と言うかそう言うものが折れた気がするんです」

次の休日、私は芯を買った百貨店へと再び足を運んでいた。

「お客様…電話大変申し上げにくいのですが」

あの時と同じ店員が私の背中を見て言う。

「どうやら芯が望んでいない形で曲がったまま固まってしまっています」

何となくそうではないかと思っていたが、いざ聞いてみると悲しかった。私の背中を支えてくれていた芯はもう使えないのか……。

「そうですね。こうなるともう……」

「なら新しい芯を買います。もう芯の無い人生なんて考えられない」

「あまりご無理をなさらないで下さいね」

店員は心底心配そうだった。だがこの時恐らく店員はもっと別の心配をしていたのだ。後日それを知ることになる。


「また歪んでしまった。済みません。今度はBシリーズにします」

芯を入れ替えてから一ヶ月後、私はまたしても百貨店を訪れていた。取引先との関係がうまくいかなくなっていた。謝れば丸くおさまる場面で謝ることができなくなっている。他にも効率の観点から見たベストな道を歩けない。後輩の心配をしているどころではなくなっていた。そして私はどこか冷静さを失っていた。


頭を下げる度に折れてまた芯を買いに行く。

「一度体に固定した芯はそんなに簡単に入れたり出したりするものじゃないんです。みだりにそう言うことを繰り返すと芯が入らなくなります」

店員が焦った顔で言う。しかし会社での立場や取引先との駆け引きに芯は必要だった。多少の無理をしてでも仕事を円滑にしなければならない。私にためらいは無かった。そして結局のところ芯生活は長続きしなかった。店員に芯を売ることができないと告げられたのだ。私は泣いて店員にすがった。

「何でですか!? 売って下さい! お願いします! 芯がないと私は……私は……」

必死の訴えむなしく店員は黙って首を振った。

「ここから先は我々の対応できる範囲ではありません。専門医にかかることをおすすめします」

「病院……? 何故……?」

「芯中毒です」

店員は静かにそれだけ告げた。

私は膝から崩れ落ちる。店員が同情するかのように優しく肩を叩いた。うなだれたままで聞いてみる。

「店員さん……あなたはどうやって芯を保っているんですか?」

「私ですか? 私の芯はとっくの昔に真ん中が折れたきりですよ」

ご愛顧のほどありがとうございました。そう言うと店員は驚くほど美しい直角の礼を見せた。

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