風と泡の宿
目を覚ました瞬間、潮の香りがした。
潮風が頬を撫で、波の音が遠くでリズムを刻んでいる。
……けれど、ここは海辺じゃない。どうやら、湖のほとりらしい。
視界の先には、木造の宿屋。
看板には、風に揺れる蔦文字でこう書かれていた。
『風と泡の宿』
「……なんだここ。夢か?」
声がやけにクリアに響く。二日酔い特有の鈍痛もない。
昨日の夜、現実で飲みすぎて、気づいたらこの世界。
まるで、ビールジョッキの泡の中から抜け出したみたい。
ドアを開けると、柔らかな木の香りと、焼きたてのパンの匂い。
カウンターの奥で、ひとりのメイドがにっこり微笑んだ。
「気が付いた?お兄ちゃん。おはよう!」
……ソアラ。
青色の瞳がきらりと光り、白いエプロンがふわりと揺れる。
「昨日はずいぶん飲んでたよ? でも、安心してね。ここでは、現実のことは誰も聞かないから」
その声が、妙に優しく響いた。
横のテーブルでは、ちっちゃな貴族少女リリーネが紅茶を入れ、
カウンターの隅では、青髪美女シャーロットがグラスを磨いている。
そして、入り口から聞こえる明るい声。
「おはよ〜ございますっ! あ、センパイ起きたんですねっ♪」
振り向けば、後輩。薄ピンク髪が朝日に照らされて、光を弾いていた。
気づけば、手の中にジョッキ。
泡立つ黄金色が、まるで新しい世界の始まりを祝福しているように見えた。
「今日も一日、ゆっくりしていってくださいね」
誰かのその一言で、現実のざらついた感覚がふっと溶けていった。




