第一章-28 血と盾の裁断
咆哮が、空間を裂いた。
《ゴブリンジェネラル》の肉体が膨張し、赤黒く変色している。蒸気のような熱が肌から立ち昇り、目はもはや理性を宿していなかった。
暴走——。
塔が生み出した戦闘兵器が、完全にゴブリンの“種”としての限界を超えた瞬間だった。
「来るぞッ!」
レムナの声に、セシリアとアリサがそれぞれ構える。
その瞬間、ジェネラルが動いた。
地響きとともに突進。巨体の鉄鎧が唸りを上げ、空気を押しのけるようにして迫ってくる。
レムナは剣を抜き放ち、正面から迎撃する。
「ッ……!」
(……重ッ…!!)
剣と斧がぶつかる。だが、剣は押し負けた。振るわれる斧の質量は、もはや“攻撃”というより“破壊”に近い。
受けきれない。——逸らす。滑らせる。受け流す。
だが、すべてはギリギリの綱渡りだった。次第に体勢が崩れ、そして。
レムナの足が滑る——その刹那。
「……下がってください!」
セシリアが前へ出た。盾が重撃を受け止め、金属が悲鳴を上げる。衝撃で後退しつつも、彼女は歯を食いしばって耐え抜いた。
「ナイス……っ」
「今は凌ぐしか、ありません!」
剣と盾の連携。
レムナが前へ、次にセシリアが受ける。交互に立ち向かい、かろうじて巨体の暴風に対抗する。背後から、アリサの魔力が閃く。
「《火光・スパークライト》!」
放たれた炎の魔弾が、ジェネラルの肩口を焦がす。
だが。
「……効きが……薄い……!」
皮膚が灼けただけだった。血は出ず、動きも鈍らない。レムナが小さく舌打ちをする。
(……堅すぎる。こいつ……本当にゴブリンか?)
数の利は、意味をなさない。三対一。それでも、押されているのは彼らのほうだった。
「……ジリ貧だ」
レムナが呟いた。
(誰か一人でも崩れたら、即、瓦解する)
もう一段、こちらの“出力”を上げなければならない。その覚悟を、喉の奥で噛み潰すようにして飲み込む。
「セシリア、仕掛ける、動くぞ」
「はいッ!」
セシリアが渾身の力で大斧を弾く。次の瞬間、レムナが突っ込んだ。
巨斧が上段から迎撃する——だが、それは意図したフェイク。
「そこだッ!」
《カイン》とレムナの経験から導き出された完璧な読み。
剣の軌跡が、振り下ろすジェネラルの右手首へ吸い込まれる。下段から斬り上げ剣撃で、手首を斬り飛ばす。
赤黒い血が噴き出し、大斧が床に転がった。
(……よしッ!)
確かな手応えと勝機。
その直後だった。左腕がうなった。視界が傾ぐ。
「っが──」
ジェネラルの反撃。残った左腕の拳が、レムナの胴を捉え、容赦なく吹き飛ばしたのだ。
空中で身が捻れ、石床に叩きつけられ、数度転がる。
視界が霞む。音が遠のく。痛みは遅れて、津波のように押し寄せてきた。
かすかに聞こえる声——。
「レムナ……!」
アリサの声だった。
(……くそ、……しくじった……)
意識が落ちる寸前。レムナの手が、血塗れのまま剣を掴む。
「……まだ、だ……」
*
(……痛みも感じず、即座に反撃してくるとか……)
(……それは、生物として終わってるだろが……!)
倒れ込みながら、レムナは内心で毒づく。 アリサが駆け寄った。
「レムナ、大丈夫!? 傷が……!」
「ああ、……なんとか、な……」
呻きながらも立ち上がる。膝が震える。
しかし、その瞳にはまだ、研ぎ澄まされた意志が宿っていた。 視界の先では、セシリアが懸命に前線を支えていた。
《ゴブリンジェネラル》の左手首から先はすでになく、赤黒い血が滴っている。
だが、奴はそれを痛みとも思っていない。いや、“痛覚の存在そのもの”が欠如しているようだった。 そして、全身から吹き上がるような“異常な熱”。
(痛覚も、理性も、敵意すら──もう“必要ない”ということか)
それは、ただ殺すために造られた“塔の器官”。 “戦闘機能”だけを残した。もはや生物ですらない。
「……あれが、限界を超えた姿……」
アリサが小さく呟く。
爆裂魔法の余熱が足元で燻り、焦げた空気が肺に刺さるように重い。
「魔力も……狂ってるわ。こんなの、今まで感じたことない……圧よ」
「なら、止めるしかない」
レムナは、血に濡れた剣を握り直し、息を深く吐いた。
(これが最後だ。つぎはもう──立ち上がれない)
「あと、何発撃てる?」
「……三発。でも、威力を出せるのはあと一つだけ」
「わかった。合図で、奴の足元を狙ってくれ」
「足元……? ちょ、ちょっとレムナ、それって──」
アリサの疑問を残して、レムナは振り返らない。 そのまま落ちていた両手剣を拾い、セシリアの横へ駆け戻った。
再び迎える猛攻。
ジェネラルの攻撃は単調だが、質量と速度がすべてを凌駕している。
(まずは……誘い込む)
振るわれる拳。突き出される膝。振り下ろされる足。 レムナはすべてを紙一重で受け流し、タイミングを測る。
「セシリア、下がれ……!」
「了解っ!」
レムナの集中は、神経の一本一本まで研ぎ澄まされていた。
(奴の右肩が一瞬、浮いた……次の軌道は──下段、横薙ぎ)
ほんのわずかな筋肉の収縮から、次の一手を読み切る。
一向に仕留められぬ苛立ちからか、ジェネラルの攻撃が徐々に大振りになる。 その隙を見逃さない。 地を這うような下段の拳。
「……いまッ!」
レムナは剣で“意図的に”その攻撃を受け、後方へ吹き飛ぶ。 見事に計算通り、数歩の距離が生まれる。
しかし、足は崩れず、視線は獣を捉えたまま。
「アリサっ!」
叫ぶ。
「──《焔槍・カルヴァリオ》ッ!!」
アリサの紅き魔力が奔る。空気を裂き、燃え上がる槍が地を穿つ。
直撃。
爆裂。
ジェネラルの足元が爆ぜ、火煙が濃密な煙幕を作り出す。
その中を、レムナが駆けた。 剣を引き、全身の力を一点に集中させる。
全てを懸けた、一撃。
煙の向こう。
浮かび上がるのは、鬼神のごとき暴君の影。
刃の狙いは、ただ一つ──心臓。
(ここで、終わらせるッ!!)
全身のバネを限界まで解放し、心臓を貫く一点突破。
突き出された剣が、真芯を捉え──
「……ッ!」
止まった。
鈍い手応え。押し込めない。
視線を落とすと、ジェネラルの左手が、血まみれの剣を握っていた。
常軌を逸した反射速度。常軌を逸した怪力。
(……押し負けるッ……)
ギリギリと剣が軋む。筋肉の悲鳴が全身に走る。
歯が砕けそうになるほどに噛みしめる。
(まだだ……まだ、終われるかよッ!)
しかし、力では引き剥がされ始めていた。
そのとき。
「レムナさん!!」
セシリアの声。
刹那、理解が走る。
レムナは、剣から手を離す。
(──いけ)
一瞬、世界が静まった。
音が、色が、空気の流れさえも、まるで凍りついたかのように消える。
眼前にあるのは、握られた剣。
固く閉じられた巨人の手。
血の膜に包まれながら、確かに刃先は、心臓を目指していた。
その瞬間── 音なき轟音が、世界を貫いた。
セシリアの盾が、雷鳴のように打ち鳴らされる。
《シールドバッシュ》。
押し出された刃が、滑るように進む。
重力を、筋肉を、肉体そのものを裂き貫く感触が、視覚越しにレムナへと伝わってくる。
その感覚は、温かく、重く、そして、あまりにも確かだった。
時が、ゆっくりと動き始める。
赤黒い肉がわずかに震え、 巨体が、何かを失ったように膝を折る。
血が噴き出すでもなく、悲鳴が上がるでもなく、 それはまるで、塔に還るだけの儀式のようだった。
そして── 崩れ落ちた。
残響すら、ない。
ただ一つ。
レムナの足元に、静かに落ちた剣の音だけが──勝利の存在を告げていた。




