最終章「真実の共鳴」
西園寺の手には古い鍵が握られていた。
「あなたは...」
「エコーの管理者だ。この町の記憶を守る者」彼は冷静に告げた。
「守る?嘘の歴史を作り上げ、真実を消し去ることが守ることですか?」私は怒りを抑えきれなかった。
西園寺は首を振った。「真実とは何だ?一つの出来事に、百の視点があり、百の真実がある」
「だからこそ、全ての声が残されるべきです」
「それは混乱を招くだけだ。秩序のために、一つの声だけが必要なのだ」
彼は一歩近づいた。私は本能的に後ずさりした。
「祖母は何を見つけたんですか?なぜ彼女は『処分』されたの?」
西園寺の表情がわずかに変化した。
「椿は賢すぎた。彼女は、この町の基盤となる秘密に辿り着いた。この町が...実験だということに」
「実験?」
「情報統制の社会実験だ。閉鎖された環境で、いかに人々の認識を管理できるか」
私は震える手で祖母のノートを握りしめた。「なぜそんなことを?」
「戦時中、政府の極秘プロジェクトとして始まった。戦後も続き、今は別の組織が引き継いでいる」
西園寺は窓の外を見た。「我々は『混沌から秩序を』という指針のもと、この町を理想郷にした」
「でも、それは嘘の上に成り立つ世界です!」
「人々は真実より、安定を求める。椿はそれを理解できなかった」
「あなたが...祖母を...」
西園寺は首を横に振った。「私ではない。私の前任者だ。しかし、今私はお前を止めなければならない」
彼は私に近づいた。しかし、そのとき—
「そこまでだ、西園寺」
ドアが開き、北村老人が現れた。そして彼の後ろには数人の見知らぬ人々。
「監視システムが作動していたぞ」北村は私に向かって言った。「君が来ることはわかっていた」
西園寺は困惑した顔で彼らを見た。「北村、お前まで裏切るのか」
老人は悲しげに微笑んだ。「裏切りではない。真実への回帰だ」
彼は私に向き直った。「日高栞、あなたの祖母は私の古い友人だった。彼女は消されたのではない。隠れたのだ」
「隠れた?」
「ああ。この町の外で、真実を広めるために。そして今、彼女の仕事を受け継ぐ時が来た」
北村は一冊の本を差し出した。「これがあなたの祖母が残した完全な記録だ」
私がそれを開くと、そこには様々な声が記録されていた。戦時中の町民の本当の声。抑圧された意見。消された記憶。
全てが、祖母の丁寧な筆跡で残されていた。最後のページには見覚えのある写真。若き日の祖母と隣に立つ男性。
「私の...祖父?」
北村は頷いた。「彼もまた、真実を守るために戦った人間だ。彼らの血を引く君こそが、この記録を世に出す適任者だ」
「しかし、この町は—」
「変わる時が来たのだ」北村は西園寺を見た。「もう十分だ。七十年の実験は終わりにしよう」
西園寺は抵抗する様子もなく、ただ疲れたように肩を落とした。「お前たちは混乱を招くだけだ...」
数日後、私は祖母の記録を基に、「歴史のエコーチェンバー—閉ざされた町の真実」という論文を発表した。
それは瞬く間に広がり、この町に関する調査が始まった。埋もれていた声が次々と明るみに出る。
そして一通の手紙が私の元に届いた。消印は遠い外国からのもの。
「栞へ。あなたが真実の声を響かせてくれて嬉しい。いつか会える日を楽しみにしています—つばき」
私は窓から見える西御殿を見上げた。今やその扉は開かれ、誰でも入れるようになっていた。
エコーチェンバーの壁は崩れ、様々な声が行き交うようになった。
時に不協和音を奏でることもあるが、それこそが真実の姿なのだろう。
私は祖母の写真を胸に抱きしめた。
「待っていてね、祖母さん。あなたの残した仕事を、私が完成させるから」
窓の外では、新しい朝の光が町全体を包み込んでいた。
あとがき:「歴史のエコー」を書き終えて
こんにちは、読者の皆さま! 「歴史のエコー」をお読みいただき、ありがとうございます。
この物語は、情報が溢れる現代社会での「エコーチェンバー現象」という概念を、歴史ミステリーとサスペンスの形で描きたいというひらめきから始まりました。SNSで同じ意見ばかりに囲まれる現代人の姿と、閉鎖された地方都市という設定が、ふと頭の中で重なったのです。そこから「もし町そのものがエコーチェンバーだったら?」という問いが生まれました。
主人公の栞を作り上げるのは、実は一番苦労しました。「地味だけど内に情熱を秘めた学芸員」という設定は簡単ですが、彼女の内面の揺れ動きや覚悟を描くのには何度も書き直しました。個人的には、栞が西御殿で祖母の記録を発見するシーンが最も思い入れのある場面です。真実に触れた瞬間の彼女の震えを、自分の体でも感じながら書きました。
執筆中に一番驚いたのは、北村老人のキャラクターが勝手に成長していったことです。当初は単なる情報提供者として登場させるつもりでしたが、書いているうちに「彼こそが裏で真実を守る人物だ」と確信するようになりました。創作とは不思議なもので、時にキャラクターが作者の意図を超えて動き出すのです。
実は「歴史のエコー」は、私が子供の頃に住んでいた小さな町での体験がベースになっています。その町では皆が同じ話を繰り返し、異なる意見を持つ人は「よそ者」とされていました。その閉塞感と、祖母から聞いた戦時中の話が、この物語の土台となっています。
次回作では、栞が祖母と再会する続編「記憶の回廊」を構想中です。海外を舞台に、より大きなスケールで「真実」をめぐる物語を展開したいと考えています。もちろん、西園寺や北村も再登場する予定ですので、お楽しみに!
最後になりましたが、読者の皆さまへ。私たちは日々、様々な「エコー」に囲まれています。時にそれは心地よく、時に危険です。この物語が、皆さんの中に小さな「問い」を生み出してくれたなら、作者として最高の喜びです。
これからも「静かな抵抗」の物語を紡いでいきますので、応援よろしくお願いします。次回作では、もっと皆さんを驚かせる仕掛けを用意していますよ!
P.S. 実は西御殿のモデルとなった廃屋は実在するのですが、私が子供の頃に実際に侵入して怒られたという痛い思い出があります。栞の恐怖は、あの日の私の動悸がベースになっているのです。創作とは、やはり体験の再構築なのかもしれませんね。
それでは、また次の物語でお会いしましょう!