貴方の隣にいられるように
ここ数日、イアンは先日の闇オークションによる後処理や公務に追われていた。
「毎日が忙しすぎるぞ…少しくらいは休みが欲しい…。」
「そんな殿下に朗報ですよ。」
執務室にいたヴィクターが何やら資料とともに入ってきた。
「ヴィクター…せめてノックくらいはしてくれ…。」
イアンははぁー…とため息をつきながら、机の上においてある書類とにらめっこをしている。
「しましたよー?殿下が気づきもしないので入りました。」
「……それで?朗報とはなんだ?」
「先日、殿下に頼まれていたルアナ様に関する身元調査ですよ。」
「なっ!?」
ガタガタと慌てるようにイアンはヴィクターの元へ近寄る。
「少しは落ち着いてくださいよ。」
「落ち着くも何も、落ち着いているぞ。」
何を言っているんだこの人は…、ルアナ様と名前を聞いただけでいつもこのありさまなのに…。
いい加減にルアナ様に一目ぼれで恋心を抱いているという事に気付いてほしいですね…。
ヴィクターも内心イアンに対して呆れていた。
「で、ヴィクターどうだった?」
「えぇ、調査結果によりますとあの悪質な施設に入所するまではダラム神聖国にいらっしゃたみたいです。」
ヴィクターは調査結果の資料を休憩用の机に広げる。
「ダラム神聖国か…15年前に内戦が起きて、蛇獣人が今政権を握っている国か…。」
「はい。ルアナ様はその内乱の始まる1年前に生まれております。…ですが、出生場所がなぜかヴィーナス城なのです。」
ヴィクターは資料にある医療日記の在所の欄を指した
「城での出産か…。ダラム神聖国には月の乙女の一族がいる、といった噂を聞いたことがあるが、その真意はわかったか?」
「それについて、なのですが…。」
突然コンコンと扉を叩く音が聞こえる。
「殿下いらっしゃいますかぁ~?アイリスですぅ、少しお話がありましてぇ~。」
すかさずイアンは執務室の扉を開ける。
「ヴィクターに頼まれてここに来たのだけれどぉ、お邪魔だったかしらぁ?」
アイリスは手を頬に当てながら、にこにことしている。
「いや、邪魔ではない、それよりもヴィクターがアイリスを呼んだってどういうことだ?」
「殿下ぁ、私からルアナ様の事をお話してもよろしいでしょうかぁ?」
「あぁ、もちろんだ聞かせてくれ。」
イアンはアイリスからの話に月の乙女という言葉を聞き驚愕してしまった。
「アイリスがダラム神聖国出身なのは知っていたが、そのようなことがあったとは…。」
「そうですねぇ、この話は公にできないものなのですぅ。なので殿下もヴィクターも言いふらさないでくださいましぃ。」
「あぁ、わかった。それは約束する。しかし、ルアナが月の乙女の一族とは…。本人は気づいていないようだが…。」
「そうですわねぇ…昔は私もヴィーナス城で働いておりましたが、ルアナ様はまだ1歳にも満たない小さなお子様でしたから…。ですが、この家族構成のところを見ると………、ありましたわ、長男、ルアナ様のお兄さんであるセレン様と長女、ルアナ様のお姉さんであるセレネ様はこの国のどこかにいるはずですわぁ。」
「…兄と姉がいるのか、会ってみたいが…その情報、俺たちが聞いてもよい情報か?」
アイリスはうーんとしっぽを揺らしながら考えている。
「…本来は良くないのですが、ルアナ様がこの王城にいる、ましてや殿下の婚約者として正式にお迎えするのであれば、仕方ない事ですわぁ。」
うふふ、というその微笑みの表情には絶対に他言しないでください、という圧がかかっていた。
イアンもヴィクターもこの時、アイリスを敵に回さなくてよかったと思ってしまった。
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「ルアナ様~、イアン様から贈り物です~!」
ミリーは高く積み上げられたプレゼントをルアナの元まで運んできた。
「えぇ⁉ま、またですか⁉」
ここ数日、公務に専念しなければならないから、しばらくは一緒にいられないとイアンからの伝言があったものの、毎日のようにお花やアクセサリー、ドレスなど様々な物を贈られている。
婚約者になってほしい、とは言われたけどさすがにこれはやりすぎなのでは…?
でも本当に、私を婚約者にするの?
貴族に限らずだけれど、まだまだ分からないことばかりの私を?
ルアナはこの大量の贈り物を前にして「あはは…」と力なく笑う事しかできなかった。
そんなルアナだが、少しでも失礼のないように貴族社会でのマナーやダンスなど貴族令嬢が身に付けている基本的なことが学びたいと言い、レッスンを行っている。
正式にイアンの婚約者になるのであれば、隣にいてふさわしい存在にならなければと努力をしていた。
「本日は、マナーレッスンがこの後行われます。昨晩も夜遅くまで復習を行われていたそうですが、大丈夫ですか?」
「大丈夫です、心配かけてしまってごめんなさいミリー。でも、これは私が頑張らなければいけないことですもの…!」
ルアナはとてもやる気に満ちており、両手で小さくガッツポーズをする。
「やる気に満ちておりますね、ルアナ様。」
後ろにはマナー指導を行う年長のメイドが立っていた。
「ま、マリアナさん、お恥ずかしいところを…」
顔を少し赤らめて恥じる姿はまるで同年代の令嬢のような初々しい姿だった。
「ふふっ、わたくしに”さん”付けしなくてよろしいですのに…。ですが、その謙虚さと素直さはとても素晴らしいものですわ。」
褒めるとルアナは素直に喜ぶ。
この姿を見る側としては褒め甲斐があるものだ。
しかし、メイドに”さん”付で呼ぶのはきっと王城を探してもルアナくらいだろう。
「ルアナ様は使用人に対して”さん”付けで呼んでくださるので、とても好感度は高いのですよ。わたくしもその中の一人ですもの。ですが、公の場では使用人たちの事は呼び捨てにしてくださいね。貴族社会は身分を大事になさるので、お気を付けください。」
「ごめんなさい。気を付け…るわ。」
まだ、口調に気を付けないとだめだわ、元に戻っちゃう…。
意識して話さないと…。
ルアナは長い間、自分はほかの人よりも下だ、ということを言われてきたのもあり、意識しないと敬語になってしまう。
「それではルアナ様、今日はまずティーカップの持ち方のおさらいからいきましょうか。」
前回はお茶会などに参加する際のマナー練習を行った。
ルアナは夜遅くまで復習を続け、完璧とまではいかなかもしれないが自分が納得のいくまで練習をし続けた。
「まぁ、ルアナ様!昨日の少しの練習でもうここまで身に付けたのですか?」
マリアナは毎度毎度ルアナの呑み込みが早く驚いている。
「え?えぇ。1日でも早くイアンの隣に相応しい女性にならなければいけないもの。私には教養すらないわ、頑張らないと。」
ルアナはやる気に満ちている表情とは裏腹によく見ると目の下にはくまができていた。
睡眠を削ってまで頑張っていることがうかがえる。
マリアナはこのままではルアナが倒れると考え、今日のレッスンを短くすることを伝える。
「…ルアナ様、頑張っていらっしゃることはとてもよい事なのですが、睡眠時間を削ってまでやることではございませんわ。わからないところや、まだ指導が必要なところはレッスンの時にわたくしがちゃんとお教えいたしますから、本日はティーマナーのおさらいと昨日の続きを少しだけ進めたら、お休みください!」
「でも、私は頑張らないと…。」
ルアナは不安そうにマリアナと目を合わせる。
早く覚えたい、身に付けたい、相応しい女性にならなければイアンの足を引っ張るのは私なんだから…。
ルアナは自分に教養やマナーがなっていないことによって、イアンに恥をかかせてしまうのではないかと不安に思っていた。
「ルアナ様、そんなに焦らなくてよろしいのですよ?時間はたっぷりありますから。」
マリアナはどうにかしてルアナを休めさせようとするために、考えていると扉をノックする音とともによく知っている声が聞こえた。
「…すまない、レッスンの邪魔だったか?」
激務に追われ、少し疲れているような表情をしているイアンが立っていた。
「殿下、ご機嫌うるわしゅございます。」
マリアナとミリーは深々とお辞儀をする。
「お疲れ様ですイアン。お忙しいのに、どうしてこちらに?」
ルアナは突然の訪問に驚いているようだった。
「少し公務が落ち着いてな、最近顔を合わせていなかったから様子を見に…。」
そう言いつつもどこか落ち着きがなく目も泳いでいた。
するとイアンは突然ルアナの顔をじっと見つめ始めた。
「…ルアナ?そのくまはどうした?」
「え、えっと…、どうしても早くマナーを身に付けたくて…夜遅くまで復習してたんです…。ここ数日…。」
ルアナは顔をそらし、気まずそうに答える。
「殿下、このままではルアナ様もお倒れになってしまうかもしれないので、殿下とご一緒におやすみになられてください。」
殿下も、という言葉にイアンは「え?俺もか?」とつい言ってしまう。
「殿下のお顔もひどいですわよ、ちゃんと休息をとってください。ルアナ様も心配されますよ?」
マリアナはイアンに耳打ちをし、即座に余っているティーカップに紅茶をいれ、ミリーとともに部屋から出て行ってしまった。
いきなり二人きりにされてしまい、部屋には沈黙が流れる。
い、一体何を話せばいいのだ…。
イアンは自身を落ち着かせるために、マリアナが用意してくれた紅茶に口を付ける。
一方でルアナはというと、マナーレッスンの成果を出せるかしら…少し不安だわ…。
習ってきた事を思い出しながら、紅茶を口に運ぶ。
その姿は優雅で品を感じられるものだった。
イアンはその姿をみて見惚れていた。
この数日でこんなにも上達したのか…すごいな…。
…いやいや、関心をしている場合ではない、ルアナのあの顔を見るんだ。
休まさせなければ…でもどうしたものか…。
「…ルアナ、マナーのレッスン頑張っているようだな…。」
「婚約者としてお隣に立つとなればイアンに相応な女性にならなければと思って…。」
ルアナは少し照れたように笑う。
メイクをしていても隠せていないほどの顔色の悪さだ、やはりベッドに直接送った方が良いのか…。
ここはルアナの部屋だ、ベッドもある。
すぐそこで休む場所があるじゃないか。
「…失礼するぞ。」
唐突にイアンはルアナを抱き上げる。
「きゃっ!イアン⁉わ、私は大丈夫ですよ???」
「動くな、落ちるぞ。」
ふと、ふわりとした香りが鼻先をくすぐった。
この香り——俺がこの前贈った香水だ。
華やかで、でもどこか儚げなこの匂い…見つけたときはルアナのようだと思った。
まさか、自分が贈った物をちゃんと使ってくれている、それだけで胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
しっぽが自然と揺れる。
「ほら、ここでちゃんと休んでくれ。」
ぽすっとルアナを優しくベッドに寝かせる。
熱は無いか頬に手を当て確認するが、熱はなさそうだ。
熱はないが疲れていることには間違いないだろう。
「俺はソファーで寝るから、ゆっくり休んでくれ。」
そう言って背を向けたその時———
「イアン…!」
ふいに裾を引っ張られる。
「その、ちゃんとイアンもベッドで休んでください。ソファーじゃ体も休まらないと思うので…。」
ルアナは伏し目がちに、けれどまっすぐ伝える。
イアンは一瞬だけ驚いたが、ゆっくりと口元を緩め
「それならば——」
ルアナの片方のベッドの端に回り込むと、迷いなくルアナの横へ移動した。
「これならベッドで俺も寝られるだろう?」
イアンがいたずらな笑みを浮かべるとルアナは少しドキッとしてしまった。
なんだろうこの気持ち…たまに胸がきゅっとなるのに温かい。
この感情が何なのかわからないけど、でもイアンと一緒にいるのは嫌じゃない。
ルアナはきゅっとイアンの服の裾をつかむと、安心したかのように眠ってしまった。