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Gravity


 平穏の悲劇。暮らした世界の形と、無重力空間で青い星型の彗星を掴む。傲慢さに怯えながらも、やがて引き付けられる小惑星は無力だ。ただ、蔓延る社会で生きる人間に過ぎない、自分と言う人格・自我に苛まれて、気付けば無彩色の箱庭を歩いていた。

「あ…。」

 引き付けられるのを感じ、手を伸ばす。それが、依存や心中と言った類のものだと知っていて俺は拒めなかった。耳を塞ぎたくなかった。妄想とカテゴライズして、終わらせたくなかった。


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「還るべき場所を忘れたの?」

「…。」

 死ぬ勇気と生きる希望を失って、愛に拘束された手首を悲しみのまま弛緩する。身体中に安らぎを求めて、口付けようとしたら輝夜姫は微笑んだ。

「私を逃がしてくれるって約束したのに。」

「ああ…。」

 月の風が吹き遊び、色鮮やかに俺は心中を曝け出す。抱きしめた少女から漂う香と、螺鈿の蝶が飛び交う帳。畳の上で合わせた手と、優しい鶴が陰影を落とす掛け軸。柔らかな黒髪が上質な質感に俺を溺れさす。官能的な雰囲気に、そのまま金彩色の瞳を撫でようとしたら、障子へ黒い影が映った。

「なあ…俺を化かそうとしてる?」

「貴方も同じ世界に生きてるのよ…これは幽世じゃない。」

 それなら、華は後宮でしか咲かないというのか?ただこの閉ざされた苑で、君を愛情のまま犯せとでも言うのだろうか?

「どう想った?」

「そうね…ただ寂しいと…。」

 互いを求めようと顔を近づけたら、狐に化かされた夜更けをスナップショットで知った。


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「…。」

 頭の痛みに映像が乱れる。青い空間で、白い箱を呆然と眺めている。今日が始まるのだ、あの狂わしい夢はもうない。俺は顔を覆うと震える手で、汗で湿った布団を探り当てた。


「おはよう。」

「重力波が月並みのデリヘルで宇宙戦争を勃発させたんだって。」

「懐かしいかな?イミテーションは、周波数の音波と共に、世間を賑わせてるらしいよ。」

「本日は青天である。美しいカートリッジに魂を入れ込もう。再生と…。」

「おはよう。」

 群衆が伝達する情報の錯綜に辟易して、耳を塞ごうとしたら、上からよく知った声が降ってきた。途端に頭の中が整理され、自然に笑みが溢れてくる。

 

 真白に隔離された空間で、数人の色付く人物が、俺の視界に在る。


「よく眠れた?今日は無重力研修の日だろう。」

「下手したら叩きつけられて死ぬってか?」

 俺たちなんて所詮、使い捨ての道具なのだと皮肉を交えて言えば、高身長の彼は気分を害したような表情をした。

「そういう冗談を言わない。」

「まあ、良いじゃないか。ほら行こう。」

 腕を掴まれて引っ張られる。その微量な痛みは日常の他愛ない記憶となる。けれど、俺達は何れ墜落の現実を幸と歓喜してしまう…。

 

 重力に逆らえば、寿命縮めるのだ。

 宇宙へと希望を星羅したパイロットも同じ。皆青い夢に死んでいく。


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「また、訪れてしまうのね。」

「此処以外に、居場所がないから…。」

 落ち葉の紅を吸ったように、色付いた唇を指でなぞる。不意に零れ出した涙の意味すら、俺は分からずに彼女に諭されて、立ち上がった。

(ばん)の者が私を閉じ込める。襖は閂で封じ込められ…。」

「そんな勇気はない。」

 黄金に輝くススキが丸窓から溢れ、部屋に彩りを持たす。穏やかに流れる、畢生は曼荼羅の影模様で諸行無常を察し。生命に期待をしないのだと。

「いつになったら連れ出してくれるの?」

「…さあ。」

 答えられない歯痒さより、答えないことを選択した己が心地好い。唐紅の傘を差すより、美しい表情を俺の妓女として、その柔い頬に触れていたい。

「人間なんてそんなものだ。」

「…?」

 結局のところ、己の欲に勝てはしないのだから。


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「宇宙空間に放り出されるのって、気持ちいよな…。」

「俺はあんま。吐き気が止まらないぞ…。」

 ふわっと腕を空中に投げる。つかの間の夢を語ったら嫌そうに、彼は顔をしかめた。

「今この縄が切れたら、俺達は誰にも見つからないまま死ぬんだ…。」

「…現在進行形で命綱一本の、友人にかける言葉がそれか?」

 深く息を吸い込む。涙も丸い球体になって、パイロットの合図とともにジェット機の熱い熱で蒸発するまで、俺の周りを浮かぶ。いや…それも物理法則では。

「青い世界だけが生きがいで、被検体としての人生は、格別に自由だ。」

「…金に困ってなきゃ、こんなことやらねぇよ。」

 ふふっとその言葉に笑う。自らの希望で宇宙へ放り出された俺とは違う。新鮮な彼の言葉が、どこか懐かしい。

「昔は、俺もそう思ってた…。」

「ふーん…感覚麻痺しちゃった系か?」

 数多の星屑が並ぶ彼方へ手を伸ばす。たまに酸素が抜かれて苦しい。荒く呼吸を整えると、俺は生きていると感じる瞬間を堪能しながら、彼の問いには何も答えなかった。


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 眩惑の史さえ、俺を見捨ててはくれはしないが。貴女を獣のように嘆き食らって…。空洞な心を生死が交わる最中でだけ、干渉に浸れる。

「酔いの月が、君を甘くするんだろ?」

「お酒を飲んだのね。」

 言い回しを巧みにかわされて、ため息をつく。髪を梳くと、転寝をするように目を細めた。

「恋しがるばかりでは、現世を生きれはしないわ。」

「だから、自分も輝夜姫のように月へ還りたいと言うのか?」

「違うわ…。」

 押し倒した瞬間の儚さに、心が折れそうになる…。嘗てこの少女を傷つけてしまった、自分の不甲斐なさを思い知らされる…。

「貴方の元へ還るのよ。」

「…?」

 分からないままに、彼女に抱き寄せられ。俺は隠れていく望月を、ただじっと見つめていた。


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「生きる理由もないって?」

「そんなこと言った?」

 昼のサンドイッチを口に押し込む。ハムと卵の美味しさに唸ったら、彼が顔を覗き込んできて可笑しなことを言った。

「うーん、この実験に参加してるのって。大抵は金が欲しいやつか、生きる希望がないやつじゃん?俺は金が欲しい。」

「正直なやつ…。技術の発展に貢献できるとか、何かあるじゃん?」

 全世界に識別され、有名人になりたいとか。一度は宇宙に行ってみたかったとか…。

「そんな大層なこと誰も思ってねぇよ。」

「そうかなぁ?」

 最後の一欠片を口に放り込む。

「もしかしたら、低酸素状態が楽しいって人もいるかも。」

「…ただのドMだそいつは。」

 そんなことはない。その瞬間に見る夢にしか縋れない人も確かに居るのだから。


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「月面着陸とか…やってみたかったな。」

「うーん。」

 一瞬のまどろみが訪れる前に、俺は彼に話しかけた。

「いつか出来るかな…?」

「無理だろ…。俺達には早すぎるさ。」

「だよね。」

 シミュレーションの世界で俺は眠りに落ちる。彼女に出会うために…いつか、誰かが月へ辿り着いて、輝夜姫がもう一度地球へ遊びに来れるように。

「じゃあ、おやすみ…。」

「ああ…。」

 蛍光灯がチカチカっと輝いて、管に全身を繋がれたまま俺は不幸のない世界へと、眠りに落ちていった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「また来たの…?」

「うん…。」

 不安げな少女はきっと、いつか俺を置いて一人で地上へ旅立つのだろう。

「この瞬間だけ、俺の輝夜姫で居てよ。」

「…どうして。」

 細い枝から落ちる枯葉が、秋の終わりを告げている。

「幸せになるのが怖いから…。」

 俺は、淡い唇を優しく奪うと。口づけに最後の息を吹き込んだのだった。


(了)

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