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エルフのエルリア

作者: エッヂくん

 迷い人さえ訪れない森の深奥。

 静かな泉を見下ろす崖の上に、座って本を読む少女の姿があった。


『たとえエルフにとっては一瞬の時間でも、僕の人生全てを君に捧げよう』


 それは人間の作家が書いた、エルフと人間の恋愛小説だった。食い入るように本を読む少女――エルフのエルリアにとって、今開いているページは最もお気に入りの場面だった。


「いい……良すぎる……」


 告白の一節を指でなぞり、陶然と呟く。短命な人間の、命を燃やすような熱い告白がエルリアは好きだった。恋愛感情がほとんど存在しないはずのエルフたちの中で、恋愛に強く憧れる異端の存在。それがエルリアという少女だった。


 背後で二回、木を叩く軽い音がした。

 振り向くと同じ里に住むマーロウがいた。注意を向けさせるために、ノックのように木を叩いたらしい。


「森番サボって何してんの」

「見れば分かるでしょ、マロはあっち行ってて」


 同世代の男子に向けた視線を素っ気なく本に戻す。エルリアにとってマーロウは興味の対象にすらなっていなかった。無駄に真面目だし、目は糸のように細いし、近くにいても草と木の匂いしかしない。もはや森に生えてる「木」を見るのと同じ感覚だった。


「僕の持ち場だからね。あっち行くのはリアじゃないか」

「ここから"風読み"してるから大丈夫だってば」


 微風が吹いて、二人の金色の髪を揺らした。風はエルリアの細長い耳に遠く離れた場所の音を届ける。聴こえた音が示すのは「今日も異常なし」である。


「風読みで済めば森番はいらないよ。何かあれば現地に行かなきゃいけないし、だいたい本読みながら風も読むなんて器用なことできるの?」

「うっさいなあ……あっ」


 しぶしぶ立ち上がろうとした拍子に、エルリアはうっかり本を落とした。背表紙の角から地面に落ちて、弾みで本が開く。その瞬間に強い風が吹いて、たまたま頭を出したモグラに当たって、本は崖の端に転がっていく。


「え、やだ、嘘でしょ」


 嘘みたいな連鎖で本は崖下に投げ出された。泉には平べったい身体をもつ大型の水棲生物が浮上しており、横長の口を開いて待ち構え……落ちてきた本を、食べた。


「やろう、ぶっ殺してやる!」


 物騒な言葉と共に魔力を集め始めたエルリアの手を、マーロウが慌てて掴む。


「だ、ダメだって! 泉の主を殺すのは! ああやって死骸とかの異物を食べて、マナに還元することで泉を浄化してるんだから」

「あたしの本は異物じゃねー! 放せー! ()らせろー!」


 なおも暴れるエルリアにしがみつくようにして、マーロウが制する。しばらくそうしていると、ようやくエルリアに落ち着きが戻った。


「はぁ……はぁ……まだ三回しか読んでないのに……」

「サボってた罰、にしては運が悪かったかもね」


 地面に膝と手をついて分かりやすく落ち込むエルリアを、マーロウは気の毒そうな目で見た。


「……こうなったら、あんたが付き合ってよ」

「えぇ?」


 獲物を見るような眼差しが、マーロウに向けられた。


× × ×


 街の門を入ってすぐの所に、フードを被って荷物を背負った二人組みがいた。


「やって来ました……人間の街!」


 一人はエルリア。色つきメガネのフレームを軽くつまみ、あふれる期待感から誰に向けたわけでもないキメ顔をする。もう一人はマーロウ。二人のローブには軽度の認識魔法がかかっているため、フードさえ被っていれば顔を隠す必要は特にない。故にマーロウは眠そうな素顔のままだが、エルリアは20年前に買ったメガネを好んで掛けている。

 馬車と徒歩合わせて十日の行程を経て、二人は人間たちで賑わう街を訪れていた。


「それで、本屋ってどこ?」


 歩き出した二人の横を馬車が通り過ぎる。中央通りは人の数が多く、野菜や果物、装飾品などを売る商人が屋台を構えている。


「あっちの方。でも、まずは人間観察から!」


 エルリアはきょろきょろと人々の様子をうかがう。行き交う住民と旅人に、呼び込みをかける商人、酒場や紹介所に出入りする冒険者、目つきの悪い犯罪者っぽい人とか、それに目を光らせたりサボったりしてる衛兵とか、色んな人がいた。


「うーん……やっぱりいないか」

「誰が?」

「異世界の人」

「はい?」


 エルリアはまだ同族に興味がなかった。いつも人間相手との、種族違いの恋を夢見ていた。さらに言えば、異世界から来た人間であればなおよかった。こことは違う世界から来た人間が異世界の文化を持ち込む、そういう小説が彼女の好みだった。


「変な小説の読み過ぎでは」

「半分ぐらい冗談だって」

「半分ぐらい本気なんだ……」


 彼らにとって世界といえばこの世界しかなかった。女神を信仰し、魔法を使いこそすれ、異世界など有り得ない。それがこの世界の常識だった。


「んー、あの人たちには違和感がないんだよね。こう、上手く馴染んでるつもりでも違う世界から来たという事実が僅かな所作の違いに現れるわけ。よっぽど長くこの世界にいたら分からないけど、それはもうこっちの人と変わらないし。というかあたしの希望としては今まさに"来た"人とぶつかったりしてお近づきになりたいところなんだけど。いっそ危ない人に絡まれるとかありかなって。こんなに可愛いエルフが絡まれてたら運命的なものが働いて絶対"来る"でしょ。ねえ?」

「うわぁ」


 早口でまくしたてるエルリアにマーロウは引いていた。危ない人から助けてくれるのは衛兵である。そもそも並の人間に負けることはない。二人は人間の寿命の倍以上は既に生きているのだから。


「え、待って」


 何かに気付いたエルリアが立ち止まる。そこには小さめの劇場があった。


 舞台の上で恋愛劇が演じられている。

 偶然訪れた劇場だったが、奇遇なことに演目は来訪者物だった。客はあまり入っておらず、来てる人たちもあまり熱心に見てる様子ではない。マーロウの見立てによれば、これは人間たちの中でもあまり流行っているジャンルではなさそうだ。ただ、隣に座っている同族にとっては関係ないらしい。


『生まれた世界が違っても、与えられた時間が違うとしても……今この時を、僕は君と生きたい!』


 寿命の長さなど関係ない、という異世界の人間からエルフへの告白。


「オ"ッ……オ"ッ……ウゥ……」


 感極まったエルリアが、喉を詰まらせたような、到底女の子が出す声ではないような嗚咽を漏らして泣く。マーロウは隣でドン引きしていた。


 本屋に着いても彼女の感動は冷めやらなかった。


「はぁ……良いもん観た……」


 ため息をつきながら、そう広くない店内で好みの本を探す。恋愛小説は多くあったが、エルリアの好みに合致するものはなかなか見つからなかった。マーロウもなんとはなしに眺めていると、一冊の本に目がとまった。


「これ、さっきのやつかな」


 マーロウが手に取った一冊は、先ほど二人が観た劇の原作小説だった。 


「なになに……でかした!」


 横から本を受け取り、数ページめくってしばらく読んだあと、エルリアはマーロウの背中をばしばし叩いて喜んだ。


× × ×


 「泉の主に食われた本の代わりを買う」という主目的を済ませると、二人は早々に街を後にした。エルリアは街に一泊したがったが、高くつくので予定通り日没前に近くの村まで行くことにした。


「ありがとね、マロ」

「ほとんど無理矢理連れ出されたからね」

「悪かったって」


 基本的にエルフは里を出たがらない。さらに決まり事として、単身で森域を抜けることは許されず、必ず二人以上でなければいけない。頻繁に街へ行きたがるエルリアはやはり変わり者で、いつも付き添い相手を探すのに苦労していた。


「まあ、あれは運悪すぎて可哀想な気もしたし。街に泊まるのは嫌だけど」


 エルリアは然程でもないが、マーロウは人酔いで疲労を覚えていた。宿を取っても、夜遅くまで雑踏の気配がある街の中では気が休まらないだろう。街に泊まらなかったのはそれが理由でもあった。


「あのさ、リア」

「なに?」

「里に帰ったらさ、本を貸してくれない?」

「お、なんだ? マロもついに"発情期"か?」

「そういうわけじゃないけど」


 マーロウにとって今日のエルリアの様子は強烈だった。異常性を目の当たりにして、一歩も二歩も引いた目で見ると同時に、一周回ってわずかに興味が湧いていた。彼女の読む本がそんなに面白いものなのかと。


「どんなのがいい? やっぱりエルフ同士の方がいいかな」

「おまかせで」

「じゃあ、とりあえずこれを貸してあげよう」


 背負ったままの荷物から器用に本を取り出して、マーロウに押し付ける。道中で読む用の小型で薄い一冊で、たぶん男の子が読んでも楽しめるタイプの話だったとエルリアは記憶している。

 それからエルリアは街で買ったばかりの本を開いて、歩きながら読み始めた。


「危ないから後で読みなよ」

「慣れれば平気だって。マロもやってみれば」


 二人揃ってそんな歩き方をすれば危ないことこの上ない。マーロウは借りた本をポケットにしまって、隣の少女の代わりに前を見る。

 傾き始めた日が、平坦な道を歩く二人の影を伸ばしていた。

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