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――ええ、ええ。それはもう毎日大変ですとも!
まず何が大変かって、その日の気分で正解が違うことですよ。昨日は朝食にバターを塗っていたのに、今日はジャムが食べたかっただなんて、一体誰がわかるというのですか。仕事の無茶ぶりもひどいものです。前日まで必死に準備したルートを、突然「やっぱりこっちの道で行く」なんて変更されたときの虚無感といったら。まあ後になって元のルートで夜盗が出たり、落石事故が起きたりしたことを知るので、一概に全部を恨んでるとは言い切れないのですが。しかし、交渉は駄目です。交渉をお願いしたらほぼ確実に相手を怒らせて帰ってきます。ある時は長い時間をかけて少しずつ説得してきた相手を、たったの数分の会話で全てご破算にされるところでした。どうやったらあんなに温和な相手を怒らせることが出来るのかわからない時もあります。まあその点は私が得意ですので、ある程度フォローすることが出来るのですが。ただ一度だけ私でも交渉が上手くいかないことがありました。本当に不思議なのですが、その時だけは彼が交渉に出向き、すんなり上手くいったことがありますの。あれは一体どういうこのなのでしょうか。
とにかく小さなことをお話していくとキリがありませんが、本当にもう。王子という生き物は、もう!
第二王子殿下に対する苦労を聞かれ、思わず言葉が溢れそうになりました。すんでのところでこらえることが出来たのは、ひとえに家政婦長から『いきなり自分の話を大量にしてはいけない』と釘をさしてもらえていたお陰です。
どう伝えるべきかと頭の中を整理していると、辛い記憶のせいで言葉に詰まったのだと思われたのでしょう。さらに心配する言葉が重ねられました。
「どういう成り行きであの方の下で働かれることなったのかは存じません。ですが、アデリーのようなちゃんとした血筋の方が、戦場などという恐ろしい場所で働かされるなど憐れでなりませんの」
シャルロット様は同情に耐えないといった風情で首を振りました。
ああいえ、そこまで不満に思っているわけではないのですが。
「公爵家の方々もひどいですわよね。王家から命令されれば従わざるをえないのは理解できますが、ちゃんとアデリーを大切に思っているなら、もっと抗議してさしあげるべきなのに」
深く知り合うまでは、頭ごなしに否定しない。家政婦長の教えが頭をよぎりました。
……わかっています。シャルロット様は、あくまで善意で心配してくださっているのだと。
「安心なさって。誰かに告げ口などいたしませんわ」
「そうではなくて、ええと」
「無理をしなくていいのよ。血なまぐさい戦場など、誰が好き好んで行きたいものですか」
おっしゃりたいことはわかります。安全な後方に配置されているとはいえ、戦場は戦場。王都の安全性とは比べるまでもないし、現場はなかなか劣悪な環境になりますから。
「……ですが、私は……」
うまく説明できず口ごもる私を、庇おうとしているのだと勘違いしたのでしょう。シャルロット様はますます憤慨した様子で憤慨しました。
「ええ、第二王子殿下に怯える気持ちはわかりますわ。王族として生まれながら、社交界よりも戦場の方に多く居るような恐ろしい方ですもの。あれほど恵まれた立場にありながら、好き好んで人を傷つけに行くだなんてどうかしています。なんでもあの方、悪魔の申し子だなどと呼ばれているとか……」
話を否定してはいけないと、わかっているのに。
「――いえ、それは違います」
せっかくのお友達を大切にしたいという気持ちは、その瞬間に吹き飛んでいました。目をぱちくりとさせているシャルロット様に、私はハッキリと否を突きつけます。
「それ以上は口を慎んでください。あの方は、何も知らない貴方が批判してよい相手ではありません」