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倒れる前のシャル様はなにか追い詰められていたように感じました。しかし目が覚めた後の彼女は、さらに混乱しているように見受けられました。
「見えない……なにも見えないわ……」
「シャル様、大丈夫ですか?」
また倒れるようなことがあってはいけないと思い、彼女に手を差し伸べました。しかしシャル様は慌てて私から距離をとり、手を払いました。
「……あっ……!」
思い切りはたかれ、手にビリビリとした刺激が走ります。反射的に反応してしまったようで、彼女はご自分のしたことに気がつくと顔色を変えました。
……大丈夫、わかっています。
突然倒れてしまい、今のシャル様は混乱しているのです。今は落ち着かせ、安全に帰宅させることを優先するべきです。
ほんの少しの胸の痛みに目をつぶると、突然怒鳴り声が響きました。
「お前らいい加減にせんかあーーっ!!」
それまで静観していたお医者様が、ついに堪忍袋の緒が切れたようです。
「さっきらからなんじゃ! ここには怪我人が大勢寝込んでいるってのがわからんのか!! かーっ、この馬鹿どもがっ!!」
「す、すみません」
「これ以上騒ぐなら、ここから出ていけ! さもなきゃ口をつぐんでやるべきことをやるがいい!!」
彼は普段は物静かで、こちらの話を聞いているのかもわからないような時があります。しかし一旦診察するとなるとガラリと空気が変わり、治療の邪魔をしようものなら人が変わったように怒りだすのです。普通の病院では同僚に煙たがられ、人付き合いは上手くない方ですが、先生に命を助けられた患者はとても多いのです。殿下はその腕前を買い、彼をちょうど人の寄り付かない、それでいて患者は溢れかえる慈善病院に配置したのでした。
「おい、じいさん! あんたが一番騒がしいんだが、自覚はあるのか?」
どう機嫌をとろうかと思案していると、全然空気を読まない二王子殿下はカラカラと笑っています。……そこ、本当に余計な事を言わないで下さい。
「殿下と言えども口出しは無用ですぞ!! 儂は責任もってこいつら全員の面倒をみてるのですから!!」
「ああ、じいさんの腕だから安心して任せられるんだ」
「ふ……ふん、口だけならどうとでも言えますわい! 先ほどの薬品の調達の件、お忘れにならないで下さいよ!」
殿下も殿下ですが、お医者様も王族に対する態度とは思えません。それは生まれつきの性格もあるのでしょうが、『ここにいる患者を絶対に救う』という先生の信念が、例え王族であろうと意見を変えないほどの頑固さとしてあらわれているのでしょう。
先ほどまでは指先が震えるほど動揺していたシャル様も、二人の怒鳴り合いにすっかり毒気を抜かれたようでした。少しは落ち着かれたのか、顔には血の気が戻ってきています。
「で、お嬢様はまだここにいるつもりなのか」
殿下の軽い一言に、シャル様はピクリと眉を動かしました。
なにやら二人の間に妙な緊張感が走った……そんな気がしましたが、シャル様はすぐに目をそらし俯かれました。
「…………いいえ、一足先に帰るわ」
「すぐに外にいる騎士たちに馬車を手配させる」
シャル様は力なく頷きました。再び具合が悪くならないか心配になり、私はすっかり彼女に同行するつもりでした。しかし、それは頑ななまでに拒否されました。
「いいの。一人で帰らせて」
やがて馬車がやってきて病室を立ち去る時も、私に振り向くことはありませんでした。上手く言えませんが、なんだか急にシャル様が遠くにいってしまわれたような感覚。
……ああ、きっとまたなのです。
私は彼女に対し、何かを間違えてしまったようでした。