ー43ー ※公爵令嬢視点
※一般市民を蔑むような表現が続きます。苦手な方はご注意ください。
到着したのは、見たこともないぐらい汚らしい町の一角だった。
いや、これは町と言っていいのだろうか。どうやら共同住宅らしい建物が乱立している。全体的に黄ばんでいたり、雨の跡のように黒いすじが滲んでいる壁の窓に、生活感たっぷりの洗濯物やらよくわからない小道具などがはみ出すように散乱していた。
「間に合ったようですね。少し時間に余裕がなかったので心配しました」
「ねえ、ここはどこ……?」
貴族令嬢が目的地とするような場所とは思えず、キョロキョロと辺りを見回した。
降りた場所には王宮騎士の女性が数人待機しており、近くに確保していたらしい空き家に案内してくれた。そして何をするかと思えば、見たこともないような粗末な服を渡され、着替えるように指示される。私の趣味とはかけ離れた服だったが、アデリーが用意してくれたのだからとしぶしぶ了承する。着替えをすませて外に出ると、彼女はとても嬉しそうに私を見つめた。
「なぜ着替えるの? この服、手触りがゴワゴワしてるわ」
「これでも一般の市民の中では上等な方なのです。お気に召さないとは思いますが、きらびやかな衣装で行くわけにはいかないので」
「い、一体これからなにをするの?」
アデリーはまるで、なにも告げてなかったことを今思い出した、というような軽い調子で答えた。
「市民にむけた食料の無料配布……つまり慈善活動です」
「慈善活動ですって……?」
市民に施しを与える活動なら、お友達の令嬢につき合い、数回程度の経験がある。しかしその時はわざわざこんな粗末な服に着替えたりしなかった。いつもより少しフリルやリボンが少なく動きやすい服を選んではいたけれど、今着ている服はそんな生易しいものではない。生地からして粗悪品で、袖を通しているだけで気分が暗くなる。
「どうしてただの慈善事業でこんな格好をするの? それにさっき言っていた、私に必要なものって……」
「さあ、行きましょう」
アデリーが見当ちがいの方向に歩き出すので、私は慌てて止めようとした。
「馬車はあっちよ?」
「この先は歩いて向かいます」
「歩いて!? そんなのおかしいわ!」
私が参加した慈善活動では、豪華に飾りつけられた天幕の目の前に馬車を乗りつけた。わざわざ足で歩くような食料配布など、聞いたことがない。
戸惑うアデリーは歩きながら説明してくれた。その間にも女性騎士たちに先導されながら、どんどん奥まった場所に進んでいく。そして恐ろしいことに……歩みをすすめれば進めるほど、周囲の様子は一層よどみ、うらぶれていく。次第に道には汚物が溢れ、嗅いだこともない酷い悪臭がたちこめる。
「思うに、シャル様には経験が足りないのです」
「そ、それと今の状況がどう関係するの」
「立場の弱い人々を知り、寄り添うことができたなら。貴方はきっと今よりさらに素晴らしい、本当に完璧な淑女になれますわ」
振り向き、笑顔を見せるアデリーには善意の感情の色しか浮かんでいなかった。彼女は本気で、この活動に参加することが私のためになると思っている。
だけど今目の前の光景は、とてもこれまで経験したものと同じには扱えない。
だって……だって……。
広場にはすで何かの準備が済んでいるようで、粗末ながらも大きな机と、申し訳程度の屋根がついたテントが用意されている。そこにはすでに多くの人が列をなしており、形式だけなら見覚えがある。だが列に並ぶ人々は、これまで見たことがないほど汚れていて、着ているものもみすぼらしく、なんともいえない独特の匂いをまとっていた。まるでそう、何週間も湯浴みをしていないかのように。
「シャル様、そんな強張った顔をしていてはいけません。笑顔で人々に声をかけるのです」
「むっ、無理……! 出来ないわよ」
「大丈夫、出来ますよ」
アデリーが平然とこの場に立っているが、私には信じられなかった。
それに私がなにより苦痛に感じているのは、彼らの顔に一様に浮かんでいるよどみきった感情の色だ。一体どんな気持ちになったら、あんな濁った色になるのだろうか。
「まるで近づくだけで……こちらまで汚れてしまいそう」
思わず呟くと、背後から豪快な笑い声が聞こえた。
「おいおい、気をつけろよシャルロットお嬢様。あいつらに聞かれたら暴動が起きかねないぜ」
「ア、アレクサンドル王子……!」
一体何故ここに? そう思ったが、私たちをここまで護衛してきてくれたのは王宮騎士の女性たちだった。広場で人々を整列させたり、物資を運んでいる者たちは王宮の騎士たちだ。王家も絡んでの行事なのだとしたら、王子である彼が同席しているのも不思議ではない。
「上流貴族をお呼びする慈善活動なんて、あらかじめ選別された『人前に出せる』ようなのしか集めない。こんな街のはずれにある、本当の貧民なんてお目にかからないよなあ?」
狼狽えている私を面白がるように笑みを浮かべ、上の方から見下ろしている。
――途端に私の中の対抗心に火がついた。
元はといえば、全部この男のせいなのだ。あと一歩でアデリーを連れて行くことが出来たのに、彼の出現でなにもかもふいになった。その後彼女と連絡がつかなかったのだって、絶対に手を回していたに違いない。
「どうってことないわ、こんな事」
気がつけば私はそう言い放っていた。第二王子はおどけたように驚いたふりをして「そりゃあ凄い!」などとからかうので、ますます苛立ちが高まった。
「それが本当なら、お嬢さんの言う『オトモダチ』とやらも本物だ。負けを認め、一緒に国へ帰れるよう協力してやろうじゃないか」
「なんですって?」
「賭けようって話だよ。あんたが今日一日、最後まで彼女につき合いきれるのかどうか。」
私の耳元で、悪魔が囁いた。
心底楽しそうな、これ以上なく憎ったらしい声で。
「もちろん自信がないなら今すぐ逃げ出すといい。心からの親切心であんたを誘ったアデライドは、きっとガッカリするだろうけどなぁ」