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「大人しくしていれば危害は加えない、静かにこのまま……!?」
馬車のドアを開ける音、そして、驚いたように息を飲む声。真っ暗でなにも見えませんが、その者の混乱は手に取るようにわかりました。
それはそうでしょう。
私が乗っていると思われていた馬車を開けたら、中の人間がすり替わっているのですから。
「そ、そんな……アレクサンドル王子!?」
「気安く俺の名を呼ぶな」
怒気をはらんだ声の後に、何かを殴りつけたような音と、続いてドサリと重いものが落ちる振動。
「……俺の部下に手を出すとは、よほど早死にしたいらしい」
その声の仄暗さに、ドキリとしました。
しかしすぐにまた、馬の駆けてくる音が聞こえます。今度は先ほどよりもさらに多い人数で。どうやら殿下が配置していた騎士たちが、異変を察知して助けに来て下さったようです。
「なに!? は、話がちがうじゃないか、くそ、逃げろっ!」
誰かが叫びましたが、襲撃してきた男たちはあっというまに撃退されたようでした。馬車に再び静寂が訪れました。
私はようやく安堵の息をつきます。
ほどなくして、頭上にあった天井がガタリと持ち上げられました。
「よう、無事か」
まるで何事もなかったかのような軽い声のあと、第二王子殿下のふてぶてしい笑顔が現れました。
どういうことかと申しますと、この馬車は一見とても小さく見えますが、視覚的な擬態がほどこされているのです。そして座席の下に人が一人隠れられる隙間が空いており、私はその場所に隠れていたのです。
この馬車がああも乗り心地のよいものでなければ、擦り傷の一つも作っていたでしょう。そういった気づかいもあり、第二王子殿下にしては、かなりマシな計画です。
マシなほうではありましたが。
「……他に方法はなかったのでしょうか」
そうは言っても本来座席ではない、なんとか人が一人隠れられるだけのスペース。熱い、狭い、息苦しい。普段より軽装だとはいえ、なかなかに大変な状況でした。どこかでひっかけたのか、いつの間にか服にほつれがありました。髪は乱れ汗をかき、令嬢としてはボロボロの姿です。未婚の令嬢としては色々、大事なものを捨ててしまった気がいたします。
いえ、もちろん感謝しておりますけれども。もう少し。
「別に王子である貴方自らが囮になりかわらなくても、例えば騎士たちと一緒に、いざというときに颯爽と助けて下されば良かったのでは……」
「馬鹿を言え、守るなら一番近くにいるのが確実だろう。それに相手の裏をつくには当たり前の作戦じゃ駄目なんだ」
「王子が家臣を命がけで守るのは、少し斬新すぎやしませんかね……!?」
「第一、普通にやったんじゃつまらないじゃないか。ドアを開けた時のあの間抜けな顔、君に見せてやれなかったのが本当に残念だ。はっはっは!」
私のまっとうな意見は、どうやら聞かなかったことにされたようです。