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第二王子殿下はとても身長があり、その分足も長いのです。つまり何がいいたいかというと、急ぎ足で歩かれた場合、とてもついていける早さではないということです。
「い、いい加減手を離してくださいませ」
廊下の途中で息を弾ませながら抗議すると、ようやく気がついたようにパッと手が離されました。
色々文句をいいたいことがあるような気もしますが、やはり一番に言わなければいけないことはこれでしょう。
「もうしわけありません。あれほど固く念押しされていたというのに、約束をやぶってしまいました」
「いいさ。君が断れなかったということは、誰にもどうしようも出来ない状況だったんだろ」
思いがけず信頼して下さっている言葉を頂き、胸がジンとしました。いつも勝手な事ばかりおっしゃる上司ですが、彼はしばしば私を感動させるので、こうして未だ縁を切れずにいるのです。
「……殿下のおっしゃる通りでした」
シャル様はただ可愛らしいだけの方ではありません。彼女は人を魅了し、思いのままに動かす能力に長けているのです。そして他の方よりも自分の意思というものが希薄な私は、特に強く彼女に影響されてしまうようでした。そしてシャル様がクロエ様を陥れたと知った時でさえ、心から彼女を非難することはできなかったのです。
「シャル様は私をとても気に入って下さいましたが、それは私が誰よりも彼女の言いなりになってしまうことを見抜いてらっしゃったんでしょうね」
初めてのお友達だと思ったのです。利用されそうになったのだと怒るには、あまりにも彼女を好きになりすぎていました。
落ち込む私を慰めるように、第二王子殿下の指が私の前髪を軽く撫でました。
「……シャルロット自身が、はっきり自覚していたかどうかはわからない」
第三者である殿下が、明確な悪意を断定せずにいてくれたことはとても救いになりました。
誰も他人の心の奥底までは知ることは出来ません。ですが私は、シャル様がそこまで計算高い方だとはどうしても思えませんでした。ただとても気が合うお友達ができたと思っただけ。願望かもしれませんが、つい友情が行き過ぎただけなのだと思うのです。
「殿下が来てくださって、助かりました」
そうでなければ私は結局流され、彼女のいいなりになっていたでしょうから。考えてみればシャル様には何度も一緒に行くことは出来ないと断っていたのです。なのに彼女の意見だけが通ってしまう関係は、遅かれ早かれ良くない方向に変化してしまうに違いありません。私の胸に、かつての婚約者との一方的なやりとりが思い浮かび、また消えました。
少し胸は痛みますが、やはりこれで良かったのです。
私は感謝の気持ちで殿下を見上げました。しかしそこにはこれまでの優しさはなりをひそめ、ピリピリと苛立っている顔がありました。
「……殿下?」
「そもそもどうして俺の許可なしに、この国を出る出ないなんて話になってるんだ」
「さ、最初から一緒に行くことは出来ないと断っていますよ」
「それで? どうせ『ねえお願い、アデリー』とか上目づかいで頼まれて、ほいほい流されてたんだろう」
「……そ、それは……」
どこかで見ていたのかと聞きたくなるような的を射た指摘に、何も言い返せなくなりました。
「ほらみろ! 信頼して多くの権限を与えていたというのに、勝手にいなくなる算段をつけてるなんて、なんという薄情な部下なんだ!」
やや演技がかった態度でおいおいと嘆かれると、こちらも少々うんざりとした気持ちになってきます。まったく、人の弱みにつけこんで……。
「ですから、それは最初に謝ったではありませんか」
「黙っていなくなったぐらいで俺が諦めると思うなよ。なにがあろうと探し出して見つけてみせるからな。海の果てでも、地の底でもだぞ」
「はあ……。そのような予定はありませんから安心してくださいませ」
第二王子殿下と下らない言い合いをしているうちに、シャル様に対する悲しみや罪悪感が、ほんの少しだけ薄まったような気がいたします。まあもちろん、殿下本人にそんなつもりはまったくないのでしょうけれど。
いい加減しつこく詰め寄られた私は両手をあげて降参しました。
「はいはい、お約束します。二度と勝手に秘書を止めようなどといたしません!」
「ふうむ。……そうか、ならば許そう」
かなり投げやりに言い捨てたというのに、殿下はケロリと機嫌を直しました。やれやれ。