とある騎士の戦い
暗闇の中を、私たちは間隔を開けて数秒の明かりを灯すことで進んでいた。頭上に気持ちの悪い虫がいる真っ暗な通路を、警戒しながら歩くのは日々、研鑽を積んでいた私でさえ神経が摩耗し、今にも蹲って泣きたい衝動に駆られることが多々あった。
けれど、それを堪えられたのはアリィの光球を生み出す魔法と猫の存在が大きかった。わずかな時間であっても光というのは心を落ち着けてくれるし、安全そうな場所を見つけて適度に休憩することも出来た。
細い通路を見つけては中に潜り込み、虫に察知されないように注意しながら光を見つめて心と体を落ち着ける。そのたびに、現状を理解しているのかいないのか、猫の方は呑気に毛繕いをしたりじゃれついてきたりしてくれた。
アリィも取り乱すことなく気丈に振舞い、こうして魔法を行使してくれる。彼女がいなければとっくの昔に発狂していただろう。
「おねえさん、これ、たべて。元気が出るよ」
それどころか、大事に抱えているパン籠から数少ないパンを取り出して私に差し出してくる。
「アリィさんが食べてください。私は大丈夫ですので」
「でも……」
「今はあなたの魔法が頼りなんです。少しでも体力が持つように」
可能な限り気遣いを無下にしないよう理由を付けて断った。私の言葉に、彼女はコクリと頷くとパンを口に運ぶ。
断り文句は適当に言ったわけではないけど、正直この状況で何かを口にすれば吐いてしまいそうだったのだ。
それにまだ脱出までどれだけかかるかわからない。出来るだけ食料は温存しておきたかった。まるで役に立っていない私が消費するわけにはいない。なんて、私の思惑とは裏腹に少女は猫に自分のパンを分け与えていた。
この子はなんて強いのだろう。私なんて自分のことで精いっぱいなのに。
私は、彼女を護るためにいるはずなのに、ここへ来てからは助けられてばかりだった。それが本当に、情けない。けれど、自分よりも小さくてか弱い一般人を差し置いて私が諦めるわけにもいかなかった。
化け物に攫われてからどれくらいの時間が経っただろうか。体感ではもう何日も彷徨っているような気がするけど、飲まず食わずで活動できているのだからそんなわけもない。もしかすると一時間も経っていないかも。太陽が見えないだけで、ここまで時間間隔が狂うなんて思ってもみなかった。
「では、そろそろ行きましょうか。私が出たら、また明かりを消してください」
横穴から出ると辺りは漆黒に包まれる。私が伸ばしていた右手を少女が握るのを待って、再び暗闇の中を壁に手をつけながら歩き始めた。
足を踏み込むたびに鳴る水音と壁に触れている手の感触で、なんとか平衡感覚を保っている。少女の手のぬくもりが、辛うじて私の意識を現実に繋ぎ止めている。
それでも時間が経つにつれてそれらの感触も薄くなっていき、ちゃんと前に進めているのか、そもそもちゃんと生きているのか、それともこの暗闇の中で気づかない内に死んでしまっているのではないかと不安に陥ると、私は立ち止まって少女に光を要求する。
そうして道を確認すると同時に、私はまだちゃんと生きているのだと確認できて安堵するのだ。
そんなことを幾度も繰り返し、休息しても何も回復しなくなってきた頃、ぐにっと足裏からでこれまで感じたことのない感触が伝わってくる。思わず飛び上がって叫びそうになるのをぐっと堪えて、私は後ろを歩く少女に光を頼んだ。
極力まで力を抑えた光源を頼りに、足元の物体を確認してみると、それは木の根のようだった。それにしては踏んづけた感触がおかしかったような。と、思っていればソレは微かに脈動していることに気が付く。
嫌悪感や恐怖よりも、まず頭の中に浮かんだのは疑問だった。そして同時に、こんな物があったら危なくて歩くのに困るな。くらいの感想しか思い浮かばなかった。
「おねえさん? 大丈夫?」
後ろから声をかけられて我に返る。
「大丈夫です。光を消して、進みましょう。ただ、木の根が出ているので足元に気を付けてください」
結局、足元の物体は木の根っこだと判断して、私は気にせず先へ行くことを優先した。なんどか足を引っ掛けて転びかけながらも歩みを進めていると、目前に灯りが見えた。
うすぼんやりとした光ではあるものの、自分たち以外の光源に私は叫んでしまいそうなほどの歓喜を覚えた。きっと誰かが助けに来てくれたのだと信じて疑わなかった。ようやくここから抜け出せる、助かった!
足は自然と早くなり、後ろで少女が何か言っている気がするけど、そんなのはもう耳に入らないくらいに無我夢中で通路を歩く。そうして辿り着いたのは開けた空間で――目前に広がる光景を理解するのに数秒の時間が掛かった。
ドーム状のただっぴろい空間は肉塊のような物体で覆われていて、天井からは五メートルはありそうな、丸い果実のような物体がぶら下がっている。光源はそこから放たれているようだった。
普通の精神状態だったならもっと警戒していただろう。もしかしたら近づくことさえしなかったかもしれない。ここは敵陣のど真ん中だ。味方よりも敵がいることは思いついて当然だったはずなのに。
びくりと、果実が大きく震えた直後、まるで花が開くように四方へと別れた。そこから現れたのは三つの大きな口だった。
太く伸びる触手の先端は丸く膨らみ、ぱっくりと上下に割れている。その裂け目からは鋭い歯が幾重にも並んでいた。二メートルはありそうな大口が三つ、私たちを見下ろす。
引き返そうと思った時にはもう遅かった。口の一つが勢いよく襲い掛かってくる。ギリギリ、アリィと共に避けることはできたものの、私たちが入って来た入口は崩れて塞がってしまった。
続けざまに、残りの二頭が私たちを食らおうと迫りくる。即座に肉体強化の魔法を発動させて一つを殴り返し、一つを受け止めた。
視界が化け物の口内で埋め尽くされる。血生臭い息が顔にかかり、あまりの悪臭に眩暈がして抜けそうになる力を気合いで取り戻す。
ドンッ、と爆発音が響き渡り私を襲っていた口が剥がれた。もがきながら離れていく個体の表面に焦げ跡が付いている。
「おねえさん!」
少し離れた場所からアリィの声がした。どうやら彼女が魔法で援護してくれたのだと理解して不甲斐なさを覚える。
と、アリィの背後に違う通路の入口が見えた。現在地の反対側、距離として五十メートルはありそうだ。けれど、残された出入口はあそこだけのようだ。
無事な個体が再度、私に襲いかかってくるのを駆け出して回避し、走る勢いのままアリィを抱き上げて出入口へと全速力で駆け抜ける。あと数メートル、という所で脚が何かに引っかかり思いっきり転倒してしまった。
放り投げられてアリィはコロコロと転がっていくが、止まるとすぐに立ち上がる。床も肉塊で覆われていたので怪我をせずに済んだみたいだった。私も立ち上がろうとしたタイミングで私の視界が反転する。
床が頭の上になってことで逆さ釣りの状態になっていると悟って足元を見やれば、天井から伸びた細い触手が絡まり私を持ち上げていた。振りほどこうとした刹那、白い塊が私の体を駆け上がり触手に噛みつく。
触手は痛みに驚いたように激しくうねり始める。先端で捕まっている私はおもちゃのように振り回されて上下左右から重力が襲い掛かる。不意に足から圧迫感がなくなって、嫌な浮遊感を覚えた。
触手が離れたのだ。と認識した直後に私は壁に叩きつけられる。
「――ッカハ」
いくら肉塊に覆われているとはいえ、人智を超えた力で投げ飛ばされた激突の衝撃は並大抵のものではなく、受け身すらまともに取ることのできなかった私は背中から伝わる衝撃で肺から空気が一気に抜ける。
そのまま力なく地面に落下し、激痛に悶えながらせき込んだ。なんとか顔を上げると、霞む視界の中でアリィがこちらへ駆け寄って来るのが見える。その頭上に迫る凶悪な大口も。
私は転がるように駆け出して体当たりするような恰好でアリィを庇った。背後で大口が地面に激突する音を聞きながら、私はアリィに告げる。
「ここは私が食い止めますので、あなたはあそこへ走って!」
「でも、おねえさんは」
「大丈夫ですから、早く!」
どの口が、と自分でも思うけど今はそう言うしかなかった。襲い来る大口を殴り、押し潰そうと叩きつけられる触手を躱しながらアリィが逃亡する時間を稼ぐ。彼女は時折、振り返りながらも真っすぐ通路の穴へと走っていた。その足元には猫もいる。
天井から伸びる触手もない。大丈夫だ、逃げ切れる。
そう確信した刹那、アリィの足元から触手が飛び出し絡みつくと空中へと持ち上げる。私の時と同じように猫が飛び掛かるが、新たに現れた触手に払い除けられてしまった。
「アリィさん――!」
助けに行こうと意識を逸らした私の脇腹へ、横なぎに払われた触手が直撃する。嫌な音が身体の中から響いた。
攻撃を受けて倒れ伏せる私の視界の中で、少女は大口の一つへと放り込まれてしまった。
「ニャォォォン!!」
猫の絶叫がこだまする。捕まった拍子に手放してしまったパン籠が地面へと落下した瞬間、私の心は折れた。
あぁ、結局、守ることができなかった。なにも成し遂げることのできないまま、私もアレに食われて死ぬのだ。
大声に反応して、大口は三つとも猫を狙っている。けれど、猫は毛を逆立て、威嚇し、血気盛んに化け物と対峙していた。その瞳には諦観なんてものは微塵もなくて、ますます自分が惨めになった。
立ち上がるために力を込めれば攻撃を受けた脇腹に激痛が入る。今はそれがありがたかった。痛みで自身に活を入れ、立ち上がる。
心は未だに立ち直ってはいないけれど、このままなにもせずにやられてしまうくらいなら最後まで抵抗してみよう。一度、諦めてしまえば不思議と恐怖は薄れて、ふと大口の一つがあまり動いていないことに気が付いた。
固く閉ざされた口の中で、何かが動いている。アリィはまだ、抵抗を続けているのだ。
無駄なことだとはわかっていても、例え幸運が重なって救出できたとしても逃げ切ることはできないだろう。それでも私は、じっとしていられなかった。
一縷の望みを賭けて、アリィを救うために駆け出した。




