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恩人の危機

「あ、ヨゾラ。今日も来たんだね」


 アリィは膝を曲げて笑顔で迎えてくれる。ちなみにヨゾラとは俺のことだ。彼女が付けてくれた名前で、割と気に入っている。


「よしよーし、君は甘えただねー」


 俺が喉を鳴らしながら頭を擦り付けて甘えた仕草を見せれば、アリィは相応に可愛がってくれる。それに加えてここへ来れば高確率で余ったパンが貰えるのだ。通わない理由がない。


 日本なら飼いもしない野良猫に餌を与えるな! と怒られてしまいそうだが、ここは日本じゃないのでヨシということで。


 町全体としても猫に対しては寛容のようだし、なにより猫側も人間へ配慮している部分があった。驚いたのはトイレ関係。糞尿は極力、人間のいない場所でするよう決まっていて、猫たちもそれを守っていた。


 シャム猫が言うにはこの町のボス猫が『人間には迷惑をかけるな』と御触れを出しているらしい。俺はまだ会ったことないが、人間へ迷惑さえかけなければ関りになることはないそうだ。


 それでもやはり町のボスということで、挨拶に行こうとシャム猫に案内を頼んだら『怖いからヤダ!』と拒否されてしまった。出来れば早いうちに顔合わせくらいは済ませておきたかったんだが、まあまた機会があれば会いに行こう。


 そういうこともあって遠慮なく餌をねだりに来ているわけだ。もちろんあまりしつこくすると迷惑になるので引き際は弁えているが、利用できる物は利用する。それが野生猫として生きていくための秘訣である。


 決して、俺が甘えたいからここへ来ているわけではない。これも生きるための知恵なのだ。


「ヨゾラは野良猫なのにすぐお腹見せてー。かわいいねー」


 だからこうして服従のポーズを見せるのも戦略である。決して可愛い女の子によしよしされたいからというわけではない。決して。


 実際、この場所は競争率が高く、俺の他にも餌をねだりに来ている猫は多い。ここの他にも餌場はたくさんあるので争いに発展することはたまにしかないが、こうやって優位性を保っておかないとすぐに横取りされてしまう危険性があった。


 アリィへ恩を返すという使命がある手前、ここを他の猫に取られるわけにはいかない。


「あら、またその子。最近よく来るわね」


 ひょこり、と店先から出てきたのは彼女の母親であるレノアだ。金色の髪をポニーテールに纏め、スラッとした輪郭に顔は整っている美人さんだ。垂れた目元のおかげで美人特有の威圧感はなくむしろ人当たりが良い。営業中は常に身に着けているエプロンが良く似合っている。


 歳は二十代後半くらいだろうか。母親にしては若い感じがするし、童顔なだけで実年齢はもう少し高いのかもしれない。そしてアリィと同じく耳が長い。レノアもきっと何かしらの魔法を使えるのだろう。


「アリィが助けた子よね? 追いかけて来ちゃったのかしら」


 言いながらレノアはアリィと共に俺の腹を撫で始める。猫慣れした手つきはとても優しく、心地よい。思わず喉の音量が上がってしまうほどだ。しばらく至福の時間が過ぎ、レノアは立ち上がる。


「そろそろお店を開けるから、手伝って」


「うん、わかった。じゃあまたね」


 バイバイと、わざわざ手を振ってアリィはレノアと共に店の中へと戻っていく。名残惜しさを感じて、俺は起き上がり店の中を覗き込んだ。


 店内はそれほど広くなく、食パンやクロワッサンに似たパンが並んでいる。店の周囲には焼き立てのパンの香りが漂い、空腹感を誘ってくる。


 従業員はレノアとアリィのしかいないのか、二人は忙しそうに開店準備のために店内を動き回っていた。


 アリィは学校に通っている。休みの日はこうして手伝いをしているが、基本的にこの店はレノアが一人で切り盛りしているようで、店員は実質レノアしかいない。


 聞いた話だと店はアリィの父親が建てたらしいが、父親は半年ほど前に事故で他界したらしい。それからは母子だけで店をやりくりしているようだ。


 ぜひとも応援してやりたいが、猫ではこうして癒しを提供することしか出来ないのがなんとももどかしい。


 こうして足繫く通っては、アリィには何かしらの恩返し出来ないだろうかと考えているのだが、いい案は浮かんでこない。


 そしてあわよくばここで飼ってくれないだろうかという目論見も実を結びそうにはなかった。


 そうやって悶々とした日々を過ごしていたある日のことだ。いつものようにパン屋へ赴くと、ガラの悪い男の二人組――背の高く厳つい顔と小太りな男――がやって来て、パンを買うでもなく、そのままカウンターにいたレノアへ絡みに行く現場を目撃する。


「これは、ノーレンスさん。いらっしゃいませ」


 普段、客と接する時は誰にでも優しく、人当たりのいい笑顔で接するレノアが、男たちに対しては緊張と警戒を孕んだ笑顔で接客をしていた。


 不穏な空気を感じて外から様子を窺ってみると、ノーレンスと呼ばれた小太りの男が表面上は穏やかながらも威嚇するような声音で言った。


「挨拶はいい。そんなことより、このところ返金が滞っているようだが、どうなっているのかね」


「……すみません。頑張ってはいるんですけど、なかなかお客さんが増えなくて」


「ふん、まあこちらとしては貸した金を返してくれればそれでいいんだが……きっちりと返してくれるんだろうな?」


「ご心配なさらずとも、必ずお返ししますよ」


 これは、借金の話か。どうやらこの男たちは金の催促に来たらしい。レノアはああ言っているが、表情や声音から察するに事態はあまり良くなさそうだ。


 ふと気が付けば、いつの間にか俺の隣にはアリィがいて、不安げに中を覗き込んでいた。子供がこんな場面を見てしまえば恐ろしくてたまらないだろう。


 慰める意味も込めて、そっとアリィに寄り添うと、彼女は俺を抱き上げてぎゅっと腕に力を込める。その手はほんの少しだけ、震えていた。


「まあ、もし金がなければあんたの娘を貰っていくだけだ。逃げたりしようもんなら、分かってるだろうな?」


「……えぇ、もちろんです」


「期日までまだ一年ある。それまでにせいぜい、しっかりパンでも焼いて稼いでくれよ」


 男はそう言って近くのパンを鷲掴みにすると口に運び、金も払わず店を出る。出入口で覗いていた俺たちを一瞥すると、厭らしい笑みを浮かべて去って行った。


 少し遅れてレノアが出てきて、アリィを見下ろす。


「……お母さん」


 不安そうに見つめるアリィをレノアは俺ごと優しく抱き締めた。


「大丈夫よ。私がなんとかするから……あなたは何も心配しなくていいからね。アリィ」


 そう口にするレノアの声音は、いつものような明るさはなく沈んでいた。


 先の見えない将来に怯える親子の胸の中で、俺はアリィへの恩返しとしてこの店を救う。そう決意を固めた。

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