援護申請
アリィが路地で襲われた日の夕方。その日、俺は付きっ切りでアリィの周辺警護をしていた。
流石に失敗したその日の内に仕掛けてくることはなく、アリィ自身も警戒を強めながら学校帰りに駐屯地へ赴いていた。
目的は朝に置いていたパン入れの籠を取りにだ。アリィは入口で見張りをしていた騎士から籠を受け取り、何かを伝えようと口を開いたが言葉は出てこず、結局はお礼と別れを告げて帰路に就いた。
今日の出来事を伝えなかったのは店に悪影響を与えると考えたからだろうか。それとも、騎士に報告するほどのことじゃなかったと判断したのかもしれない。
実際、相手が凶器を所持していたとはいえアリィにとっては猫と争っていた男に追いかけられただけの事件だ。日本じゃあるまいし、ナイフの一本くらい持ち歩くのは不自然じゃないのだろう。たぶん。
アリィは帰宅後もいつものように今朝の売り上げや学校であったことなどの談笑に終始し、事件についてはレノアにも打ち明けることはなかった。
母親に心配をかけまいとする気心だろうか。発生した事件は大小関わらず報告するべきなんだが……。
例え本人は大したことがないと思っていても、実は深刻な問題だったと後で判明することはある。仕事で報連相が重要視されるのはそういう面もあるのだ。
ここは俺がいつものように手紙で危険を伝えようか。でも、どうやって? 文字は覚え始めたが、まだ簡易的な文章しか読み書き出来ない。しかも、その文言が正しく書かれているのか俺には判断が難しい。そんな状態でアリィが襲われたことを詳細に伝えるなんて不可能だ。
もし下手な手紙を出して不信感を持たれてしまえば、今後アドバイスをする時に支障が出てくるかもしれない。
パン屋の経営は安定しているし、一旦身辺の守りを固めた方が良さそうだ。
幸いなことに助けを求められる当てはある。オルトにアリィやレノアの危険を知らせることが出来れば動いてくれるはずだ。問題はどうやって伝えるかだが……。
一番確実なのはアリィが襲われている現場を見せることだ。だが、この方法はリスクが大きすぎるし、相手の行動を俺が制御できない。
やはりここはタイプライターを使って注意喚起をするしかないだろう。クレーマーの時は諦めたが今回は事が事だ。多少怪しいくらいの方が動いてくれるかもしれない。
一番は密会の内容を伝えることだが、うまくかける自信がない。まあ店の周囲に仕掛けられた魔法陣について知らせれば、レノアたちに何かしらの問題が起こっていることは伝わるだろう。
後は知り合いの猫たちにも協力を要請しておこう。彼らなら見返りを用意すればある程度は力を貸してくれるだろう。
流石に自分の身を危険に晒すまではしてくれないだろうが、俺の代わりにアリィを見張ってくれるくらいはしてくれるはずだ。
そうと決まればと、俺はさっそく行動を開始した。
まずはいつも通り研究所に忍び込み、オルトへ届ける文章を書き込んでいく。とにかくアリィが奴らに狙われていることが分かれば、最悪は危険が迫っていることさえ伝わればいい。
だが、今の俺の頭の中にある知識だけでは文字だけで確実に伝えられる保証がない。なので学校から拝借してきた子供用の絵本を参考にすることにした。
タイトルは『異界の勇者さま』
教師が生徒に読み聞かせをしているのを横で聞いた内容を要約すると、ある日空から巨大な怪物が降って来て、滅亡の危機に瀕した世界を異世界からやって来た勇者が救う。といったものだ。
大きく絵も添えられているので場面を見ればある程度は文字の内容が予測できる。俺は可能な限り、読み聞かせていた言葉を思い出しながら、手紙を綴っていく。
作業をしながら、絵本について少しだけ考える。
教師が言っていたが、この絵本は大昔に、実際にあったことを元に作られているらしい。ある程度の誇張や齟齬はあるだろうが、巨大な怪物や異界から勇者がやって来たことは本当なのだろう。
しかし、怪物の描写――空を覆うほど大きな虹色の目玉は何度見ても気味が悪い。絵本特有の曖昧な絵柄が不気味さを引き立てている。子供泣くだろ、これ。
俺が特に注目したのはタイトルにも出てくる異界だ。怪物は空から降ってくるのだが、人類を救う勇者は”異界”からやってきている。
勇者は絵本の内容を見た限り人間だ。だから創作物でよく出てくる魔界や天界のような場所ではないと推測できる。
物語の中では勇者について”違う世界から来た凄い力を持つ人間”としか描かれていない。だから俺と同じ世界から来たのかは分からないが、どうしても無関係とは思えなかった。
物語の結末は勇者が自らを犠牲に怪物をさらに違う世界へと追放して、この世界は救われる。というものだ。
絵本の内容を聞いたとき、真っ先に浮かんだのは多元宇宙論だった。実際、俺がこうして前世と全く違う世界で猫として生きている時点でこの理論は本当のことだったと証明されたわけだが、もしかするとこの世界には違う世界を行き来する方法が存在するのかもしれない。
今さら日本に戻りたいとは思わないが、いつか何かの役に立つかもしれないし、頭の片隅には入れておこう。
そんなことを考えている間にオルトへ渡す手紙の作成が終わった。毎度のことながら内容は簡素で味気ない。本当ならもっと完成度を上げたいところだが、あまり長居も出来ないし、と毎度妥協するための言い訳を胸中で呟きながら手紙を咥えて研究所を後にし、オルト宅へと向かう。
以前クレーマー騒動を解決するときにオルトの動向を調べたから家は特定済みだ。街の中心部にある一軒家、それもかなり上等な家に住んでいる。
レノアに好意を抱いていることから分かる通り、独り身で親と一緒に住んでいるわけでもない。
在宅している時間はまちまちだ。日勤帯、夜勤帯、二十四時間帰らないこともあれるし、問題が発生した時は休日でも仕事へ向かう。今日はどうだろう、まずは家にいるかを確かめなければ。
オルト宅へ辿り着くと、灯りが点いているのが見えた。すでに深夜を回っているはずだが、まだ起きているのだろうか。それともこれから仕事か?
中の様子を窺おうと更に近づけば、不意に玄関の扉が開いた。咄嗟に近くの物陰に隠れる。そうして姿を現したのは、パン屋の調査の時に見た男――ジャスタだ。
「夜分遅くにすまなかった。では……」
不意にジャスタは俺の方へ視線を向ける。一瞬、目が合って俺は反射的に顔を引っ込める。
「どうかしましたか?」
「……いや、なんでもない」
別にここまで警戒しなくてもいいのだろうが、仮面の男の件もある。あまり人目に付かない方がいいだろう。隠れたまま、俺は会話に耳を傾ける。
「では、先ほどの件。頼んだぞ」
「分かりました。しかし、本当にそんな危機がこの街に迫っているのですか」
「――ああ、ほぼ確定と言ってもいいだろう。最近、多発しているエルフの失踪事件……あれが今後大きな渦となって街全体へと波及していくだろう。そして今、その中心にいるのがあのパン屋の親子だ」
興味深い会話が聞こえてきてピクリと耳が動く。街の危機だって? それにエルフの失踪事件って、まさか奴らが話していた計画に関係しているのか?
屋根裏で奴らの話を盗み聞いた時も陰謀を匂わせるような会話をしていると思ったが、国側の人間がこう言っているならレノアたちが取り巻く状況は、もはやただの借金云々の話じゃなくなって来ているみたいだ。
「主犯の検討はついているのだが、証拠がない。こちらで調査を進めておくから、パン屋の護衛は頼んだぞ」
「はい、お任せください」
そうしてジャスタは別れを告げて去って行った。彼を見送ってオルトも自宅へ引っ込んだので、少しの時間を置いて扉の隙間から手紙を差し込んでオルト宅を離れた。




