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神様ごっこ  作者: 五月雨
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6.それは温かな心地好さで

 それは温かな心地好さで、エアを微睡みの縁に誘った。


「結局、何もなかったんだよね」


 ルークの背に揺られながら呟く。さりとて言葉少な、詳しい説明を求められたらどうすればよいか。お人好しのフランはともかく、ライセンで待つ若長達には。師匠のバルザ、優しいシェラは最後まで聞いてくれるかもしれない。だが残る一人、辛辣で知られる筆頭若長のグスマは見習いの小娘が相手でも容赦しないだろう。


 もたれかかるフリをして、兄の背中を強く圧してみた。何かいい知恵はない?とっておきの林檎をあげるから助けて――漆黒の毛皮は素知らぬ顔で先を急ぐ。


「何もなかった、って?アウラ様とは会えなかったのかい?」


「見つける前に消えちゃったんだ。全部壊れてたし、失敗したのかも」


 肉親の情の薄さに慨嘆、後ろ手にこっそり肉を激しく抓る。だが変異の魔獣バーゲストは、身体的にもエルフより頑健だ。エアごときの全力で悲鳴をあげさせることはできない。


「…ま、まあさ。よかったんじゃない?これで余所の連中に先を越されることもなくなったんだし」


「そうかなぁ。入り込んでいた原種は、結局一人も捕まえられなかったし……」


 言霊使いの亡骸は、ルークが土の精霊に命じて地底深くに沈めさせた。森が汚れるからという理由で、生命の現象精霊に分解させてから火と熱と光の精霊に焼き尽くさせるという念の入れようだ。彼のニンゲン嫌いは、妹を遥かに上回る。


 そしてもう一つ、同じくらい厭なものを捉えた。エルフであっても、同胞のアトルムであっても男。その悪臭は腐敗した林檎より耐え難い。野生の獣が垂れ流す糞尿よりもだ。一匹連れていることに加え、巧妙に隠されていた。ちらりと振り向けば、もう先程の怒りを忘れた彼の妹は機嫌よく耳元を撫でてくれる。


「いたの?じゃあ早く行こ」


 縄で縛られ洞穴に放り込まれていたゼクスは、空腹のため衰弱していた。


 お世辞にも優雅とは言えない。というのも、ルークが彼を見つけるのに手間取ってしまった理由と深く関係がある。


「……ねえ。臭うんだけど」


 堪りかねたように鼻を摘む。男のフランは肩を竦めるだけで済ませた。


 もごもごと文句を言うが、猿轡のせいで上手く言えない。


「いいから早く縄を解け、ってさ」


「……アレに近づくの?足の踏み場もないんだけど」


「やれやれ。仕方ないなぁ」


 苦笑しつつ戒めを解く。ちなみにルークは洞穴に入らず、明け方の清冽な空気を心ゆくまで堪能している。


「いいから早く縄を解け!…それから、少し離れていろ」


「裸になって身体を洗うから、見ないでくれってさ」


「お前は少し黙っていろ!」


 ゼクスは相変わらずだった。


「……ふぅ」


 進化した種族に生まれながら、これでは始祖も浮かばれないと思う。


「水が汚れるから洗うのはダメ。ちゃんと拭いて布は燃やしなさいよ」


「…お前、そこまで言うか?」


「言うわよ。あなたのせいで死にかけたんだもの」


「言っておくが、捕まったのではないぞ?女の命令など聞くつもりがないからサボっていたのだ」


「その言葉、一字一句若長に伝えるけど?」


「んぐっ……と、とにかくアレだ。この……下の、件だけは伏せてくれ。俺の、戦士としての矜持に関わる」


「そんなものがあればだけどねぇ」


「お前は一言多いんだ!?…いえ、お願いですから黙っててください。お優しい従兄殿」


 ゼクスは失念していた。日頃馬鹿にしている兄貴分が、若長のひとりと昵懇の間柄にある事実を。加えてルークとエアの兄妹に弱みを握られた。こちらの二人も、見習いとはいえ若長のバルザと家族同然の付き合いをしている。


「…俺の……俺の戦士生命は、昨日の晩で終わりを迎えた……」


「そんなことより、さっきの話だけど。全員揃ったことだし、もう一度詳しく教えてもらえるかな?」


 礎の女神に会えないまま幻界は消えた。そのことが意味するところは。


 また同じ現象が起こるのか?フランはそれを懸念しているのだ。エアは軽く請け合う、そうなったらまた来ればいい、と。


「分からない。でも今回は大丈夫だよ。死人も出たし、しばらく原種は現れないと思う」


 ニウェウスの女王ティターニアは、過去にアウラの加護を受けて他種族を支配したことを悔いている。ドワーフとホビットら小人族は、そもそも世界の形になど興味がない。


「要するに任務を達成したということだな?…では、さっさと帰って休むとするか」


「僕達は、何もしてないけれどね。戦ったのはルークとエアの二人だから。ただ逃げ回って怪我したり捕まったり、足手纏いになっただけじゃないかな」


「捕まったのではないと言っておろうが!…あれは、その……何だ。敵の内情を探るためにだな……」


 ゼクスが苦しい言い訳をしている。相変わらずの無様だが、それでもエアは安堵した。年長とはいえ歳の近い二人に一足飛びの成長をされては困る。身も蓋もない言い方をすると、やはり寂しいのだ。これからも自分と一緒に、少しずつ強くなってほしい。


 言い合いながら追い抜いてゆく従兄弟同士を背に、エアは来た道を振り返る。背中に乗せて歩むルークも気を利かせて止まってくれる。


 思い出していた。あの場所であったことを。


 あの場所で話したことを。礎の女神アウラは、今もあそこに漂っている。しかし願いを餌にして他人を自分の未練と付き合わせるようなことは二度とない。


 女神も変わるのだ。成長するのだ。彼女の話が本当なら、時間を引き延ばされた哀れな子供に過ぎないのだから。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 過去をやり直している。ここで何をしていたのか訊ねるエアに、人柱の少女はそう言った。他のヒトの夢で起きたことを、実際にやり直すことはできない。もしもセラフィナを見つけたとき、どう書き換えればなかったことにできるのか。探し求めて。


 エアの思ったとおりだった。


 この女神は未練がましい。幸せだった頃の記憶に縋り、夢にまで見てしまう。母に会いたい、弟に会いたい、故郷に帰りたい――ただそれだけ。


 現状に不満があるのは理解できる。それなら過去を変えるのではなく、自分の望む未来を摑んでやろうとは思わないのか。


(過去も……未来も……今も。わたしにとっては同じ。解れたマフラーを編みなおすように……足りない毛糸を……付け足して)


「そんなの、あいつと一緒じゃない。あなたの大事な人は助かるかもしれないけど、私達は消えてしまうのよ?」


(助けてくれたあなたのことは忘れない。わたし達自然の人間は統制者の影響を受けないから、あなた達の記憶を残しておける。いつかあなた達が星の海を渡り、人類の故郷を見つけて本物の弟に会いさえすれば。マサオが造ったバイオメモリは、百億のヒトを憶えることも可能に……痛っ)


 まだ話の途中だったが、アウラの額に正面打ちを入れた。


 他の者が見たら卒倒したろう。祖先から子孫まで全員消されても釣りが来る。創造主に手を上げるとは、そういうことなのだ。


「難しいことは分からないけどっ!とにかくダメなの!いいから言うことを聞きなさい!」


(どうして?)


「どうしてもよ」


(……理由になっていないわ)


「うーん……」


 本当に分からなかった。順序立てて考えたのではない。本当に何となく。ただ何となく。やってはいけないことのように思える。何故と問われれば――きっと。


「強いて言うなら……ずるい気がするから、かな」


(……ずるい?)


「だって、そうじゃない?やり直しが利かない中を、みんな頑張って生きてるのに。自分だけやり直せるのって、すごくずるいよ」


(……………)


 考えているようだった。


 何もするなとは言っていない。運命に戦いを挑むことで、自分の望む未来を摑み取れと。永劫の時間を与えられているが、それは想像を絶する孤独の苦しみと裏返し。他人と同じ条件で努力するのは、ずるくも何ともないのだから。


(……分かりました。あなたの、言うとおりにします……)


 こくりと頷いて、それから続けた。


(お礼を何にするか、まだ聞いていませんでした)


 言った傍から、これである。とはいえ、よく考えてみたら今回だけはエアにも叶えてほしい願いがある。まさに神の悪戯。この後始末だけは必ずやってもらわなければ。


(どうしますか?大抵のことはできると思います。それこそ彼が言ったように、生まれる前からやり直すことも……)


「じゃあ、ゼクスを生き返らせて。それくらいはいいでしょ?」


(そのヒトは、生きています。叶える必要のない願いです)


 呆気に取られてしまった。贋者だと分かった瞬間から、死んだものと諦めていたゆえ。ゼクスの性格からして、ニンゲン相手に降伏などするはずがない。余程の実力差があり、手もなく気絶させられたか――年長者の印象が、なおのこと惨めなものへと変わる。


「…そっか。なら、とりあえずいいや」


(いい、とは?)


「何もお願いがないってこと。満足してるから、別にいいや」


 話は終わった。しかしエアは帰らなかった。言霊使いが撒いた毒を消し終わり、毛皮に疲労の窺える兄ルークが膝元に擦り寄ってきてさえ。自分の見ている夢ながら、アウラの世界に元々バーゲストは存在しなかったようだ。最初は恐る恐る指を伸ばし、今では仲よく隣に座って柔らかな感触を愉しんでいる。


 ラダラムと約束した刻限までは、もう少し暇があった。


(だけど願いって、そういうものじゃありませんか?自分はどうなってもいい。それでも叶えたいことがあるから)


「私は違う、かな。思いきり幸せになって、みんなと一緒にいたいよ」


 戦士として考えたときは、そうかもしれなかった。自分だけではなく、ライセンの部族全員を差し出しても構わないと。それでアトルム全体が繁栄を享受できるなら。ニウェウスの女王ティターニアのように、期せずしてのことではない。それゆえ実現したときのエアの罪は、比較にならないほど重く深い。


(……分かりました)


 瓦礫の向こうから陽が昇る。その光景にアウラは、目を細めなかった。


 見えないのではない。彼女の視線はもっと遠く、別の何かを向いていた。あぁ、と声にならない溜息が洩れる。


(あなたの願いは取っておきます。力を必要とする、そのときが来るまで)


 エアは右手を掲げて赤い瞳を伏せた。偶然だったが、幻界の夜明けと共にエア達の日も暮れた。そろそろライセンに戻らねばなるまい。


「来ないよ。私は自分の力で幸せになるもの」


 立って背筋を伸ばし、転寝する兄ルークも起き上がらせる。これからやらねばならないことは沢山あった。まずラダラムと一緒に甕運び、次は師匠のバルザが昼間から呑んでいないかの確認と夕餉の支度。


 万に一つも素面なら、異国の酒をその場で渡す。酒癖を直した褒美が酒とは何だが、他に義父が喜びそうなことをエアは知らない。ルークのように林檎ひとつで機嫌を取れるなら、これほど楽なことはないだろうが……


 忙しくも穏やかな時間が戻ってきていた。この冒険は、もうすぐ終わる。


「毎日は無理だけど、なるべく会いに来るから」


 新しい日常には、新しい友人の姿もある。皆に紹介することはできないが、秘密の逢瀬もそれはそれで楽しいはずだ。予感に胸がときめく。


「…ミカゼと呼んでください」


 別れ際、礎の女神はアトルムの少女を呼び止めて言った。


「アウラというのは、わたしの名前ではありません」


 唐突である。しかし、それも仕方ないと思う。


「……嫌なの?」


「嫌ではありませんが、辛い記憶もあります」


「そっか」


 新しい友人の名はミカゼ。それを心に刻む。


「うん。分かった」


 振り向きながら何度も手を振る。姉と再会できなかった少年、アトの分も入れて。貰った服や靴は、セレスが自爆したとき消えてなくなっている。それが少しだけ、ほんの少しだけ心残りだった。


 ここへ来たときと同じ。短剣を腰。両手は精霊の加護。懐にドワーフの時計。


「じゃあ、帰ろっか。夕食は何がいい?」


 明日からは、もう大人だ。


 十四最後の夜が、故郷でエアを待っている。

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