8 冒険者紫等級昇級試験 一回戦 クレト・エノミヤ②
「くっ…!」
アカネの放った《氷柱弾》に、クレトは二、三歩後退する。
今の一撃のおかげで戦況は優勢。
しかし好ましくないことも判明した。
クレトは明らかに、不正行為をはたらいている。
アカネの洗練された魔法を受けて、《防壁》魔法の破壊警告機能が音を上げないはずがないのだ。普通ならば先程のアカネと同様、クレトの身体も黄色かそれよりも強い警告を示す赤色に点滅しているはずである。
それなのに《防壁》の損傷が目に見えて現れないのは、クレト陣営の者が職員を買収したからだろう。こうなれば、彼の持つ杖に何か違法な細工がしてある可能性も警戒しなくてはならない。
アカネは不正への警戒と優勢な現状を差し引きして、体勢を崩したクレトから少しだけ距離を取った位置で再び杖を構えた。
一瞬様子を窺うも、クレトが立て直して不意打ちを仕掛けるような動きは見られない。
絶好のチャンスを悟ったアカネは、すかさず連続攻撃を叩き込んだ。
(《蟻地獄》《暴風》《氷柱弾》)
土魔法で足首から下までを拘束。
風魔法で吹き飛ばすと、クレトは土を掘り返しながら豪快に転ぶ。
ひっくり返った状態で柱に叩きつけたところに更に追い打ち。氷魔法の連射で磔にしてしまった。
(《火球》《空気砲》《疾風》)
とめどなくアカネの猛攻は続く。
簡単な火魔法と風魔法で間を繋ぎながら大きく前進。
標的に接近すると、先程クレトが掘った地面に足を入れ、近距離から強力な風魔法を撃ちつける。
竜巻のように渦巻いた風が一本の筋に収束し、クレトに鋭く照準を定める。まもなく、矢のように高速で宙を駆けたそれが、クレトの《防壁》に突き刺さった。
反動に激しく靡くエメラルド色の髪の中で、アカネは踏ん張ってその場に立っていた。
二十秒にも渡る一方的な魔法攻撃。こんなものを食らって生きていられる人間がいるとは到底思えない。
観戦する誰もが思っていただろう、勝負あったと。
しかしそんな中、風に巻き上げられる砂煙の中に見えたのは黄色の点滅。
試験の規定の強度より何段階か強化された《防壁》魔法は、やっと警告の色を示したところだった。
ざわめくアリーナ席。大胆過ぎる不正行為に頬杖を突いて苦笑するケイト。周りの空気に、清々しいほどの真顔を見せるクレト応援団。
クレト・エノミヤの強靭過ぎる《防壁》について、この中に不自然にも思わなかった人間など一人もおらず。きっと彼らの不正はそのうちの半分前後には勘付かれていただろう。
しかしそんな中、彼だけは──オクラだけは、ただ力強い表情でアカネにエールを送っていた。
まるで不正行為など関係ないと言っているかのように。いや、おそらくそう言っているのだろう。
そうだ。この局面になってもなお審判が決闘を止めないのは、審判もクレト側であるということに他ならない。確かに今ここで不正行為を告発しても、絶対的な証拠を提示できるわけでもないのだ。
この決闘で完全勝利を修める最適解は、相手の《防壁》魔法を撃ち破ることただひとつ。
やることは変わらない。ただ自分の魔法と技術をもって、相手を蹂躙するだけだ。
「──《起爆》ッ!」
アカネが再び杖を構えた次の瞬間、クレトが叫んだ。
これから発動する魔法の名を堂々と晒す咆哮は、起死回生へと気を奮い立たせるゴング。
相手の突然の復活にたじろいだアカネは、まんまと先手を取られた。
何もなかった空間に真っ赤な火の球が出現し、まもなく火を噴いて爆発するこの近距離で爆発の魔法を使うなど、もはや自爆に等しい。
そんな捨て身の攻撃ができるのは、ひとえに不正行為による強力な《防壁》の利用価値を理解しているからだ。
同じ黄色の警告を見せた両者だが、自爆を繰り返されて先に破壊されるのはアカネの方。
現に、アカネの身体は最も危険な赤色に、クレトの方は黄色のままにあった。
(まずいですね。このままでは…)
力押しされることを予感し、バックジャンプで距離を取る。
あと一、二発食らえば負けるとなった以上、リスクを伴うような攻撃はできない。増してや、近距離になると自爆で片付けられる。
(せめて、あれさえ利用できれば…)
アカネは何かを悔しがりながら顔を上げる。
するとそこには──
「『固有魔法』《クレトの火薬庫》」
クソダサい魔法名を唱えながら、杖を掲げて先端の真っ赤な輝きを見せつけるクレトの姿。
そして、宙を舞う無数の火の球がアカネの視界を埋めていた。
固有魔法、今では「象徴魔法」と呼ぶことが多いか。魔法使いが持つ特定の魔法を差す四文字だ。
ジポーネ王国の古い風習で、魔法使いは皆、自分が使える中で最上級にして最も得意とする魔法を固有魔法と称し、各々が自由に名前を付けて使用している。
必殺技、得意技、切り札、十八番、その辺りの言葉が近いだろうか。
魔法使いが自分を名乗る時、個性を示す象徴となるのがこの固有魔法だ。しかしそれが自分で開発した魔法とは限らないし、そもそも魔法を開発したところでその技術が世界中で自分だけのものかと言われればそんな保証もない。
そんな意味で、近年固有の二文字が霞んで象徴に置き換わり始めているというのが現実である。
そんな豆知識はさておき。
得意技と言うからには、固有魔法はその魔法使いが得意とする魔法の種類、つまり属性というものを示している。
魔法は大きく分けて六種類。火、水(氷を含む)、風、土、白、黒という属性に分かれている。例えばあの筋肉ダルマの魔法使い、キョウジロウ・タノウエは土属性の魔法を得意とすると言っており、つまり彼の固有魔法はきっと派手な土魔法なのだ。
だから現在、アカネが眼前にしている男、クレト・エノミヤの得意属性は火で、その中でも爆発系の魔法を好むことが分かる。
「火属性…ですか」
アカネは小さく呟く。淡い優越感の感情を悟らせないよう、静かに。
どう見ても絶体絶命の状況下で、アカネはこれ以上ない程冷静に、相手を観察、分析していた。
(《クレトの火薬庫》とか言いましたか。派手な代わりに仕組みは単純ですね)
先程の《起爆》魔法の強化版といったところだ。火柱を上げて爆発する特殊な火の球が無数に並び、熱気をもってアカネに牙を剥く。
発火だけでない強烈な爆発を実現させるのは、急激な燃焼と気体の膨張を誘発する魔法の構造。
爆発を担う部位の中心に《火球》のような低級の火魔法を詰め込めば、火柱を上げて破裂する兵器が完成する。
それらを一度に何個も出現させ、相手に向けて投下するのが、クレトのこの固有魔法だ。
この局面で切り札を引き出したクレトの判断は、至極真っ当で、それでいて賢明とも言えただろう。
《防壁》の赤い警告を示した相手に対してすかさず回避不能の一撃を向けるのは、大胆ながらも最適な一手だ。この場面で魔力や体力を温存しようと手を抜くと、徐々に形勢を奪われ始めて逆転されるケースも十二分に起こりうる。
この一戦の大切さをよく理解しているクレトは、不正行為を抜きにしても十分優秀な青等級冒険者だった。
そして自分の固有魔法に絶対的な信頼を置いている部分も含めて、彼は良い戦士だった。
──しかし。
「固有魔法、《鎌鼬》」
刹那、決闘場を風が駆ける。
次の瞬間、宙に浮かんだ無数の火の球が、一斉に小さな破裂を起こした。
アカネに向かって飛び出すよりも前に、地面に叩きつけられて爆発を起こすよりも前に、《クレトの火薬庫》は虚しくも空中で不発したのだ。
打ち消された固有魔法から、ただ綺麗なだけの火の粉が舞ってクレトに降り注ぐ。
「…は?」
クレトはただ唖然として、虚空を見上げていた。
何が起きたのか、分からない。クレトにも、観客にも、きっと審判にも。この空間で状況を理解しているのはたった二人。アカネと、彼女の魔法をよく知っているオクラだ。
勝利を確信さえしていたところで、突然決闘場の景色が綺麗に晴れてしまったのだ。あまりの衝撃に、クレトは知らぬ間にも地面に膝を着いていた。
「──あなたの『風』は読めました」
それは、アカネからクレトに送る勝利宣言。
サファイヤ色に輝く魔法の杖を手に、クレトに向かって走り出す。
「何なんだよ、マジで…!」
苛立った声を上げたクレトは、片膝を着いた状態でアカネを迎え撃った。
しかし、彼が放つ炎の光線もアカネの風魔法に振り払われる。
「《鎌鼬》」
軽快な足さばきで突撃しながら、アカネは魔法の杖を振り上げた。
──勝負あり。風の魔法が切り裂いて、クレトの《防壁》は破壊された。
わけも分からないまま、クレトはただ自分の身が魔法の鎧から解放されるのを感じていた。
「なん…で…」
勝負はついた。買収されているであろう審判も文句を言う余地がなくアカネの勝利を認めた。
目の色を失うクレトに、アカネはしゃがみ込んで目線を合わせた。
「良い魔法でした。《火薬庫》」
「俺の怒りを煽りたいのか?」
「いえ、挑発の意図はありませんよ。本当に良い固有魔法だと思いましたし。私はただ、あなたの質問に答えてあげようというだけです」
「質問?」
「『なんで』と、そう言いましたよね?」
「お前、さては面倒臭いな」
苦笑するクレトを置いて、アカネは淡々と語る。
「最後、あの場面であなたが切り札を使用したこと。それが何よりの答えで、あなたの敗因です」
判断は適切だった。瀕死の相手に全力で向かう姿勢も優秀だった。
ただ、固有魔法《クレトの火薬庫》を信頼しきっていたことが、その一撃で決まるだろうと慢心してしまったことが──そして、アカネ達がそうなるよう誘導したことが、クレトが敗北した何よりの原因だ。
「固有魔法程の強力な魔法には、それに相当する強力な魔法をぶつけて相殺するのが少ない対処法の一つです。更に魔法属性の相性次第では、同じ消費魔力量の同じ威力の同じ耐久力の魔法でも、いくらか優劣の差が出るものですよね」
魔法属性の相性など義務教育で習う範囲だ。裕福なエノミヤ家の息子が知らないはずがない。
土より水が強くて、火より水が強くて、逆に水は何にも劣らない。だから水の魔法は最強だ、なんて言う理屈の理の字も知らぬ頭のおかしい教師が、アカネの組を担当して二週間で解雇された、なんて話がある。水の魔法はそもそもの威力が乏しいのだ。
一方で氷の魔法は、魔法の種類の少なさから現在は水属性に分類されているにも関わらず、その性能では液体の水とは一線を引いている。冷やすことと酸素を奪うことを主な目的とする水とは異なり、水を凝固して形造ることを目的とした氷の魔法は火の魔法に弱いのだ。
氷が熱で溶けることなど、九歳の妹のハルカでも知っている。もっとも、彼女に氷を渡せばすかさず口に頬張ってゴリゴリと噛み砕いてしまうだろうが。
とにかく、氷の魔法は火に弱い。それは魔法使いのみならず全ての人間が知る常識だ。
「エノミヤさん。どうしてあなたはそれ程にまで慢心し切って、私に《火薬庫》を向けられたのでしょう?」
頬に人差し指を当てるあざとい仕草に、クレトは見惚れるより前に氷柱で貫かれたような痛感と冷気を浴びた気がした。
「お前…どこまで読んで…?」
彼女が何を言っているのか、少しずつ理解してきていた。
「あなたの敗因、それは──私を『氷結の姫』なんぞと思い込んだことです」
アカネの背後に見えるのは、観客席で静かに笑うオクラ・シライシ。
騙された、そう確信しながら、クレトは数時間前の出来事を回想した。
それは、この決闘が始まるより前、エントランスホールでのこと。
試験の受付の列に並んでいたクレト。その一つ前には、二人の男女がクサい小芝居のような本物の会話を繰り広げていた。
『だから、前だけ向いててよ。氷結の姫、アカネ・ホウジョウ』
男の──オクラ・シライシの言った言葉を、クレトは今まで覚えていた。そしてその氷結の姫とやらがこのエメラルド色の髪の少女を差していることも。
その時得た情報がまさか役に立つとは思わず、ただその時は「前進んでもらっていいですか」と二人に促したわけだが、決闘開始時、目の前に現れたアカネの姿を見た瞬間には、心底興奮したものだ。
なんと運の良いことか、そう思いながら、彼は氷結の姫の二つ名を持った少女に立ち向かった。
「なんと運の良いことでしょうね」
しかし、本当に運が向いていたのはアカネの方だった。
「まさか、たまたまオクラ君が口に出したデマが、たまたま一回戦の相手に聞かれていて、たまたまその相手が火属性を得意とする魔法使いだったなんて」
まるで全て仕組んでいたかのような口ぶり。
しかし全ての因果は偶然で、アカネとオクラが仕掛けたのは、「誰かがこれを聞いて騙されてくれないかなぁ」程度のほんのちっぽけな淡い希望のもとに築いた小さな嘘だけだった。
氷結の姫、なんてのはオクラの口から出まかせだ。ついでにアカネがオクラのことを「火葬屋の土偶」か何かの名であたかも土属性と火属性の使い手のように呼んだのも、おまけの嘘である。なに、天才オクラに専門の魔法属性などあるはずがないのだ。
「確かに私が氷結の姫ならば、その名の通り氷魔法の使い手ならば、あなたの固有魔法で確実に片付けられたでしょうね。私がどんな分厚い氷の壁を造ったところで、爆発魔法の連続攻撃に耐えられるはずがありませんもの」
アカネは小さく笑う。
「でも、私は風属性専門の魔法使いなんですよ」
氷の魔法なら不可能なことを、風の魔法が秘める可能性は凌駕するのだ。
空気あるところに風魔法あり。空気の変形の仕方によって、風魔法は広範囲及びあらゆる場所に様々な種類の打撃を生み出すことができる。
無数の爆弾を、氷の壁なら防げなかっただろう。しかし風の斬撃なら、防ぐまでもなく発射前に破壊することができる。
固有魔法《鎌鼬》。その正体は、無制限の空間に予測不能な風の斬撃を生み出す超上級の風魔法であった。
「優越感に、ちょっとおしゃべりが過ぎましたね」
審判の退場の指示に、杖を突いて立ち上がる。
「おい」
背を向けると、クレトの不機嫌そうな声が飛んできた。
「勝手にぺらぺら喋って終わらせるなよ。納得できるはずがないだろ」
「とは言っても、これが全てです。私達はエントランスホールでごく小さな罠を張ったに過ぎず、それ以降は全部偶然なのですから」
「何と言うか…あまりにスムーズ過ぎるんだよ。お前とお前の彼氏の嘘のつき方といい、偶然にも罠にハマった俺に対する処理の仕方といい」
誰が彼氏やねん、とのツッコミは眉のぴくつきだけで表現して、アカネはこれまた淡々と答える。
「オクラ君と私の連携が取れているのは私の教育が良いからです。そして私の戦闘については………」
そこで顎に指を添えて数秒。まもなく、退場するように審判が再度忠告してきた。
それぞれ牛歩で決闘場の外へ捌けてゆく二人。アカネはクレトと距離を離しながら回答を模索する。
熟考の末に簡単な答えを見つけたアカネは、去り際にこう言ってやった。
「私の方があなたより強かったからですかね」
結局はそれが彼女の勝因だったわけだ。
「…ああ、負けたよ。次も頑張ってくれ」
生意気な少女に、クレトは最早怒る余裕も無かった。