7 冒険者紫等級昇級試験 一回戦 クレト・エノミヤ①
トキヨトタワー17階B決闘場。
アカネが臨む一回戦が行われるのは、教会の廃墟を模したグラウンド。硬い砂利の上に木片が散らばって足場が悪くなっており、等間隔に立ち並ぶ石の柱が障害物となる。
アカネはそのフィールドの脇で、一人の男性職員から魔法をかけられていた。
身を守る鎧の役割を果たす魔法、《防壁》である。
男性が魔法の杖を傾けると、青色の輝きがアカネの全身に纏わりつき、やがて無色に帰す。鎧の重さは感じずとも、確かに空気に触れる感触が薄くなったのを感じた。
「相手受験者の《防壁》魔法を破壊すれば勝利となります。その他、何か質問などはありますか?」
「いえ、大丈夫です」
王国から認められている『決闘に関する規則』という法律に従って戦う以上、無論生身の状態で命のやり取りをするわけにはいかない。この時世に殺し合いで頂点を決める国家があるだろうか。
説明の通り、《防壁》の魔法を破壊することが勝利条件となるのが、ジポーネ王国における正式な決闘の形である。
ルール上《防壁》の強度は平等に設定されている。だからいくら耐久力に自信がある巨漢だとしても、決闘における生命力は幼女とも老婆とも等しいのだ。
そう、平等。
もっとも、ルール上での話だが。
「こちら、検査の結果問題ありませんでしたので返却させていただきます。それではご健闘を」
不正防止の武器検査を受け、魔法の杖は返却される。
先端の輝きを確かめると、アカネは運命を分けるバトルフィールドへ、大きく一歩踏み出した。
(──あ、「クロ」ですかね、これは)
数メートル越しに対峙した対戦相手の少年に、アカネはいきなりにも嫌な予感を察した。
金の髪、歌劇に登場する王子様を倣ったかのようなすらりとした体型、どこか高貴さを醸し出す鋭い顔立ち。黒シャツの上に羽織るのは、アカネのローブ何枚分かの分厚さを持つ、やたらと装飾の多い上等なコート。ブーツもまた重々しく見え、踏むだけで金属音を奏でそうな代物だ。
両手で持った魔法の杖に関しても、これまた見た目だけで騒がしい金属製であり、見るとアカネのものよりも一回り小さい、おそらく時代の最先端を行く一品と思われた。
少年が並々ならぬ財力を持つ家系の者であることは、その様相から一目瞭然であった。
決闘場の外側、観客席の方に目線を送ると、なるほど、彼が家の者から愛されているのも見て取れる。
数人のメイド服姿の女性と執事らしき老男、そして両親であろう夫婦が一同に集い、「クレト」と刺繍された手ぬぐいを振り上げてお坊ちゃまを応援しているのが一際目立っていた。
「クレト様〜!」「お坊っちゃまー!」「クレト!たたみかけろ!いけ!そこだ!」「お父さん、まだ始まってませんよ」
羞恥心に顔を両手で覆うクレト・エノミヤ。お気の毒に。
見ると、クレト応援団のすぐ近くにオクラの姿があった。隣の熱意に押されてだろうか、いつもの具合よりも少し控えめにこちらに手を振っている。
アカネも小さく振り返しながら、そこで彼の隣に座っている女性の姿を認識した。
オクラの父の取り立て屋、名前はケイト・オカシマといったか。金といえば彼女といった印象で、アカネの家の事情に関しても多少干渉していた覚えがある。
名を忘れる程の浅い関係だが、アカネの父について知っている数少ない人間の一人でもあった。
ケイトは一瞬、アカネと目配せして頷いて見せる。
あんなシリアスな雰囲気の女だっただろうか。しかしその黒い目が示す注意喚起については、アカネはしっかりと読み取っていた。
クレト・エノミヤ。この男は、あるいは彼らの一家は、財力をもってして裏取引を行っている可能性が極めて高い。
なに、先程の職員一人買収すれば《防壁》の魔法を規定より強く設定してもらうこともできるし、魔法の杖に違法な細工が施されていても見逃される。この国の貴族の力をもってすれば、不正をすることなど難しいことではないのだ。
アカネは審判に促されるまま前に出て、クレトとの距離を三メートルのところまで詰めた。
そこで気が付く、「この顔、どこかで見たぞ」と。
しばし目を合わせてから「ああ、そうか」とその正体を理解すると、顔を凝視されて気まずそうにしている彼に向かって、アカネは不自然なほど柔らかい笑顔を見せてやった。
「アカネ・ホウジョウと申します。お手合わせ、よろしくお願いします」
「クレト・エノミヤです。よろしくお願いします」
庶民の繕いと貴族の嗜みが、同時に浅く頭を下げた。
「北、アカネ・ホウジョウ。南、クレト・エノミヤ。決闘開始っ!」
これから何百何千という試合が行われるからか、開始の合図もスムーズなものだった。
決闘開始の合図とともに、二人は同時に動く。互いに杖を向け合って牽制しながら、相手の方向ではなくフィールドの外側へ一直線に走った。
魔法使いの両者は、まずは石柱の裏に隠れて様子を窺う。
中、長距離での戦闘を望む魔法使い同士の決闘では、いかに障害物を盾にして相手の攻撃を防ぐか、いかに相手の短い隙を突いて正確な攻撃をするかが勝敗を分けるのだ。
要するに銃撃戦。しかしその中では単に魔法の才能、技術のみならず、優れた動体視力や瞬発力、俊敏な動きを実現させる総合的な身体能力や、様々な戦況に応じて立ち回るための柔軟な思考力、判断力などが求められる。
そして的確な判断の手助けをするのが情報。相手に関する情報を一つ持っているだけでも視野が幾分か広くなり、状況を把握、展開を予測する能力を最大限に発揮できるようになる。
アカネはこのことを全て理解した上でこの一回戦に臨んでいた。
(──《空気砲》!)
柱の横からダイヤモンドの透明感を持つ右目とサファイヤ輝きを放つ魔法の杖を覗かせ、脳内に音速で駆け抜ける風の塊を想像する。
アカネのイメージ通り、射出された風は弾丸となって一直線。虚しくもクレトが隠れている柱の真横を通過──したと思われたが。
魔法はそこで方向転換。柱の裏を掬い取るように弧を描き、クレトに一撃を食らわせた。
「何だ、この魔法…!?」
クレトが不意をつかれたのも無理はない。アカネの魔法の技術は、他では見られない特異性を持つ程に熟練しているのだ。
そこに命中したのだろう、横腹を抑えながら姿を現すクレト。《防壁》を若干貫通した衝撃が、クレトをアカネの射程へ放り出した。
絶好のチャンスを逃すまいと、アカネは柱の裏から飛び出して、間髪入れず杖を構える。
(《火球》)
風の魔法に立て続け、今度は火の魔法を試みる。燃え盛る赤を球体に纏め、それを投げ飛ばすイメージ。
しかし、魔法は発動しなかった。
「…え、なんで!?」
まさかの失態に思わず動揺を晒すと、クレトはしめた、とばかりに杖を握りしめる。
《火炎放射》。クレトが杖を振りかざすと、光線状になって飛び出した火柱がアカネを襲った。
障害物を失っていたアカネはノーガード状態。
絶体絶命ではあったが、攻撃を受ける直前で風の魔法《暴風》を発動。間一髪のところで強烈な空気を叩きつけ、《火炎放射》の威力を相殺した。
(危ない危ない……)
危機をひとつ凌いだところで、再び柱の裏に隠れて戦況を振り出しに戻すアカネ。今の彼女には、未曾有のアクシデントから一息つくだけの時間が必要だった。
(どうして《火球》が…?こんな低難度の魔法、十年は失敗したことないのに…)
混乱しながら、杖に問題がないことを確認する。
すると、自分の手元が小刻みに震えているのに気が付いた。
「…………………」
柱を背にしていると、何やら足音が近付いてくるのが耳に入る。
そう、先程障害物に隠れながらもアカネの器用な魔法によって襲撃されたクレトが懲りずに柱の裏にいるはずもなく。彼は杖を構えながらこちらに向かって疾走していた。
気付いた時にはもう、クレトはアカネの視界内。対してアカネはクレトの射程内。
柱の裏まで接近していたクレトは、丁度もたれかかった状態から直ろうとするアカネに狙いを定め、魔法の杖の先端を淡い青で輝かせた。
次の瞬間、大量の鋭い氷の結晶が散弾銃のごとく射出され、アカネを襲う。
今度はもう防ぎようがない距離。身をよじって躱すも、命中した数弾がアカネを覆う《防壁》魔法を傷つけた。
アカネの身体が黄色く点滅する。《防壁》が破壊される危険信号である。
氷の嵐の中、風の魔法《空気砲》で応戦しようとするも、しかし先程の《火球》の時と同じく、魔法は発動しない。これまた低級の魔法だと言うのに。しかも《空気砲》に関しては、決闘開始直後に一度発動に成功しているではないか。
とにもかくにも、今立て直すのは無理だと判断したアカネは、全速力でその場を離れた。
アリーナ席の観客が目を見張ったのはその身のこなしだ。
クレトの猛攻を跳ねてしゃがんで避けながら距離を取るアカネ。軽やかでアクロバティックな動きは魔法使いの運動能力とは思えないもので、無限の弾を撃っているにも関わらずどうにも照準が定まらないことに、クレトも目を丸くしていた。
「アカネ嬢、あんな動きできるのか」
「回避術は独学です。冒険者になってから習得したんですよ」
「それは…素人目で見ても相当なもんだな」
自分のことのように誇るオクラに、ケイトは称賛を通り越した苦笑を見せた。
「でも、勝つためには攻撃しにゃならん」
ケイトはアリーナ席から、試すような笑みをアカネに飛ばした。
「乗り越えて、攻略してみな。…自分を」
足元への一撃を躱しながら、身体を捻ってクレトの方を向く。
後ろへのスライディングとともに杖を突き出すと、やはりアカネの手は震えていた。
しかしその目つきは先程とは打って変わり、鋭い一筋でクレトを貫くようだった。
(大丈夫。今度こそ…)
立て続けな魔法の不発、今のアカネはその原因をおおかた理解していた。
あとは自分との戦いだけだ。
一瞬、目を閉じて回想する。
『アカネちゃんは絶対に負けない。だから前だけ見ていてよ』
彼が言ってくれた。自分を信じてくれた。
(なら、私は私を信じ続けるだけ…!)
少し念じただけで、瞼の裏に貼り付いていた火の海と黒煙が連れ去らわれるように消えていった。
(《氷柱弾》!)
クレトが連射してくるのと同じ氷の結晶の魔法。アカネの杖から放たれた一撃は、針の穴を通すがごとく敵の弾幕を掻い潜り、杖を向けるクレトに向かって一直線。
視界を自分の猛攻で埋められていたクレトはそれに気付かず、左胸の辺りにまんまとダメージを負った。
心はこれ以上に無いほど澄んでいる。手の震えもすっかり消えた。
(──いける…!)
今の自分なら、人に杖を向けることができる。
アカネは決して綺麗とは言えそうにない不敵な笑みで、形勢逆転へと向かい始めた。