5 すれ違う翠玉達
「どうなさいましたか?」
トキヨトタワーの広大さに反して、長机を三つ並べただけの簡易な受付窓口。
六つ横に並ぶ窓口のうちの左端で、アカネはそのように尋ねられた。
男性職員の言葉と口調を、アカネは不可解に感じた。
何せ、大量の受験者の受付手続を捌いていく流れで「どうなさいましたか」なんて聞き方はおかしいからだ。
まるで「何かあった」ことを前提に話しかけてくる男性に、アカネは疑問を抱きつつも淡々と返した。
「昇級試験の受付をお願いします」
「ああ、はい…ええっと、お名前と所属ギルド名を教えてください」
「アカネ・ホウジョウ。ギルドはキャナガーの『スギハラ冒険者ギルド』です」
つくづく、つまらないギルド名だと思う。ギルド長の性格がよく表れていると言っておこうか。
「アカネ・ホウジョウ様、ですね…」
男性は卓上に置いた紙にボールペンを添えると、そこに並ぶ受験者の名前の中からアカネを探し出して印を付ける。
その挙動もどこかぎこちなくて、アカネの名前を見つけるや否や「あ、ホンマにあるやん」などと西の方言で呟いていたりなんかして。
「身分証とブローチの提示をお願いします」
続けて指示される通り、全国民に配布される個人番号証という身分証を取り出し、胸から外した青のブローチと一緒に卓上に置いて渡す。
身分証を確認して「マジか」などと独り言を呟く男性。その違和感にとうとう痺れを切らしたアカネは、ブローチに手を伸ばす彼に首を傾げて見せた。
「あの、何か問題でもありましたか?」
「へっ?あ、ああ、いや、その…先程受付を済まされた方が、ホウジョウ様によく似ていると思いましたので……はは、すみません、変なこと聞いて」
なるほど、同じ人が二度受付窓口に来たと思ったわけだ。それで「どうなさいましたか」。アカネ・ホウジョウという名前がリストにあることについて「あ、ホンマにあるやん」。不正な手続きを予感しながら、身分証の存在を確認して「マジか」。もっとも、心の内に留めて欲しい声だが。
にしても、自分とよく似た、それも同一人物と間違える程のそっくりさんが同じ会場にいるだなんて。
(それはもう美人さんなのでしょうね…!)
エメラルド色の髪の結び目辺りををくるくると弄りながら、アカネは男性職員を疑う傍らで感心したりもしていた。
「はは…ほんとすみません。ただ個人的に気になっただけで。身分証も確認しておりますので、特に参加手続に関して問題はないと思います。はい、いや、マジ、すみません」
どこか卑屈さを漂わせる男性にやや苛立ちを憶えながらも、アカネは一応という形で聞いておいた。
「ちなみに、その私そっくりだという方のお名前は?」
「え、これって教えちゃっていいんですかね?」
「私の親族の可能性が万が一にもあるので、確認程度に。個人情報云々に関してはそちらが勝手に判断してください」
「はあ、では…。こちらの方なんですけども…」
まさか、ハルカや母が実は青等級冒険者だった、なんてオチはないよな。と衝撃的展開を恐れながら、男性が名簿の上で指さす名前を凝視する。
──イレイナ・アンダーソン。知らない名前だ。
その名から察するに、遠く海を渡った先の「ベイコク」という国家出身の女性だろうか。生憎、アカネに外国人の知人はいなかった。
「知らない人です」
「あ、はは、すみません。じゃ多分僕の見間違いでしたね。そういえば髪型も違いましたし」
「──アカネちゃんの方が絶対可愛いし!」
突然、隣の受付窓口からどうしたことか上半身裸のオクラが首を突っ込んできた。
「オクラ君は黙っててください。受付済んだんですか?」
「いや、ブローチ見つからなくてさ」
「だからって脱がないでください。ブローチなんて、どうせまた異空間に放り込んでいるんでしょう?」
オクラは「あ、そっか」と零すと、手の平から怪しげな黒い煙を発生させ始めた。
彼を担当する女性職員が、目の前の男性職員が、また後続の受験者の列が皆どよめく中、アカネはただ平然として、立ち込める煙が気体の軽さに伴わずオクラの手元に集合していく様を観察している。
まもなく、黒い物質が分散すると、二秒前までは何もなかったオクラの手には等級を示す青のブローチが出現していた。
「ちょっと折れてます」
「ああ…か、確認しますね」
女性職員は困惑しながらも、端の折れ曲がったブローチを受け取った。
周囲が驚愕の空気に包まれるのも無理はない。異空間を開く上級魔法など、魔法の杖を持たずしてできる業ではなく、そもそもこれを使用できる魔法使いも千人に一人という。
魔法名は《収納》と、そのまんまの魔法らしく、実戦向きではない生活魔法というジャンルに属し、魔力消費の面で燃費も悪い。
要するに別に使えるから強いというわけでもないのだが、しかしたった一つのブローチを取り出すのにそれを使ってしまうオクラは、紛れもない天才の魔法使いであった。
ただしその光景はアカネにとって日常だったわけで、この種の魔法を初めて見たという人間もいる中で、アカネただ一人は慣れた顔色で床に落ちた白シャツを拾い上げた。
オクラ・シライシがその圧倒的な能力をもって辺りを騒然とさせた、その数分程度後だったろうか。
先程アカネ・ホウジョウの受付手続を担当していた男性職員の前に、一人の少女が現れた。
「どうなさいましたか?」
男性は笑顔を強張らせて、アカネの時と同じ台詞を吐いた。
「髪なんか切っちゃって」などとジョークを交えたりして。
それはまるで、目の前の状況をほとんど飲み込みながらの苦しい現実逃避のように。
するとエメラルド色の髪を短く切り揃えたその少女は、澄ました顔で言う。
「試験の受付をお願いします」
そして急がずとも迅速に身分証とブローチを出し、呪文のように唱えるのだ。
「──エリカ・アシカガ。所属ギルドはミアギの『マンダイ』」
男性は身分証を確認すると、崩れない笑顔のまま「なんでやねん」と呟いた。
しばらくして、とうとう昇級試験が開始する時間になった。
エントランスホールには二千人以上の青等級冒険者がごった返している。
オクラの朝食に付き合うべく外に出ていたアカネは、戻って来るや否やその人の多さに絶句した。
「人間ってこんなにいるんですね…」
「アカネちゃん、スケールでかいよ」
確かに、田舎暮らしのアカネにとってのその景色は、人生で一番多く人の姿が敷き詰められた視界だっただろう。
人酔いする程の数に囲まれた経験が無かった彼女は、どこか知らない世界に迷い込んだような不思議な感覚にも見舞われた。
見える範囲一帯に広がる人、人、人。
その様相も様々で、身分、年齢、性別、そのどれについても全くの差別がない冒険者という職の在り方が、一目見てはっきりと伝わるようだった。
冒険者の比較対象としてよく取り上げられるのは、魔物討伐や国家の防衛を担う王国の騎士団である。貴族であることは前提条件で、また相当な実力がない限りは男しか入団を認められない。アカネのような華奢な少女がたとえ億万長者の娘だったとしても、その身体つきを見るだけで即座に門前払いされることだろう。
しかしそんな現実にも反して、この会場にもいくつか貴族の青年らしき姿が見られる。百年かそれ以上大きな戦争がないジポーネ王国の現状、王国騎士団と冒険者は仕事内容の面でさほど大差ない職業だとされており、その意味で騎士団として順当に出世するよりも紫等級冒険者を目指す方が稼げるというのが現実だったりもする。
一方で、貴族の誇りとして冒険者にならない意志を固く持つ者も多い。今時金よりも名誉を守る殊勝な上流階級もいたものだが、貴族が冒険者を目指すことを「肥溜めを荒らす」と言い示すのを聞く限りは、それほど見上げたものでもないようだ。
ときに、そんな貴族も含めやたらとガタイの良い青年であったり仙人を彷彿とさせる老夫老婆もいる集団の中、とりわけ異彩を放っている人物が、アカネの視界には入らずともそこにいた。
彼女の右後ろ辺りでサンドウィッチを頬張っている男、オクラである。
「むっしゃむっしゃ、ごくり。うわ、タマゴちっさ!」
灯台下暗しとはこのことか。この中で最も軽装で、最も気だるげで、そして最も強力なオーラを漂わせているのは他でもないこの男だ。
七割が魔法の杖を携え、二割が剣をぶら下げ、あとの一割のうちほとんどは何かしら目立つ刃物を、一分か一厘程は強靭な肉体と言う名の武器を備えている。
そんな中でナイフ一本しか持っていない彼は傍から見れば異常者以外の何者でもなかったし、それゆえに強力な魔力によるオーラが際立っているのは、化け物を予感させるに十分な判断材料でもあった。
オーラというのは、まあ一口に言えば雰囲気だ。膨大な魔力を体内に秘める者には、相当の雰囲気が付きまとう。形のない魔力が他の受験者に伝わっているかといえば少し微妙なところでもあったが、しかし少なくとも魔法を多用する魔法使い達には、そのオーラと彼の強さの如何なるかが理解できていただろう。
ところがそこに、元気溌剌にもオクラに接近する命知らずな人影がひとつ。
「ようよう、やっと見つけたぞシライシ!」
どすん、と効果音が見えた気がした。
身長は二メートルに少し満たないぐらい、横幅はアカネの二倍もありそうだ。その体格には着瘦せも着太りも感じられなく、何故って、その物体はほとんど服を着ていなかったのである。
茶の肌を堂々と人目に晒し、視認できる布は股間に添えられた褌一枚。頂上に黒い毛を生やした筋肉ダルマは、岩のような手を振り上げてオクラに呼びかける。
「え、なんでこの人捕まらないの」と訴えかけるアカネの視線を隣に感じながら、男は目の前、もとい目の下にオクラの姿を捕らえた。
「一年ぶりだな、シライシ!探してもいないから一旦家に帰っちまったぜ!ガハハハッ」
「そっちの家ミアギでしょ。どこ探してるんだよ」
「いや、アオミリだぞ?」
「ああ、そうだっけ。まあどっちにしろ…」
オクラはアカネと話す時より何段階かテンションを低く、男と言葉を交えている。
トキヨトでも最強と名高いオクラのことだ。人脈も広く、この筋肉ダルマもそのうちの一筋なのだろう。一時はそう思ったアカネだったが、しかしオクラの顔色を見るや否や完全に理解した。
(うわぁ、あからさまに「誰こいつ」って顔してる…!)
目を細めて男の顔を見上げるオクラ。その顔は相手の正体を探っている様子で、どうやら先程彼の出身を指摘したのもでたらめだったらしい。どうして当たると思ったのやら。
「紹介するよ、アカネちゃん。去年任務で一緒になったミアギ出身のケンタ・イワヤマだ」
「去年と一昨年の昇級試験でシライシにボコされたキョウジロウ・タノウエだ」
間違いだらけの紹介を、筋肉ダルマ本人が気まずさの欠片も感じさせない堂々たる態度で訂正する。
「…オクラ君、どうしてそんなに自信満々で知らない人紹介できるんですか。名前当てにいくとか大博打ですよ。あと出身はさっき言ったんだから覚えてあげてください」
いつものお説教の口調で丁寧なツッコミを済ませると、アカネはキョウジロウに向き直った。
「アカネ・ホウジョウです。今日はよろしくお願いしますね」
オクラの態度がカラッと変わったのと同じように、アカネも余所行きの愛らしい笑顔を見せて一礼する。キョウジロウは一瞬、彼女の笑顔に突かれたかのように顎を引くと、今度は若年らしからぬにやついた笑みで「ほう…」と呟いた。
「シライシが言っていた、超絶可愛くて面倒見も良い、週一くらいでパンツを見せてくれる嫁というのは君のことか」
「嫁じゃないし、パンツはオクラ君が勝手に見てくるだけです」
キョウジロウは大口を開けてガハハハッと笑う。よく笑う男だ。
それでいて、落ち着く時は異常なほどに穏やかだ。笑いを収めたキョウジロウは、暖かな瞳でオクラを一瞥した。
「まあ、なんだ。嫁が試験に参加するってことは、ようやく…ってことだろ?」
「ああ、今回からは本気でやらせてもらうよ」
どうやらオクラの昇級試験にかける本当の目的について、このキョウジロウという男には話しているらしい。その仲でどうして名前を忘れるか。
ともあれ、先程自己紹介で言った通り、二度の昇級試験に渡ってオクラに行く手を阻まれたキョウジロウは、オクラの不戦敗に伴う一番の被害者だ。
そして彼がオクラが本気で試験に挑むことについてどう考えているかというは、他でもない彼の顔色が物語っている。
「シライシ、俺はお前を憎んでるし恨んでるぞ。俺の野望を二度も壊しやがったんだからな。でもな、それ以上に、お前が本気出すってのが何より楽しみなんだ。俺を二度倒した男が紫等級冒険者になる姿を、この目で見れるのが嬉しくて仕方ねえんだよ!」
「ほおぉん」
「オクラ君、あなた少しは人の心を持ったらどうですか」
相変わらずの塩対応なオクラにキョウジロウは笑うしかなく、出会って一分経たずにして既に三回は口に拳を突っ込める隙を与えていた。
そんな彼は、笑いが収まるとともにアカネの顔に何か気付きを憶えて「ん?」と首を捻る。
まるで、先程の受付担当の男性職員と同じように。
「アカネ・ホウジョウ、だったよな…。その髪色と顔立ち、どこかで見たような…」
「え、まさかそんな…」
一瞬、あの卑屈げな男性職員の態度を反芻する。もう勘弁してくれと祈るアカネだったが、まもなくキョウジロウはひとつの名前を出してしまった。
「──ウノ・ミナモト。隣町のギルドにそんな冒険者がいたな。身長もちょうど君くらいで、エメラルド色の髪をしていて。俺が知ったのは悪評だったか知らんが」
受付窓口で聞いたものとはまた別の、知らない名前だった。まさか自分のそっくりさんが二人もいるだなんて。
ここまで来れば三人目が現れるのも時間の問題だろう、と、アカネは半ばフィクションのような未来を期待したりもしていた。