3 冒険者オクラ・シライシ②
ホトケノザを斜めに照らす太陽、その傾きが示すのは午前七時前。
アカネとオクラは二人肩を並べて、足場の悪い森林の中をひたすら進んでいた。
目的地は、王都トキヨト。本日、このジポーネ王国の三地区で同時開催される冒険者紫等級昇級試験のうちの一つ、アカネとオクラが出場するものは、ジポーネの中心都市で行われる。
地元チバタマの村からトキヨトの街まで、徒歩でおよそ二時間といったところだ。
チバタマから少し下った所には彼女らが通うギルドを持つキャナガーという小さな町があるのだが、なんでもそこから出る公共の馬車は八時以降にしか走らないとのことらしい。
そういうわけで、面倒なことにも二人はこの先、自分の脚だけで山を二、三個越えて行かなければならない。
試験が始まるより前に二人の体力か、あるいはオクラのやる気が底を尽きてしまわないものか心配が募るものである。
「──さっきは甘く褒めてあげましたが…」
目の高さの枝を押しのけ、耳元をちらつく小バエに顔を顰めながら、アカネは背後を一瞥する。そこに歩くのはゾンビのように腰を曲げるオクラ。
「よくもまあ、そんな軽装で試験に挑もうと思いますよね」
オクラの身体を包むのは、シンプルな白のワイシャツ一枚と黒のパンツ。
ベルトで巻いた腰にはたった一本のククリナイフを携える。
なに、身が軽いのは決して悪いことではない。実際アカネだって鎧を纏っているわけではなく、脚については肌まで晒してしまっているのだから。
が、魔物と命のやり取りをする冒険者が、ろくに武器も持たずに出向くのは普通なら大問題なのだ。
魔法使いなら魔法の杖を持つものだし、それ以外なら剣でも弓でも何かしら目立つ武器を持つのが当然とされる。稀に生身で戦う「武闘家」とかいう物好きもいるそうだが、中途半端な筋肉の付き方をしたオクラの身体が熊や猪を拳で成敗できるようには見えない。
ただし、彼に対するアカネの呆れはただ呆れのみに留まる。妹のハルカには時に鬱陶しがられる程の心配性が、こんな異常者に対してはその欠片の感情も抱いていないのだ。
「魔法の杖って重いんだよね」
「あなたくらいですよ、そんな理由だけで杖を持たない魔法使いは。──あ、八時です」
会話の流れでアカネの口から出た忠告。八時まではあと一時間もあるというのに。
その時、オクラの背後、彼から見て八時の方向の茂みが大きく揺れた。
枝を折って葉を散らし、その一匹は正体を現す。
牙を剥き涎を撒き散らしてオクラの横腹を狙ったのは、赤い傷のような模様を付けた顔にこれまた血の眼を持つ、狼の姿をした魔物だ。
しかしその急襲も虚しく、魔物の鼻先は宙に浮かぶ金の壁に激突して遮られる。オクラが発動した光の魔法によるものだった。
防御という名の反撃に、一歩下がって警戒する魔物。それに代わるようにして、もう一匹同じ姿の魔物がオクラの側面から狙ってくる。
アカネが傍観する中、オクラは対峙する二体を威嚇するかのごとく右足を強く踏み込んだ。
「《身体強化、壱の段》っ!!」
「うるっさ」
森林に響くオクラの咆哮。耳を塞ぐアカネの冷たげな苦笑を背に、オクラの全身は魔法による朱の輝きに包まれる。
「シライシ式武闘術・壱の型、右フックゥッ!」
なんてこともないごく普通の右フックによる顎への一撃で、突進してきた二体目の魔物を迎え撃つ。全く迫力のない動きに反した凄まじい威力に、魔物の体は軽く茂みの中に放られた。
「ふしゃーっ!」
怯えるもう一体に、アカネは目を吊り上げて猫の威嚇を見せる。質が低くもはや可愛らしくもある鳴き真似だったが、右フックの脅威がなかなかのものだったのだろう。まもなく魔物は身を引いた。
自然に囲まれて生きてきた二人だ。冒険者の業務外であれど魔物の襲撃には慣れている。
互いの信頼に基づく冷静な対応と確かな連携で敵を追い払うと、二人は特に撫で下ろす胸があるわけでもなく平然と会話の流れに入った。
「オクラ君、怪我はありませんか?」
「うん、大丈夫」
「ちぇっ」
「アカネちゃん!?」
「冗談です。それよりも──」
アカネは見下ろす、オクラが踏みしめた地面、くっきりと足跡が付いたその部分を。
「何ですか、さっきのふざけた魔法は」
決して鋭くはなくとも眉を顰めるアカネに、オクラはへらっと笑って返す。
彼が使った魔法そのものについては、いつも彼が使っている《身体強化》の魔法でまともなものだった。が、使い方は世間一般的におふざけとみなされる行為である。
「最近、ハマってるんだよね。魔法名叫びながら魔法使うの」
「やめてください、馬鹿みたいなので。あと近くに巣を作ってる魔物さん達をびっくりさせちゃいますから」
「魔物さん」
「…呼び方に他意はないです。私、生き物全般に『さん』付けですし」
彼女の「びっくりさせちゃう」というのも、「刺激するな」の意だ。魔物という括りの全てが人間の脅威として扱われている以上、彼らの透明な心やら起床時間やらを気遣う人間などいない。そもそもこの世界の生物に対しては動物と魔物という明確な区別がつけられているのだから、魔物は人の敵としか捉えないのが当然なのだ。
一部では「魔物を害獣とみなすか、有機ゴミとみなすか」なんて論争が繰り広げられているらしいが、アカネ達冒険者がやっている仕事は住民が魔物の被害を受けているからそれを処分するということだけで、そんな区別やら呼び方やらには何ら関係のないことだ。
アカネ個人も、動物の形をした化け物に対し「できればあまり殺したくないな」程度で深く考えたこともなかった。
「ときに、武闘術だかなんだか、華麗な右フックも見せてくれましたね。あなたのお家農家でしょ」
「田植えで培った拳だからね。父さんからシライシの姓を技名に使う許可をもらったよ」
「ああ、毎年穴だらけになってる田んぼ、あれオクラ君の拳だったんですね」
無論、農夫の父から仕込まれて体術を身に付けられるはずがない。
そう、先程アカネも言った通り、彼は武闘家などではない、魔法使いなのだ。
──それも、天才の。
オクラは、最強の青等級冒険者として恐れられていた。
魔法使いにとって必需品に近いという魔法の杖を持たずして、貧弱な少年の右フックの威力を三、四倍にまで引き上げる強力な魔法を扱える。
更にその術は、《身体強化》の魔法のうち最低の質で発動される「壱」の段。彼が最高の「伍」の段まで使用すれば、ローキック一発で王都に建つ中くらいの家を一戸潰せる。──と言ってしまえば、字面だけでもその異常さが伝わるだろう。
そもそも、杖を使わずに発動できる魔法というのは、手の平サイズの火の玉を飛ばしたりビカッと一瞬光を放つくらいが限界とされているのだ。
実際、人一倍魔法の研究と鍛練に勤しんだアカネでも、杖が無ければ持ち技の三割も使えないという。
魔法の杖には、人間が持つ魔法の素となるエネルギー、「魔力」の増強と、魔法発動の補助の二つの効果がある。
ところがこのオクラは、それらの利便性と持ち運ぶのが面倒臭いという実に怠惰な一面を天秤に掛け、あまつさえ後者に秤を落としていたのだ。
天才にして無気力、それが魔法使いオクラ・シライシという冒険者の実態であった。
そんなオクラを本来の身の丈より何段か下の地位に足踏みさせるのは、単に彼の人並外れた睡眠欲だけではない。
いくら怠け者だと言っても、決して理性の欠片も持ち合わせていないわけではないのだ。
彼を彼たらしめる理性は、願望と言う形でちゃんと胸中にあった。
それを知らしめるのは、去年と一昨年にそれぞれ一度ずつ行われた紫等級昇級試験での出来事。
その類いまれな、いや、類い無しの能力をもって歴代冒険者最速の記録で早々にも青等級冒険者への昇進を果たしたオクラは、その二回の試験にも参加していた。
そこで彼はとんでもない奇行に出た。皆が人生を賭けて挑むステージにて、周囲が目を血走らせて年に一度の四席を奪い合う中、彼は審判をしていた試験運営スタッフの肩を叩いて言うのだ。
「これ棄権とかできるんすか」などと。
無気力試合、棄権、不戦敗、それが二年連続で続いていた。
他受験者には苛立ちがあっただろう。彼に未来を阻まれた者達は特に。
オクラの試験での振る舞いは妥当な分の反感を買い、また多くの疑問や考察を呼び、一方で強い目標意識を浴びたりもしていた。
そうしてオクラ・シライシは、王国冒険者トップクラスの戦闘力を誇りながらにして、青等級冒険者の位置に在り続けた。
なに、ギルドや王国側が彼の昇級を推薦する権利は無い。命の危険を伴う仕事だ、紫等級に昇級することを望まない冒険者だって少なからずいる。
が、それなら試験を受けなければいいだけのことなのだ。わざわざ試験を受け、何百人という受験者を叩き落とした上で勝利の目前で棄権する彼の行動は、まさに奇行としか取れなかった。
だが、無論のこと意味もなく他受験者の夢と希望を踏みにじっているわけではない。オクラの胸にもちゃんと、一つの確たる目的と言うものが存在していた。それは──
──それは、アカネ・ホウジョウと一緒に、紫等級冒険者に昇級するということである。
字面だけ見れば実に幼稚な動機だが、しかし実際に幼稚であり、彼にとってはそれが全てなのだ。
紫等級冒険者に昇級した暁には、以降同じ地区の四人で半強制的にパーティを組まされ、仕事をともにすることになる。協調性を養う意味での、豪邸での四人共同生活も加えて。
アカネと同じパーティになりたい、アカネとひとつ屋根の下で暮らしたい、アカネと一緒にいたい。ただそんな幼稚で不埒で不純な理由だけで、オクラは強くあり続け、青等級冒険者であり続け、また二回に渡る試験でも不戦敗を選んできた。
過去二回の試験は、今回の試験で確実に勝利するための下準備だと言って良い。自分の名を轟かせることで相手を威嚇し、もしも試験方式がトーナメント形式ならシード枠だって貰える。
試験に向けて何か特別な鍛練を積んだわけでもないのに、願望を満たすためには妙なところで用意周到になるのがこの男の性分だった。
そう、睡眠欲以上にオクラを突き動かすもの、その願望の正体は、アカネへの絶えまぬ恋心。
オクラは幼馴染のアカネを一人の女性として好いているのだ。
過剰に高じた好意は、いつしか彼を異常者と仕立て上げる程の依存に代わっていたのだった。