両親②
「焚き火の跡だ、今朝までここにいたな。」
勇者ロークと結界術師リバは朝に見た焚き火の煙から場所を推測し、夜営の跡を探し当てていた。
「2人分の寝床が造られている。やはりグリンの奴は裏切ったとみていい。」
「ここから何処へ向かったのでしょうか?」
「おそらく北の方角に向かったんじゃないかと思う。奴らは森を抜けて海岸に出てきた。港町から北の方の海岸だ。アスフィンとの戦闘も町を出て北に向かった場所だ。問題は北東に向かったのか北西に向かったか、だが…」
ロークはまたしても不死鳥の姿に身を変えて、高い位置から北方面に目的となりうるものがないか確認した。森の中に目立たないが切れ目が見える。海と逆の方向を見ると切れ目の先に建物が見えた。
「リバ、北西の方に大きめの建物が見えた。地図に記されていたか?」
地上に降りてロークはリバに聞いた。
「いえ、そのような建物は記されていません。この辺りはファン国王家の直轄領で王に無許可で建物を建てることは禁じられています。この地方担当の役人に確認すれば何の建物かわかると思いますが。」
「いや、そんな時間はない。これは勘でしかないが…奴らはあの建物に向かったのではないかと思う。それと建物全体がはっきり見えたわけじゃないが、何か妙な造りになっているようだった。ファン王家が建てたにしてはこの国特有の装飾も見当たらなかった。」
「魔剣と魔物が向かった方角に奇妙な建物が…、偶然にしては出来すぎていますね。建物に向かうのであれば反対する気はございません。勇者様の勘は当たる、そのこともこれまでの旅に同行して知っていますから。」
「パパとママだと!?」
グリンは一瞬戸惑った。屋敷にこの娘の両親がいるのではと予想はしていたが、目の前の魔物を両親と呼ぶ猫耳の娘はやはり生来の魔物なのか?しかし娘と魔物達を見比べてもとても同種の生物には見えない。魔物達はそれぞれも別種に見える。一体は向こうを向いたまま何かをむさぼり食っている。赤毛の大型の熊のような魔物で不釣り合いな長い腕を持っていた。もう一体は石のような鱗が全身を覆っている黄色みがかったトカゲ男、リザードマンだ。
「いかん!動け娘!腕から力を抜くんじゃ!」
剣が娘に戦闘態勢をとるよう促した。娘は放心して固まっている。
「お、マエ、ハ…オマエハ…」
リザードマンの方が言葉を発した。無理やり発声したような息苦しさをおぼえる声はその声帯が人間と違うことを伺わせる。
「ヨコ、セ、、、ヒュー…」
「なんだぁ?ハッキリしゃべりやがれ!」
グリンは聞き取りづらいが何か意味をもってこちらに言葉を発している魔物にイラついた。娘が言ったパパママの言葉の答えが気になる、こいつの正体を知りたい。
「ム、スメェ…娘ヲヲ、ヨコセ!!」
先ほどよりもハッキリとした言葉を叫びながらリザードマンがこちらに突進してきた。鋭い爪が向けられている。
「娘だと!?」
グリンはハッとして娘の方を見る。まだ放心したままだ。これは避けられない、そう判断したグリンは娘を片手で抱え飛び避けた。リザードマンの突進速度は予想外に速く、グリンの肩口に切り裂かれた傷が残っている。判断が一瞬遅れたら間に合わなかったかもしれない。そして、結果的に扉側にリザードマンがいるため上階への退路が塞がれる形となった。ふともう一体の魔物に目をやるとこちら側に向きなおっていた。グリンはその異様な姿に驚愕した。胸元に人間の女性が埋まっている。顔から胸にかけては露出しているものの、それ以外は魔物と一体化しているように見える。人間の部分は病気のように青ざめ、やつれている。何か獲物を食っていたようで魔物の口元から人間の頭部にかけて血がべったりとついている。
「見たことねぇ魔物だな、こいつらまさか…」
「元、人間じゃな。娘の両親の可能性は高い。いや、娘の反応をみるに間違いないじゃろう。あの姿にも関わらず娘にはわかるようじゃ…。おい貴様、娘を説得しろ、このままじゃ闘えん。呆けてしまっておる!状況もまずい、挟まれてしまったぞ!」
だが、グリンにはなんて声をかけるべきかわからなかった。ようやく会えた両親がこんな姿になり襲ってきた。闘えと言うべきか。
「俺がやる、守ってやるさ!」
グリンは決意した。実の親を殺させるなんて残酷すぎる、手を汚すのは自分がやる。例え恨まれようが。虚ろな娘を自分の後ろに押しやり、ククリナイフを構えた。が、状況が更に悪いことに気付いた。刀身にヒビが入っている。さっき避けたとき、とっさに横飛びする動きで石床に叩きつけてしまった。元から予備の武器で頑強な一級品ではない。これでは次の一撃で折れる。相手の攻撃を防ぐことすら出来ない。そうなると使い道はこれしかない。
「おりゃああァァ!!」
獣の魔物に全力で投げつけた。リザードマンの鱗には突き刺さらないだろうが、獣の皮膚なら…!が、獣の方も素早く身をかわす動作をとる。右肩には刺さったが致命傷にはならない。グリンは娘の芯の強さに賭ける決断をした。
「お嬢ちゃん、闘えとは言わない!せめて身を守ってくれ!」
叫びながら獣の方に飛び出した。獣は痛みと怒りで咆哮をあげ迎え撃つ。
「ガァァアァ!!」
獣は長い腕を振り回し攻撃を叩き込もうとする。素早い。だが、腕の振りをかいくぐり、グリンは拳を獣の顎辺りに叩きこんだ。ふらつかせた、だが魔物は獣のタフさを見せてすぐ持ちなおす。続けざまに一撃、また一撃とグリンは拳を撃ち込んだ。口回りの血が飛び散る、が大きなダメージにならない。
(くそ、武器無しじゃ決定打が無い、時間がかかる!気功術でも修行しとくんだったぜ!)
娘の方をチラッと見る。剣を構えリザードマンに対峙していた。ホッとしたものの動きが鈍い。やはり闘える精神状態ではない。何とか剣のほうでリザードマンの鋭い爪を弾き持ちこたえている。娘に気を取られてしまった。敵の攻撃に一瞬反応が遅れ、振り回してきた腕の攻撃がグリンを捉える。とっさにガードしたものの、長い腕の遠心力がかかった一撃に体を押し飛ばされた。壁に激突し、苦悶の声が漏れる。
(アバラを痛めたか…コイツら、魔王城の魔物並みに強い…)
横を見ると、娘がすぐそこまで追い込まれて来ていた。グリンの側で腰が落ちる。目を覗くと意外にもまだ生きる意志が見えた。
(持ち直したか、やはり芯の強い娘だ。俺も負けてらんねぇ。)
グリンは痛みをこらえて立ち上がった。2体の魔物がそれぞれの方向からにじりよってくる。獣の方の魔物の胸元に埋まった女性が目を剥き声を発した。
「ナゼ…逃げタノ、もう逃ゲナイデ…あし…足ガ無ケレば…足をチギル!逃ガサナイワ!!」
母親の、その言葉を聞いて娘は心が折れた。
「そんな、ママ…もう…いい。」
剣を落とした。
飛びかかってきた2体の魔物に抵抗する気力は残っていない。グリンがかろうじて抱き上げて避けた。避けざまにリザードマンを蹴り飛ばす。硬い鱗の体表からくる抵抗で足を痛めたが、かまわず蹴り抜いた。体つきの比較的小柄なリザードマンが吹き飛ぶ。獣の腕が大きく弧を描き上から落ちてくる。娘を手放して両腕でガードした。強烈な衝撃を受けるが娘には届かせない。全身に力を込めて耐えきった。そのまま腕を両手で掴み、歯を食いしばって力一杯振り回す。バキバキと音がして獣の腕の骨がねじれ砕けた。
「ギィガアギャァァー!!」
苦痛に獣の顔も胸に埋もれた女の顔も歪み、グリンから弾けるように離れた。少なからぬダメージを受けた事と鬼の形相で睨み付けるグリンの気迫に魔物2体は近づくことをためらい、距離をとった。
(俺の腕は折れたか!?いや、まだ動く!でも全身がいてぇ!次は防げないかもしれねぇな、どうする!?)
足元に剣が落ちていることに気付いた。
「おい、乗っ取るんじゃねぇぞ!」
剣の柄に手をかけた。
「何だぁ?重い!?持ち上がらねぇ!」
「ワシは人間が振り回せるものじゃないと言ったろうが!ワシを持とうとしたら人間には100倍の負荷がかかるんじゃ!最後の手段じゃが何とか娘の気を失わせろ!そうすればワシが娘を」
「うるせぇ!」
グリンは柄に両手をかけて力を込めた。柄の方は持ち上がったが剣先の方は地面から上がらない。
「無茶じゃっ、貴様骨にヒビが入っておるんじゃないか!?持ち上がるどころか腕が折れるぞ!」
「構わねぇよ!今度は近くにいる!俺が今度こそ守ってやらなきゃいけねぇんだ!!」
剣先を地面に付けたまま、グリンは剣を引きずり石床に円を描くように回転しながら前に出た。
「ウォオオラァァ!!」
回転する勢いで獣の魔物に接近する。引きずりながら更に回転し、その勢いで剣先がとうとう浮いた。もはや持ち上げているといわず剣に振り回されている様相だが、コマのように獣の魔物に切りかかっていった。剣先は不安定でグリンは支えきれず床に叩きつけてしまうもその反動を利用して切りつけようと更に前に出る。獣は避けようと後ろに下がったが、グリンは追っていく。
剣先が獣の足を捉え、胴体から切り離す。支えを失い前方に倒れこむ形で胴体が落ちる。地面に落ちる前に次の刃が首をはねた。
グリンには妻がいる。子供は一人娘がいたのだが、5年前に亡くしていた。グリンは幼い頃に両親を亡くし、母方の叔父の家に引き取られた。叔父はすでに高齢で持病によりすぐ働けなくなった。叔父の息子はグリンより20歳も歳上だったが、まともに働いておらず、当時まだ10歳のグリンを人買いに売った。グリンは更に傭兵団に雑用係として買い取られ、体が大きくなるとそのまま傭兵となった。人一倍体格が良くなり、才能もあったため名が知られ始めた頃、同じ傭兵団にいた歳上の仲間が独立することになる。仲が良かったグリンは共に傭兵団を作り、その拠点にしばらくしてから看護師としてのちに妻となる女性が雇われてきた。ケガの看病をきっかけに恋仲になり、結婚。しばらく傭兵として活躍し妻の妊娠を期に妻の実家へ居住することになった。仕事は傭兵と義父の猟師業の手伝いを兼業する形に落ち着く。出稼ぎで傭兵として駆り出されている最中、娘が事故で亡くなった。
グリンは側にいて守れなかったことを悔やみ、精神的に落ち込んで妻の元に寄り付かなくなっていたが、勇者が傭兵団に訪ねてきて新たに目的を見出だすことをきっかけに立ち直り、旅の合間の休暇には妻の元に帰るようになった。それでも娘のことはずっとグリンの心に引っかかっていて、猫耳の娘と出会い共に行動するうちに生きていれば同じ年頃であろう亡くなった自分の娘の面影を重ねるようになっていた。
今度は守ってやる、そんな気持ちがグリンを奮い立たせている。
獣の魔物を倒しリザードマンの方に向き合った。リザードマンは娘の方が気になる様子だが、動きを止めていた。
「ギィ、オレハ…、ナニヲ…」
「なんだ?様子がおかしい。」
「もしや、完全に魔物化してはおらんのじゃないか?魔物化した人間は知能が奪われ凶暴になる。ほとんど魔物の本能で動くから言葉なんぞ話せないはずじゃ。じゃがあの獣も、リザードマンも言葉を話した。人間の記憶が残っているのか?」
2体とも猫耳の娘を自分の娘と認識しているような言葉を発していた。だが、その行動はどうみても娘を傷つけようとするものだった。つかの間、動きを見せなかったがリザードマンは急に体を震わせ始めた。
「ギィアアアア!」
もはや言葉ではない、ただの咆哮をあげて娘に向かう。
「いかん!娘!逃げるんじゃ!」
だが、娘はもはやそれが運命というように抵抗の素振りすら見せない。
剣が床に転がった。グリンが柄を離したのだ。グリンはリザードマンの横腹めがけタックルを仕掛ける。そのままもつれるように床に倒し、背後に回って首筋に腕をかけて、締め上げる。
「オルァアアアー!」
体はとっくに限界を超えて今すぐ気を失いかね無いほどの痛みが全身に走る。それでも娘を守ろうとするグリンの行動はもはや理性ではなく親の本能に近いものだった。リザードマンの首はその圧迫に耐えられず、骨が砕けた。魔物の体から力が抜けたのを感じ、グリンの腕も力を失った。そのまま大の字に床に体を預ける。
「ごめんなさい…、ごめんなさい…。」
側に気配を感じ、目をやると娘が泣きながら謝り続けていた。
(こっちこそ、お嬢ちゃんの両親に手をかけちまった。ごめんな。無事でいてくれて良かった。)
声がでない。そのまま気を失った。
「やはり、失敗したか。」
薄暗い部屋のなか、落胆と喜びの色をない交ぜにしたような呟きを男は洩らした。老人とも少年とも聞こえる声の主はごちゃごちゃとした机の上にある実験道具を雑に払いのけ下にひかれた紙に何かを書き込む。
「…まさかここに戻ってくるとはな。いや、結局引かれ合うものなのか。だが、まだその時ではない。」
男は静かに笑みを浮かべた。
全身の痛みがグリンに悪夢を見せていたようで、うめき声とともに目を覚ました。悪夢の内容は覚えていない。目覚めた場所は魔物との戦闘があった部屋では無かった。普通の部屋だ。窓があるにもかかわらず暗いため、すでに日が落ちた時間だとわかる。ろうそくで灯りが灯されている。体のあちこちにシーツを切った包帯が巻かれ、右腕は折れているらしく添え木がされている。なんとか体を起こした。
「ここは、何処だ…?」
「娘の部屋じゃ。」
声の方向を見ると壁に剣が立て掛けられていた。側には娘が眠っている。
「いろいろ苦労しとったぞ。ドアを外してそれに貴様を乗せてシーツで巻いて地下から引っ張り上げたんじゃ。貴様は図体がでかいからな。運ぶにはその方法しか無かった。ベッドに乗せるのは諦めとった。はみ出るしな。」
グリンは背も高く筋肉質で一般的な成人男性の2倍ほど体重がある。娘の腕力で移動させるのは骨が折れるだろう。
「別に動かさなくても…いや、ありがたいが。」
「両親の死体をずっと見たくはなかったんじゃろう。お前の側にいたかったらしいぞ、ずっと泣いておったからな。両親には後で墓を造ると言っていた。」
「どれくらいたった?」
「いまは夜中じゃ、娘が眠ったのはついさっきじゃな。貴様の看病をしておった。自分も疲れきっておったのに、貴様が熱を出してうなされておったから心配で眠ろうとしなかった。体の調子はどうじゃ?」
「痛くてしょうがねえ、熱も出てんのか。腕は折れてるし、アバラも足の骨にもヒビが入ってそうだな。動けねぇよ。」
「あれだけ痛めつけられたら当然じゃな。しかも自分で立ち回って更に悪化させとる。それにしてもあんな風にワシを振り回すとは、とんでもない奴じゃ。あんな真似をしてその程度ですむとは、むしろ頑丈過ぎて貴様も魔物なんじゃないかと疑うわい。」
「魔法使いとやらは?」
「さあな、探してる余裕は無かった。屋敷を覆っていた魔力はいつの間にか消えておる。逃げたのかもしれん。」
「…なあ、お嬢ちゃんの両親を救う方法は無かったか?お嬢ちゃんを傷つけようとしてきたとはいえ目の前で両親が殺されるなんて、酷い話だ。今更だが、人間にもどす方法があれば…」
「過ぎたことを悔やむか、無駄なことじゃな。…ワシの考察だとあの状態からは無理じゃ、魔素と呼ばれる物質が肉体に取り込まれることで魔物化すると言ったじゃろう。人間に入り込んだ魔素は初め不安定な状態じゃが、肉体の組成分に同化して安定する。そうなると魔素はその生物の記憶を奪い始める。娘の両親は完全に魔物化する手前じゃった。だから娘の記憶をわずかながら残していた。じゃが完全に魔物化すれば人間の記憶は欠片も残らん、はずじゃ。」
剣は娘の方に目を落とした。
「この娘を除いてな。」
「わからねぇな、その話と人間に戻れないってのはどう繋がるんだ?」
「魔素は本来この世界のものではない。高次元からの落とし物というべきか。この世界の物質全てに優位性をもっておる。娘の両親のように魔素が全身を侵している状態では、それを覆す方法はこの世には無い。」
「話が難しくてわかんねぇって。人間に戻す方法は無いってことか?…お嬢ちゃんもそうなのか?」
「わからん。あの状態で安定してるというのが普通はあり得ないんじゃ。魔物化しておるが、人間の要素が大部分に残っているというのが理屈に合わない。だから手を貸した。面白い存在だったからな。…最初はな。」
「最初は?いやわかる。俺もそうだ。」
そこからしばらく沈黙が続いて、剣が何かに気付いた様子をみせた。そして、思案したあとに言葉を発した。
「頼みたい事がある。」
「頼み?」
「ワシは大人しく貴様らに身柄をまかせる。代わりに娘を貴様に預けたい。」
「お前さんの処遇は元から俺達次第だろ。…ウチの勇者は魔物に甘くない。どうなるかわかってるのか?」
「ワシのことは、せいぜい封印するくらいしか出来まい。説明は省くが破壊出来ない物質出来ているんじゃ。折ったり砕いたり、貴様は出来ると思うか?」
石床の上を引きずり回し、振り回しながら床に何度も叩きつけたにもかかわらず、刃こぼれはおろか傷すらついていない。
「出来ないかもしれねぇな。」
「懸念はこの娘だけじゃ。どこにも行き場がなくなる。だから貴様に預かってもらいたい。」
「…わかった。ここまできたら最後まで面倒みてやる。命懸けで救った命だ。」
「もうすぐ日が昇る。来ておるぞ、先ほど探索魔法の魔力を感じた。おそらく明るくなったら踏み込むつもりじゃ。」
「しんどいが言い訳を考えておくか。あの堅物相手に納得させられるかどうか。」
設定
剣 149cm3.5kg
娘 149cm40kg
グリン 204cm132kg
ローク 182cm80kg
リバ 167cm53kg
アスフィン 171cm69kg